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「挫折と自信」 (奥泰貴 中距離・107代中距離ブロック長)

こんにちは。107代中距離ブロック長を務めさせていただいた奥泰貴です。

いよいよ自分の番が回ってきてしまいました。コーヒーをこぼしてしまい充電できなくなったため、この幹部ブログを書くのが最後の役目となったパソコンに向き合ってはや1時間。何を書くか決まりませんね。現在の充電は74%です。充電がなくなるまでに書き切れるでしょうか。

今までの幹部ブログや集合で伝えたいことはかなり伝えてきたつもりなので、引退ブログくらい自分語りをしてみようと思います。その方がみんなも読み応えあるのかな?と思いつつ、、


1.陸上人生

中学まで

僕は中学まではサッカー小僧でした。幼稚園からずっとサッカーをやっていて、下手くそながらかなりの労力を注ぎ込んでいました。
小学校のチームではキャプテンを務めたり、中学のサッカー部でも1年生から上の代の試合に出してもらえたりと、それなりに充実したサッカー人生を歩んでいたと思います。
しかし、中学2年時にボールを蹴る際に誤って地面を蹴ってしまい、右足を剥離骨折。それからコンディションもなかなか戻らず、序列がどんどん下がっていて部活が嫌になりました。最後の試合も応援することしかできず、人生で初めて大きな挫折を経験しました。

陸上を始めたきっかけ

そんな中新しく始まった高校生活。と思っていたら病気で新学期早々3週間ほど学校を休む羽目になってしまいました。
ようやく学校に行くことができた時には、部活動の入部締め切り直前。これからサッカー部に行くのは気まずいなと思い、サッカーに区切りをつけることに決めて、他の部活を急いで考えました。
選択肢は走るのと百人一首が好きという理由で陸上部とかるた部でしたが、日曜日が休みという理由で陸上部を選択。見学に行った日に入部届をだし、1500mが好きだったため長距離志望としました。

高校陸上

当初僕は長距離を長くて1500mだと思っていましたが、5000mや駅伝という存在を入部してから知りました。なので今でこそ800mを専門としていますが、高校1年生時は800mを1本しか走っておらず、5000mを5本くらい走りました。
右も左もわからない僕だったので、練習初日にサッカー用のトレーニングシューズでコンクリートを走って3kmで怪我したり、キロ4超えのPRで倒れて医務室に運ばれたりと、森田さんを筆頭に長距離の皆さんに迷惑をかけまくってました。

結局高校1年生の800mPBは2’10”,1500mPBは4’48”でした笑


そんな僕ですが、高校1年生の駅伝後に中距離に転向します。そしたらなんか短い
距離の方が適性があったみたいですね。神田さん考案のメニューを死にかけながら篠田とこなし、翌春の地区予選で1分台を出すまでに至りました。(この時組1ワンツーで知り合う前の平田さんと県決めたの今でも運命だと思ってます笑)


まあそういう感じでなんやあんやあって最後の総体を迎える予定でした。そこで、多分ほぼ全員のブログで出てきていますがコロナですね。ただ、春の時点では関東に行けるまでの自信がなかったため、少し安心している自分もいました。
自分は受験勉強がなかったので、その後もモチベは高く保てていて、篠田はやる気がなくなっていた反面、他校の友達と平塚やギオンで割とガッツリ練習していました笑。
その甲斐もあり、秋の慶大競技会で1’53の記録を出すことができ、そこで(梅沢さん等の圧力に負け?)大学でも競技を続けることを決めました。試合に出るたびほぼ自己ベストで、とにかく楽しい高校陸上でした。

大学陸上

自分の大学陸上は珍しく、最初からそれなりに充実したものでした。
1年生時から六大学や関東インカレといった公式戦にも出場させてもらい、夏にはPBを更新したり、関東新人決勝に残れたりと、自分の中では満足する結果を出すことができました。
今思うと、強すぎる先輩方と一緒に練習をさせてもらえたのが大きすぎました。

大学1年生時のPBのレース。同じ組で慶應5人全員PBは震えましたね。伝説のレースだと思っています。


2年生はとにかく苦しいシーズンでした。
自己ベストこそ0.01秒だけ更新できたものの、全カレ標準を2年連続0.1秒で逃し、公式戦は何もできずに散りました。
1年間自分の成長をあまり感じることができず、105代の強い先輩方が卒業するのを眺めているだけでした。
自己ベスト更新してるし贅沢言うなと思われそうですが、それまで順風満帆の陸上人生を歩んでいた自分にとっては、初めてと言っていい挫折でした。


3年目でようやく、少しだけですが部に貢献できた気がしました。
相変わらず関カレでは歯が立たなかったものの、公式戦でまともに点をとり、チームの一員となれた気がしました。夏には念願の全カレ標準も突破しましたが、コロナに罹りDNSとなってしまいました。
上の強い先輩方が卒業してしまい、自分が中距離を引っ張る存在にならなければいけないという自覚を持つことができたシーズンでした。


そして4年生。ブロック長として迎えたシーズンは難しいものでした。
自己ベストこそ2回更新したものの、関東インカレは4年連続予選落ち。リベンジを誓って全てを懸けた全日本インカレでも、予選落ちと4年間インカレで何の結果も出すことができませんでした。
自分の無力さを改めて感じ、とにかく悔しくて仕方がなかったです。

2.挫折


人生には多くの挫折があります。21歳の青二才が何を言うとるんじゃと思われるかもしれませんが、おそらく多くの人が理解してくれるでしょう。
大事なのは、その挫折を如何に乗り越えるか。次にどう活かすかであると思います。

僕は陸上の一番好きな所は、結果が目に見える所です。個人スポーツですから、自分の実力がタイムという定量的なものになって現れるのです。
自分は順調な陸上人生を進むことが多かったので、タイムが伸びるごとにやりがいを感じ、それがモチベーションとなってさらに頑張ろうと思えていました。

しかし、それは逆方向にも働くということです。結果が出なければ、それが目に見える形で現れ、より苦しくなるという悪循環に陥ってしまう可能性があるのです。チームスポーツであればお互い助け合いの精神みたいなものがありますが、実際に走る・跳ぶ・投げる時には自分の力にしか頼れないのです。残酷ですね。

では挫折はどう乗り越えるべきなのでしょうか。

それは僕は抱え込まないことだと思います。

人間誰しも弱いところがあります。それを周りに見せるのは決して恥ずかしいことではありません。
皆さん何のために競走部に在籍していますか?それは仲間と共に苦楽を乗り越えて結果を出すためからではないでしょうか?ただ記録を出すのであれば、競走部という組織でなくても可能です。仲間と共に挫折を乗り越えていくからこそ、結果が出た時は何より嬉しいのではないでしょうか。
自分1人で戦っているわけではありません。先輩後輩限らず、挫折した時は相談してみるべきです。自分も多くの弱い面を見せて成長してきたと感じています。

3.自信


では次に、挫折をどう活かしていくのが良いのでしょうか?

それは自信に変えることだと思います。

僕はよく応援メッセージなどでも書かれるように、謎に自信家であると自負しています。(多分それに見合った実力はないのですが、、笑) それが時には悪い方向に働いている場合もあると思います。けれど、それくらい自信を持っても良いのではないでしょうか?
特に中長距離はレースにおいて、メンタルが占める割合が高いと感じます。自分に自信がなければ前を走ることはできないでしょう。なので、僕は自信がない時でもなんとかなるでしょうとポジティブ思考で生きています。実際割となんとかなるのです。
自分の場合は中距離を引っ張っていく以上、自分が自信を持っていなくてどうするんだとも思っていたので、謎に自信に満ち溢れていましたね笑。そのまま結果もついてきたらよかったのですが、そう上手くはいかず、、
後輩の皆さん(特に中距離!)には、是非自信を持って、そのためにはもちろん自信を持てるくらいの実力をつけてほしいと思います。

4.感謝


最後に。4年間の感謝を。

中距離の同期
癖が強いヒトが多かったですが、君らと陸上ができてよかったです。こんなブロック長でしたが1年間ありがとうございました。とりあえずマラソンまで頑張ろう。

中距離の後輩
後輩は特にいい奴が多すぎますね。時には仲間内でもバチバチしながら、強い中距離を体現してもらえたらなと思います。遊びに行った時は仲良くしてね。変なブロック長でごめんなさい。

中距離の先輩
先輩方(特に105代)にはとてもお世話になり、ご迷惑おかけしました。何も考えずひたすらがむしゃらに走っていられたのは、先輩方にそのような環境を作っていただいていたおかげです。最後まで結果で恩返しできずすみません。

サポートのみんなへ
大変お世話になりました。中距離はみんな違うメニューやるし、タイム叫ばなきゃだし、ビデオ大変だしでマネージャー泣かせだったと思います。でもそのおかげで頑張れましたありがとう。

書きたい人が多すぎてキリがないのでこれくらいにしておきます。
高校3年生の1月に初めて練習に来て300×21をやったのがつい昨日のようです。
もしかしたら来年も、土曜日は日吉に出没しているかもしれません。その時は仲良くしてもらえると嬉しいです。

やり切った一方で、まだ未練タラタラです。来年どうしようかな


4年間本当にお世話になりました。とても楽しかったです。
ありがとうございました。

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