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「最近」(木村千紘 短長)
部屋の片付けをしたいんですけどやる気が出ません。
短距離4年の木村千紘です。
自分がとうとうこのブログを書くことになり、引退が目の前であることの実感が湧きません。
何度も何度も「あっという間だよ」って言われるのに、わかっているのに!!
ここでは私のことを知らない人もたくさんいると思うので自己紹介〜陸上人生〜私の想いを僭越ながら綴らせていただきます。
長くなること間違い無しなので、適当に飛ばしながらでも見ていただけると心から喜びます。
自己紹介
氏名:木村千紘
所属:短距離ブロック、人材係
出身:岡山県
趣味:最近やってないけどゲーム、書道、昼寝
好きな食べ物:チーズとナッツ
嫌いな食べ物:豚足
座右の銘:継続は力なり
自己紹介は簡単にこんな感じで、、、
早速私の陸上人生に入っていきます。
中学生(陸上スタート)
陸上を始めたのは中1です。入部前は基本運動が嫌いでインドア人間でした。書道はその頃から大好きで、教室に通い詰めていました。
ですが、家族が体育会系ということもあり運動部への入部を勧められ、シンプルに足が速くなったら恥ずかしくないなーみたいなノリで入部しました。一応真面目にこなしていたので記録は順調に伸びていきリレメンにも入れたのですが、部内で喧嘩したりその他トラブルで陸上が大嫌いになりました。書道部に絶対入ってやる!!!そればっかり思ってました。(笑)そんな中最後引退試合で高校の先生から声をかけられたことと顧問の先生か頑張ってみないか、と言われたことで気持ちが揺れて陸上の道へ進みました。
高校生
迷いもなく陸上部へ入部を決めました。音花先輩(106代短距離)を始めとする陸上に本気で打ち込む先輩たちの姿に魅了され、憧れを抱き、自分も上の舞台に立ちたいと思うようになり、いつしか陸上漬けの日々が始まっていました。
しかし、ストイックに取り組み過ぎるが所以に無月経、右母趾疲労骨折。後者は陸上を続けるのであれば手術必須と言われ、迷いもなく手術を選択。無事回復したものの、リハビリのやり方もわからないまま復帰してしまったことで一気に体のバランスが崩れ、幅跳びの踏切やSDが怖くなってしまいました。ここで幅跳びを辞めることにしました。そして顧問の先生の勧めで、400に転向しました。初めての400レースで決勝進出をすることができ、まだ可能性が失われたわけではないと自信を取り戻しかけた矢先に、怪我に長い間悩まされることになりました。それでも、できる限りのメニューをして当時の自分なりに全力で取り組んでいました。
「お前ならすぐ59が出る」そう言われて自分にも期待を持ちながらシーズンを迎えようとした矢先に新型コロナウイルスの影響で部活動、試合が次々に中止になりました。これを機に引退を迎える仲間がほとんどでしたが、諦めたくないと気持ちを奮い立たせ、完全無観客の県大会4位、本来であれば中国大会への出場権を得ることができたので、そこまで自分がこれたことの喜びと今後の可能性への期待から、大学陸上に進むことを決心しました。
国公立進学を目指していましたが、「もう一度先輩と一緒に戦いたい」という思いで慶應への進学を決心しました。定期テスト頑張っていたのがラッキーでした。
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初めて五県を決めたマイル。朝日の皆、先生方、本当にありがとうございました。
ケツワレ楽しめました。
競走部生活
1年目
慶應入学、震えながらの入部面談を終えて入部!
しかし、慣れない地で背伸びをして入部をした結果、毎日が苦しかったです。練習についていけない、怪我が治らない、生活リズムが崩れる。それでも自分を甘やかすことは絶対にしたくなかったので、陸上のことだけを考えて(遊びとかは後回し)できることを最大限取り組むように心がけていましたが、1年の冬にオーバートレーニング症候群を発症、1ヶ月間集合に出るだけ出るような生活を送りました。
2年目
休めば回復するかなと思いきや、結局2年時のシーズンも試合にほぼ出ず結果も残せずただ苦しいシーズンになりました。正直2年のシーズンの印象がほぼ残っていないくらい薄い一年にしてしまいました。
3年目
では、3年は?これまた辛かったです。選手を辞める事をついに考え始めました。
3年生ではマイルの補欠に入りましたが、正直自信はゼロで一緒に練習するのが怖いとも感じていました。実はダントツで遅いとわかっているメニューは言い訳をして本数を減らすといった逃げもしていました。そんな状況だったから、関カレのとき自分が走ると宣言できませんでした。
3年生は大きく離脱することはなく、試合数も少し増えましたが、相変わらず結果は出ませんでした。そしてついに一番深く関わった106代の先輩方が引退し、一緒に戦う機会を失うことの悔しさ、寂しさでしばらく抜け殻になりました。
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ラスト冬季
これから何を目指せばいいのだろう、そう悩んでいる中私を奮い立たせてくれたのは、引退された先輩からのメッセージや同期、後輩たちの次シーズンに向けた熱い姿勢でした。「まだ可能性があるなら、全身全霊で立ち向かって最後に仲間や家族、恩師に恩返しをしたい。」そういう思いでラストの冬季をスタートさせました。テーマは「人一倍努力する」。これまで悩んできた怪我の原因を改善し、離脱することなく練習に参加できるようになっていき、ムキムキにもなりました(笑)。何度も何度もぶっ倒れましたが、これだけやったのだから大丈夫、という自信もついてきました。
ラストシーズン
やっと。200は5年ぶり、100は6年ぶりにPBを更新しホッとしました。4月の横浜市のあと、日吉に帰ったときにみんながおめでとうって言ってくれたことが今でも鮮明に思い出せるくらい嬉しかったです。それと同時に、関カレを切れなかったことの悔しさも滲ませていました。
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シーズン中盤
あれ…?冬季で強くなったはずなのに、また怪我。そして体調不良多し。自分は最後まで結果を残せないのかもしれない、また結果が出なくなったらどう思われるだろう、そんな悩みばかりで押しつぶされました。
特に地元開催の県選で強くなった姿を見せられなかったのは本当に悔しくて、何度も家族に謝りました。その時親に言われた言葉が、後半シーズンに向けて私を立ち直らせてくれました。
「誰が、じゃない。自分のために最後まで走りなさい。」
その言葉で、今まで責任を感じすぎるあまり、周りからの印象を意識しすぎていることに気づきました。それは陸上以外の日常生活でも表れていました。
素の自分を抑え込んでいたんです。ありのままの自分でいたことがなかったんです。
そこからは自分の成長に意識を向けるようになって、きつい練習も一人で出し切れたり、試合への恐怖が薄れていきました。
シーズン終盤
そして、先日行われた慶同戦で12秒台を出すことができました。3種目というハードな一日でしたが、終始、素の自分で、笑顔で、いることができました。初めてと言って良いくらい、やっと自分に「よくがんばってきたね」って言えるようになりました。
でももうちょっとタイム出したかった、いける気してた!!
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伝えたいこと
もう少しお付き合いしていただけると幸いです。
こんな私の経験から、皆さんに伝えたいことを書かせていただきます。(偉そうにごめんなさい!)
それは、ありのままの自分を受け入れ、信じてあげてください。
陸上を続けていく中で、常に順調ということはほぼなく、怪我や病気などの様々な障壁と何度もぶつかります。障壁を前にしたとき、自分と周りを比較して苦しくなったり、言い表せないような不安に襲われたり、仲間に会うことが辛くなったり。色んな感情が湧き出てくると思います。もしかすると「もう走りたくない」といった陸上から背を向けるような思いもあるかもしれません。
競走部は陸上競技をエンジョイするのではなく、結果にこだわっていきます。
そのような環境の中では、つい結果を残さないといけないとばかり思うかもしれません。
もちろん、意識高く取り組んでほしいとは思います。
ですが、是非自分の気持ちに正直になってほしいです。
先述したような負の感情や義務感を抑えながら過ごしていくことって本当に辛いと思います。嫌いな食べ物をおいしいねって苦笑いしながら食べるような感覚がずっと続いてしまうようなものです。渋いですよね。(笑)
そこで自分の本当の気持ちに耳を傾けて、自分にとって陸上とは何か、競走部とは何かを再考してほしいです。一旦、競走部員だから体育会だからこうあるべき、みたいなのは置いておいて。あくまでも自分は自分というのをベースとして。そうすれば、自分がどうありたいかを見つけることができるのではないかと思います。
そして、理想像と現実のギャップがあったとしても、自分を信じて、最後まで頑張ってみてください。
皆さんは、人生の夏休みと呼ばれる大学生活を、身を粉にして陸上競技に捧げる決心をし、入部しているんです。
誰もが簡単にできることではないと思います。
強いから、できたことだと思います。
そんな皆さんには成長のポテンシャルがあります。よく怪我などをしたときに、「ああすればよかった」という所謂タラレバが思いつくと思います。タラレバの中には、「あのとき〇〇して□□すれば、△△できた」みたいな具体的なこともあると思うのですが、そう考えられるようになったことは成長だと思います。
また、同じ怪我やミスをしたとしても、その怪我やミスに対しての対処の仕方や考え方は同じではなくなっていると思います。
そういう変化も成長だと思います。
気づかない内に皆さんは成長しています。そして、強い芯を持っています。大丈夫、自信を持ってください!!
家族へ
10年間、私を支えてくれて、応援してくれて、ありがとう。
高校、大学と家から離れたところに進学を決め、かつ陸上漬けの日々を送ることになり、かなり負担を大きくしてしまったと思います。
加えて、外では無理していた分家族にはたくさん強く当たったり、弱音を吐いて悲しませたと思います。それでも、私の気持ちを尊重して最後まで支え続けてくれたことに感謝しかありません。
目指してきた場所には届かなかったけど、最後自己ベストを報告することができて、喜んでくれる姿を見ることができて、本当に嬉しかったです。
千紘ならできる、そう背中を押し続けてくれて本当にありがとう。
少しだけど、強くなれたよ。
これからも自分らしく、笑顔を大切にしていきます!
競走部の皆さんへ
正直、4年間、いや10年間、とてもとても辛かったです!もうほんとに!(笑)
何度も何度もやめたい、やめたほうがいいのかな、自分には無理かな、そんなこと思い続けてきました。
それでも気づいたら陸上の事を考えているくらい陸上が大好きになっていました。そんな大好きな陸上を大学4年生まで続けることができたのは、皆さんが一緒に走り続けてくれたおかげに他なりません。
チームにほとんど結果を残せなかったことは心残りです。
そして描いていた夢に対してギャップが広がる一方であったことも、非常に悔しいです。ですが、素敵な仲間と環境に恵まれながら全身全霊で陸上に立ち向かえたことは誇りです。間違いなく、これからの人生において背中を押してくれる経験ばかりです。
競走部の皆さん、本当にありがとうございました。
皆さんが笑顔で陸上人生のゴールを迎えることを祈っています。
がんばってください!!
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