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「クサイのは足だけにしろ」(篠田琉誓 中距離)

山岸と同じ日に公開です。今日のメンバーは魔界だとか言われているのでしょうか。この写真は大1のはじめに撮った写真です。新入生紹介に載せるやつだったかな?この頃からクセの強い代になるかほりがプンプンしてきます。
さあ、僕はクサイ話が好きではなく、あまり口に出してこなかったですが今回はたくさんクサイ話を書いていこうと思います。性格上、真面目な話は向いていないのですが、せっかくの機会をいただき、文字ベースなので思ってることズラーっと書きました。卒業まで20単位ある中必死に書いたので皆さんいいねお願いします。書きたいこと書いたら4000字超えました。とりあえず2単位落としました。

さて、何を書くのか悩みました。僕の周りの同期は毎年考えて追加してるよとか言っていたので焦ります。僕は普段フワフワというかフラフラしてるので4年間何を感じたのか、今後の進路について疑問に思ってる方が多いと思います。なのでそこらへんについて書こうと思います。


Youは何しにここへ

そもそも大学で陸上を続けるかどうか非常に迷っていました。
というのも、高3(高2)で完全に気持ちが切れていました。総体前に少し重めの怪我をしてしまい、総体に出れないと思い非常に悔しかったのを覚えています。そんな中、コロナで総体が無くなるとの話を聞き、安心して引退しました。2年間で800mは16秒伸び、これ以上伸びないと感じたからです。僕は小学生の頃は水泳に打ち込み、中高は陸上に打ち込んでいたので、急に熱中しているものが無くなってしまいました。そこで始めたのが勉強です。当時6年ぶりに勉強をはじめました。留学に行きたいという気持ちもあったので陸上の熱は完全に冷めました。しかし駅伝は開催されるとの情報が入りました。人数も足りないので練習をする必要がありました。走ってないどころか家から出てないので怪我は治ってました。惰性で練習をし、夏に800m2’05, 3000m11’30, 5000m17’03という記録を出しました。奥から長文が送られてきたのを覚えています。トークを消してしまったので僕の手元には残ってませんが、アナウンスで残ってました。

「俺はお前にやる気を求めている。(以下500字)」

奥泰貴

なんやこいつと思いつつチームのためにもちゃんと練習をし、駅伝も無事終えました。引退と同時にTAC(資格の予備校)に入ったので、大学では陸上をやらないつもりでいました。そんな中、風の噂であべりくと鳥塚が慶應に来るという話を聞きました。大学がどれだけレベルが高いのかしっくり来てませんでしたが、中学から神奈川の最前線で走ってた人達が来ることを聞いて理解しまし

た。彼らは神奈川中長距離なら誰しもが知っている人です。この人たちと同じ環境で走れることが楽しみで、もう一度陸上に火がつき入部を決めました。足が遅い僕ですが、中高持久走学年1位で自分はトップレベルだと勘違いしていたので、勝手に彼らをライバルだと思っていました。(結局彼らと一緒に走れるどころか肩を並べられることはなかった。)

実は高2であべりくと走ってます。(予選で20秒以上差がある) 僕は鼻テープ、磁気ネックレス、ファイテンシール、ナイキの1番高いスパイクというガチ装備(意味ない。みんな一度は通るやつ)で挑みましたが彼はユニフォームとシューズだけだったのを覚えています。(スパイク無し)ライバルとして明日頑張ってください

と同時に、長文ニキを超えたいという気持ちも芽生えてきました。
(最後まで奥の入部時すら越えられなかった。)

僕は中高弱小校(唯一陸上が弱い慶應付属校)でしか陸上経験がなかったので、このようなレベルの高い環境で陸上にうちこめることにワクワクしていました。さあ、入部面談。恐怖で震えました。主務からは、来年もこのタイムだったら主務系ね。という条件のもと入部させてもらいました。(危うく僕が主務になるところでした)当時僕は800m2’01で1番遅く、次に遅い人が1’57という環境でした。中距離男子で全中標準すら切っていないのは僕だけで、メンタル的にきつい時期が続いていたのを覚えています。自称中高学年1位の僕が最下位ということで、やっと勘違いから目を覚ました瞬間でもあります。
朝昼夜問わず競技場に行けば山岸と佐口は絶対にいるという大学1年生。同期と練習するのが楽しく、必然的に練習量も増え、大2の春に1’55を出すことができました。感謝しています。それから小さい怪我や体調不良で継続して練習ができず、ずっとスランプでした。大3からは不調だからこそできる実験をしてました。アップjogを補強に変えてみよう、jogを無くしてweightをやってみよう、中強度の練習を無くしてみよう、AT値だけの練習をしてみよう、みたいな。中距離って種目柄、色々なタイプがいて練習スタイルなんて無限にあります。コーチもいないので自分で正解を見つけていく感じがすごく楽しかったです。(最近実験に失敗し、2‘02を出してアフロになった)

楽しんでないで部に貢献しろ
すみません。僕は4回公式戦に出場する機会をいただきましたが一点も取れず終わってしまい、無力感と情けなさでいっぱいです。やっと楽しむだけではだめだ、部に貢献しなければという感情が芽生えました。

4年間を通して

〜努力〜

力をこめて事をすること。 あることを成し遂げるために、休んだり怠けたりすることなく、つとめ励むこと。 また、それに用いる力。

Wikipedia

篠田「なるほど、では集合に出ることも補強もjogも生活リズム正すことも努力か。努力に満ち溢れた4年間だったなあ」

佐口「余裕で4年間チョンボ0回ニダ」
井上た「補強は日課ですね」
山岸「jogは呼吸ンゴね」
仲子「生活リズムと食生活は当たり前や」

ヤバー「しの」

この4年間を通して、自分の“努力する基準”、“当たり前の基準”が低すぎるということに気づきました。自分の中でめちゃめちゃ頑張って、誰にも負けない努力をしているつもりが、みんなの日課を努力して頑張っているだけだったのです。これは一例にしかすぎず、トップレベルの方のブログを読んだりするとたくさん気付かされることがありました。第一、練習なんて1日3時間。ブロック内であればみんなやる事はほぼ同じ。ブロックの人に勝ちたければ他の21時間をどう過ごすかだと思います。すごい当たり前のことですが、当たり前の基準を上げる事は重要です。自分のことに夢中になり過ぎず、広い視野を持って、他人に興味を配って練習してみてください。

〜オーバーワークだと思い込んでいた怪我〜

僕はオーバーワークで何度か怪我をしてきました(今振り返ると、ケアをしたことないのでそれが原因です。怪我するほど練習してない)ので、怪我を恐れて練習量を控えている時期がありました。そんな中、全カレ前の仲子のブログに書いてあった「自分の到達したいところに行くためには、リスクを背負ってでも、その選択を取る必要があったから」という言葉を見てハッとしました。怪我のリスクを背負った最大限のケアと努力、自分にはできていなかった、本気で陸上に打ち込めてなかったなと。それに加え、長距離を選ばなかった理由に、そんな頑張れる自信がないというのもありました。その気持ちがある限りは上で戦えることは無いです。まず、記録云々より、本気で打ち込めなかった4年間に後悔をしています。そもそも努力が努力ではなかったことに加え、本気になれていない自分がいました。まだいけます。まだ犠牲にできます。この部活には本気で頑張っている人がたくさんいます。この人たちと肩を並べられるよう、あと一年本気で頑張ってみようと思います。意外と引退する身になって、客観的に自分を見ないと気づかない事です。

僕の進路について


書くことでもないと思いますが良く聞かれるので書いておこうと思います。
来年留学に行くまでの間は陸上を続ける予定です。
元々ダブルディグリー制度に憧れていましたが、陸上を捨てられず諦め、修士を取ることに決めました。学費がかなり高いので2025でいけるか、2026でいけるかは引退後の資金集めで決まります(あとは合格できるかどうか)
ここで問題なのがどうやって陸上を続けるか
いくつか商学部のプログラムにも入っていて、休学や留年の選択肢は取れません。なのでもう一度慶應に入り直して陸上をしようと考えてます。(通信ならいけるのではないか)
何十万払ってでも続けたいという気持ちがあります。後悔を晴らしたいだけでなく、もっと続けたいという気持ちが湧き出るぐらい、慶應競走部は素晴らしい最高の環境でした。みなさん知ってると思いますが今シーズン僕は中学生みたいな記録ばかり出しています。春先は奥や吉田と競り合えてて、全カレも行けると思い目指していましたがその夢も散っていきました。全カレ締切直前に39度の体温計を見つめながら来年も続ける決意をしました。みなさん引退したく無い気持ちは絶対にあるはずです。就職をするならば競走部に残る選択肢はありません。そんな中勝手に続ける選択をすることは何かずるい気がしてあまり言えませんでした。新入生歓迎式で全カレで戦うと宣言し、それを達成するまでは陸上から離れられないと思います。当時はとりあえず言ってしまいましたが、競走部が、みなさんが本気にさせてくれました。僕のことなので口だけで終わってしまう可能性はありますが、来年戻ってこれたらその時はよろしくお願いします。

最後に

皆さん、なぜきついトレーニングをしているのでしょう。

1楽しいから
2成し遂げたい目標があるから

この2種類があると思います。
前者の場合、トレーニングを息抜きとして、趣味としてできます。つまり後者の努力を息抜きとしてできます。後者の場合、目標に向かって努力として陸上をします。僕は残念ながら前者ではないです。きつい陸上を一人でやるのは大嫌いです。頑張らないと努力できません。(シマザ○キさんのようにトレーニングが好きなMもいるそうです。)なので怪我をして目標を見失った時、陸上をやる理由がなくなります。しかし僕は部活を辞めたいと思ったことは口に出したことがないどころか、思ったこともありません。それは部活に行きたい、楽しいと思える場所を作ってくれた皆さんのおかげです。個人競技でありながらチームなしで陸上はできていなかったです。トレーニング自体は好きになれなくてもトレーニングをする環境はとても好きで、そこでの会話は大切な時間でした。チームの素晴らしさ、大切さを強く感じた4年間でした。これだけ何不自由なく引退できたことに感謝しています。
一旦区切りとして
4年間ありがとうございました。


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