見出し画像

「犠牲にする覚悟」 (西元寺 遼介  短距離)

開いていただいてありがとうございます。107代短距離ブロック所属の西元寺遼介です。

引退に際してブログを書く機会をいただきました。毎年この時期になると引退する先輩方のブログが更新されます。その人がどんな想いで陸上と向き合っていたのかをよく知れる貴重な機会なだけに、毎年更新を楽しみにしていたことを良く覚えています。

しかし、いざ自分の番になると自分の想いを上手く伝えられるか不安でとても緊張しています。稚拙な文章になると思いますが言葉を紡いでいきます。よろしくお願いします。


略歴

まずは簡単に私の陸上競技人生についてお話しします。陸上を始めたのは中学校の部活動でした。小学生の頃もテニスや水泳、野球など様々なスポーツに取り組んでいましたが、部活動として陸上を選んだ理由は「走ることが好きだったから」。始めた当初はチームメイトと毎日のように競走して純粋に陸上を楽しんでいた記憶があります。

そして中学2年生の時に400mと出会います。徐々に頭角を表していき、中学3年時には全道大会で3位、全中標準まで0.03秒のところまで迫りました。この頃になると他校のライバルや先生方と交流を深めていき、陸上を通じて自分の知らない世界が広がっていく感覚を味わうようになりました。

高校に入学してからは400mHに注力しました。400mHはハードルという目標があり、それを上手く超えていければ自ずとゴールが見えてくるので個人的には400mよりも戦略を立てやすく、とてもやりがいのある種目でした。そして私は高校2年時にこの種目で初めての全道大会優勝と初めての全国大会出場を果たします。思い返せばこの頃が私の陸上人生のピークだったと思います。走るたびに自己ベストを更新する快感、走るたびに周りから称賛される快感、走るたびに仲間が増えていく快感が堪らなく心地よく、この快感を味わうために陸上競技を続けていました。

迎えた高校最後の年、新型コロナウイルスが蔓延、インターハイが中止になりました。

私はその年の10月に行われたインターハイ代替大会の標準記録を突破していたため競技を続けるという選択肢もありましたが、チームメイトは受験勉強に専念したいという思いから1人、また1人と部活を引退していきました。そして私は同期がいない中で1人で競技を続けていくことに不安を覚え、7月で部活を引退しました。

今までの人生で最も後悔した選択です。

あそこで競技を続けていれば。悔やんでも悔やんでも足りません。

そこからの大学での陸上生活はあまりにも理想からかけ離れたものでした。勘を早く取り戻そうと急ピッチで練習を重ねた結果、大学1年〜2年の間に4度の肉離れ。大学3年時には関カレに出走することができましたが、大戦犯の走りでチームに迷惑しかかけませんでした。(今でも高野さんが去年の関カレの話をする度に自分が責められているように感じて勝手にナーバスになっています笑)そして大学4年生になってからよんぱに切り替えましたが時すでに遅し、ベストを更新することはできませんでした。

この4年間であの快感を味わうことは1回もありませんでした。

周りを見れば同期で世界で活躍する選手や自己ベストを大幅に更新する選手、入部時に私よりベストが遅かった後輩に何度抜かれたかも覚えていません。次第に悔しいという感情も湧かないようになり、ただ惰性で陸上を続けている時期もありました。

何で4年間も陸上やってたんだろう。


犠牲にする覚悟

さて、ここまで読んでくださった方は感じ取ってくれているかと思いますが、私は競走部で過ごした4年間で何一つ成し遂げることができませんでした。実力が伴わず、周りに迷惑ばかりかけ、勝手に1人で落ち込み、何も成せないまま引退。

ここからは私がどうしてこうなってしまったのか分析して自分なりに出た結論を皆さんにお話しします。私のような想いをする人がこれ以上現れないようにここに書き記すので、反面教師にしてこれからも陸上競技を頑張ってください。

結論から言うと、私には犠牲にする覚悟が足りませんでした。

何を犠牲にする覚悟なのか。全てです。

そう言われても分かりにくいと思うのでここからは例をいくつか挙げてお話しします。

例1:時間

まずは時間です。みなさんが競走部に入部した1年生の4月から引退する4年生の10月までどのくらいの時間を陸上競技に捧げることになるのか、計算してみましょう。

1日3時間の練習を週5日続けるとします。
1年を52週と仮定し、それを3年間続けます。
そして残りの4月から10月までの7ヶ月間を30週と仮定し、全てを足し合わせてみます。

(3×5×52×3)+(3×5×30)=2,790

つまりみなさんは4年間で2,790時間という膨大な時間を陸上競技に捧げているのです。(1日3時間以上練習する人ももちろんいると思うので最低値だと捉えてください。)

2,790時間と言われるとものすごく長い時間のように感じますが、実際はどれくらいの時間なのでしょうか。ここからは私が尊敬するポケモンマスターであるライバロリ氏が以前出した動画に参考になるものがあったのでそちらを見ながら考えていきましょう。

こちらの動画によると2,000時間勉強すると国家公務員総合職の採用試験に合格できるそうです。つまりみなさんが4年間陸上をしている時間で勉強をすれば国家公務員には楽勝でなれるということですね。ありがとう、バロリ。

例2:お金

次にお金です。これは時間よりも個人差が大きいと思うので一概には何とも言えませんが参考程度に聞いていただけると幸いです。

まず、半年ごとに部費3万円を納入します。
次に道具についてです。スパイクは3万円のスパイクを1年に1足購入するものとします。またランニングシューズも2万円のものを1年に1足購入するものとします。そしてその他のウェアやケア用品など1年間で5万円出費があるとします。
次に交通費についてです。私の場合で恐縮なのですが、まず日吉から横浜までの体育会定期が半年で16,850円かかります。そして横浜から辻堂までの通学定期が半年で45,450円かかります。(大会の開催場所までの交通費などは面倒くさいので省きます。)
そして大会参加費です。毎年1種目1,000円の記録会に10試合の参加するとします。
その他にもかかるお金は色々あると思いますが一旦以上で計算します。

(30,000×8)+(30,000×4)+(20,000×4)+(50,000×4)+(16,850×8)+(45,450×8)+(1,000×10×4)=1,178,400

つまりみなさんは4年間で1,178,400円もの膨大なお金を陸上競技に捧げているのです。

1,178,400円と言われるとものすごい金額のように感じますが、実際はどれくらいの金額なのでしょうか。ここからは私が尊敬するポケモンマスターであるライバロリ氏が以前出した動画に参考になるものがあったのでそちらを見ながら考えていきましょう。

こちらの動画によると213,960円でイギリスに1週間旅行ができるということなので1,178,400円あればイギリス旅行に5回も行けることになります。イギリスに限らず海外旅行に5回行けるとなればすごい金額であることが分かるでしょう。更に余ったお金でデカいピカチュウのぬいぐるみを3個ほど購入できるみたいです。やはり1人で旅行するのは寂しいのでピカチュウがいれば安心ですね。ありがとう、バロリ。(ちなみにポケモンを始めるために必要な経費は実際にはこんなにかかりません。みんな始めよう!)

問いと結論

ここでみなさんに問います。これほどのものを犠牲にする覚悟を持てていますか?

もちろん上記の2つだけではありません。陸上を続けるために犠牲にしなければならないものはまだまだあります。競技に影響するから食べたいものが食べられない。パフォーマンスを維持するために規則正しい生活をし続けなければならない。陸上の練習があるから友達と遊べない。彼氏/彼女とのデートもできない。etc.

私にはその覚悟がありませんでした。

大学陸上を高校の延長線上にあると考え、高校生の頃のように練習していれば記録が伸びていくと考えていました。今考えるとあまりにも甘すぎる考えです。大学生にもなると体の成長が止まり、走るたびに成長するなんて都合の良いことは起こらないようになります。そのため今までの練習では記録が伸びないようになります。変化が必要です。

全てを犠牲にして変化する覚悟、これが大学陸上で大成するために必要な要素だと私は結論付けました。

みなさんの中にはそんな当たり前なこと既にできていると思う方もいるでしょう。素晴らしいです。そのまま進み続けてください。絶対に結果はついてきます。保証します。結果が出なかったら私に言ってください。ハマトラを奢って差し上げます。

一方でそんな覚悟はまだできていない、惰性で陸上を続けてしまっているという方もいるでしょう。今から変えてください。今です。既に何千時間という時間が、何万円というお金があなたの後ろに溶けていきました。それらを無意味にしてはいけません。

つまりこういうことです。過去に意味を持たせるのは未来の自分たちです。それがどんな意味になるのか、どんな意味になれば過去は報われるのか、今一度考えてみてください。


最後に

さて、ここまで読んでくださったみなさん、しがないブログにお付き合いいただき本当にありがとうございました。

最後に伝えたいのは感謝です。

今日にたどり着くまで何度陸上を辞めたいと考えたか分かりません。(3年の関カレの後にはマジで悠真さんに退部LINEを送信する一歩手前までいきました)それでも今陸上競技を続けることができているのは、紛れもなく今ブログを読んでくださっているみなさんのおかげです。

自己ベストを出したら昼飯を奢ろうとお互い話し合い、結局1度も奢ったり奢られたりすることがなかった同期がいました。

自分より身長が高くて、自分よりスタイルが良くて、自分より足が速くて、自分より頭が良くて…全てのアイデンティティを持っていかれた同期がいました。

高校時代に全国大会を制し、大学に入ってから全国の皆に追われる重圧を背負いながらも今でも全国の第一線で戦い続けている私が一番尊敬する同期がいました。

3年の関カレ後に私がどうしようもなく落ち込んでいる時に慰めてくれて、一緒にサイゼリヤを食べ、ネカフェで共に一夜を過ごした後輩がいました。

私が3年の途中で部活からいなくなってしまい寂しい想いをしていたら、オール慶應の帰りの武蔵小杉駅で奇跡の再会を果たし泣きながら抱き合った尊敬する先輩がいました。

初めてみた時から明らかに次元の違う格好で日吉に現れ、お寿司を奢ってくれた監督がいました。

慶應の短距離のレベル底上げに尽力し、私の走りを見るたびに「ゲンジはデカいな」と褒めているのかディスっているのか分からなかったコーチがいました。

ケガをするたびにお世話になり、たまに訳が分からないほどの指圧でハムをいじめてくるトレーナーがいました。

いつも笑顔で選手とコミュニケーションを取り、誰よりも大きい声でタイムを読んでくれたマネージャーがいました。

こんなに素晴らしい仲間が集まった部活がありました。

本当にありがとう。

これからの慶應競走部の発展を切に願って筆を置きます。

               西元寺 遼介

いいなと思ったら応援しよう!