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「かっけえリーダーになりたいんだ」(吉川昂希 短短・サポート 107代目主務)

107代目で主務を務めました、短短兼サポートブロックの吉川昂希です。
自分の活動を振り返ってスローガンに行き着くようにと考えていたのですが、三輪と内容がどんがぶりしました。本当に、最後にこのブログを書くのはいろいろな意味で辛いです。

ただ4年間を振り返ってみる中で、選手として主務として皆さんに伝えられることがいくつかあるのではと思い、それについてお話しをしたいと思います。

自分には、入部時に立てた2つの目標がありました。1つは全く達成できず、もう1つも達成はできませんでしたが、限りなく近づくことができました。

2つの目標がなぜ達成できなかったのか、そこから見えてきたものが何かをこのブログで書き記したいと思います。


・origin


高校生3年生の時に、慶應の受験を決めました。

理由は、「競走部に入りたい」この一択でした。

理由は大きく2つです。

1つ目は、コロナで最後の大会が無くなる中で、全中を0.01秒で逃したリベンジをしたいと思ったからです。

部活から離れる時間ができる中で、冷静になぜ自分は全国に行けなかったのだろうと考えました。

もっと全国の出場を明確に思い描き、練習に取り組んでいれば、行けた舞台だったのではないか?そう思うととても悔しくなってきたのを覚えています。

3レーン岡村、5レーン吉川

2つ目は、岡村、大島、大越とリレーを組みたいと思ったからです。

当時の神奈川県の中でこの3人はスーパースターでした。一緒にレースをしたことのある岡村はもちろんのこと、大島、大越の新人大会の100mの決勝は、予選落ちの自分には衝撃的なものでした。

内部校から上がってくる彼らと一緒に練習を重ね、自分も一緒にリレーを組んで全国の舞台で戦ってみたい!自分も彼らと同じくらい速くなりたい!と思っていました。

(蓋を開けてみたら、三輪、豊田、岩井というさらなる化け物がいたわけですが)

自分がこれだ!と思うと、リスクがあってもガーっと走ってしまう性格に加えて、元々賢い人間ではないため、勉強には大苦戦しました。

中学卒業時から両親に、大学に行けないのでは?と心配され、見返してやろうと少しずつ頑張ってはいたんですけどね。。。

入試直前の12月の模試は出来なさすぎてメンタル崩壊してました。


それでも、共通テストが終わって、残り1ヶ月になったタイミングで、ここを逃すと一生後悔すると思い、死ぬ気で勉強。

第一志望の経済には落ちましたが、SFCが自分を拾ってくれました。(慶應以外の大学は全て落ちました)

自分が苦手な勉強を少し克服できたとかではなくて、自分の描いた夢を初めて形にすることができた感じがしてすごく嬉しかったです。

もはや自分にとっては、競走部に所属することは天命くらいの勢いで、この4年間に全てをかける思いでした。

当時の思いは、入部志望理由書に書き記し、緊張しながら入部面談に臨みました。

当時の入部志望理由書

今見返すと文量だけで多くて、とても読みにくいですね、、、笑

志望理由書に加えて当時考えていた目標は以下の通りです。

1、全日本インカレに個人で出場し、リレーで優勝すること

2、リーダーシップを磨き、チームを勝利に導くリーダーになること

この2軸をもとに自分の競走部生活がスタートしていきます。

・がむしゃららら


チームを見渡してみても自分が高校時代には会う機会もなかった、強豪校出身のメンバーばかり。

自分は間違いなく、超エリートの豊田、三輪、岩井という部員がいる中で、超影の薄いメンバーでした。

リーダーとかいう話の前に、まずは練習して結果を出さなくては話にならない。

その思いで、1年生の夏は必死に練習に取り組みました。

とりあえず、夏休み中は、毎朝9時には来てひたすら腹筋と背筋しまくってから練習に臨むようにしてました。8月の中旬くらいには、そこそこ早くなってきて感じがありました。

とにかく、必死に練習にはくらいつき、結果を求めて無我夢中といった感じでした。

ただ、バイトも週3かつ夜まで働いていたこともあり、気がつくと体のバランスが崩れていきました。それでもメンタルでは負けてはならないと思ってしまい、そのまま練習を続行。皆さんもお気づきでしょうが、怪我しました。めちゃめちゃ萎えました。

みんなで出場するはずだった、関東新人にも出場できず、ひたすらリハビリをする日々で面白くなかった。(横田のブログの写真に写っているのを見て、思い出しました。)

画質荒いけど、このあと肉離れします。

怪我をして初めてトレーナーさんのお世話になりました。

担当トレーナーは競走部の占い師ことさわさん、そして当時みならいのすずです。

すずのことは、中学の時から走り方が超絶特徴的な奴というので一方的に知っていました。

怪我をしてから初の絡みだったのですが、ひたすら自分の足首チューブをじーっと何も喋らず見つめるすずがとにかく怖かった。

お二人のおかげで冬季前には肉離れも治り、走れる体に戻ってきました。

大学1年秋

でも、何だかハムの違和感が取れないんですよね。さわさんに見てもらいつつ、練習を続けていましたが、2月のTTで肉離れ。あっという間にシーズンインをして、関カレ前にレースにでて再発。下級生の時は、選手としても部員としても何もすることができなくて苦しい日々でした。

・チャンスとトライ

と、ここまで弱小部員の練習日記になっていますが、2つ目の目標に影響を与えるイベントが発生します。

それが、1年生の時の早慶戦でした。コロナもあり、1年生は行く必要もなかったのですが、希望をして見に行きました。

試合の内容とかも色々思い出すところがあるのですが、それよりも早慶戦が97回であるということが自分の中で引っ掛かりました。

もしかして、自分たちが4年生の時に100回じゃね??

自分がリーダー学年の時に、100回って激アツじゃないかと勝手に心踊らせました。

そして、同時に絶対に100回大会は勝ちたいという新たな目標が自分の中で生まれました。

そこからは、少しずつ自分だけじゃなくて、チームが強くなるにはどうしたらいいんだろうと考えるようになりました。

第97回早慶戦、やりの補助員やってました。

そんな中で、もう一つの転機となったのが、リクルート係への移籍です。

慌てて返信して、誤字ってますね、、、

やっと何かチームに貢献ができる!それも、リクルートという部にとってすごく大事な仕事であり、まさしく自分の代で強くなるためにも必要な仕事と思い、これは頑張るしかないと思いました。

豊田と一緒にAO入試の指導をしたり、体験の部員の案内(夏に林をちょっと案内したのを鮮烈に覚えています。入部してきた時めちゃくちゃびっくりした笑)、体験会をきさらさんや三浦さんと準備したりと本当に忙しかったけど、自分の強みを活かしながら、自分の目標に向けて少しずつ進んでいく感じがすごく楽しかった。

また、塾バイトもしていたので、受験の知識は他の部員よりもありました。ここで週3で塾バイトを続けていた成果を発揮するチャンスというのもありました。

塾バイトをしていたら、部活とも色んな繋がりが出てきたりして面白かったです。

塾バイトで当時から暇さえあれば部活の話をしていた、きむともがまさか競走部に入るとは思いもよりませんでした笑

自分をリクルートに入れてくれた、河野さんと田村さんには感謝です😭

選手としても転機が訪れます。

前にも少しブログでお話ししましたが、三輪の関東インカレでの200mの決勝です。

自分の立ち位置を突きつけられたのと同時に、自分が選手として足りていないことが明確になってきました。

自分が本気でやっていると思っていたことが全く本気ではなかったと気付かされたことは選手として成長するきっかけになりました。

やっと試合に出場することができたのもこの時期でした。奥と慶大競技会に出場して、敗北したことは今でも悔しいけど、超楽しかった笑


ALL KEIOで再戦です笑


兼の横で100mを走り、ボコボコにされました笑

ただ、楽しく走れていたのも束の間、また肉離れします。

残す部活生活もわずかになってくる中で、1つ目の目標の難しさを感じ始めました。

それと同時にトライアルをしていた主務系で働く中で、本気でチームと向き合う人達と出会いました。

サポートの先輩達はもちろんのこと、部室にいる時間が長くなる中で自分が帰ってから練習に励んでいる選手がいたこと、そしてその選手達と話をする中で強い選手がなぜ強いのかを理解し始めました。


中でも、全日本インカレを帯同できたのは自分の部活生活の中でも超貴重な経験でした。

篠宮もブログで書いていましたが、三輪の100mの準決勝は本当に痺れました。

勝ちにきている選手の本気の集中力と気迫、狂気じみたものをリアルに感じました。

また、活躍する選手を裏から支える、サポートの先輩方と一緒に働けたこともしんどいを通り越して、めちゃめちゃ楽しかった。

そして、段々と1年生の時に思い描いていた、目標が自分の中で明確になってきました。

「自分の強みを活かして部を強くしつつ、選手としても結果で部を引っ張れる存在になること。」

106代目幹部として走り始めて、勢いのある先輩方にもみくちゃにされながら、自分としてやり尽くすことを心に誓いました。

<106代目幹部就任挨拶リンク>

https://keio-tf.org/2022/11/15/106newteam/maneburo/

主務補佐兼リクルートマネージャーとして色々やりつつ、選手としても格上の選手達に絶対負けないという心持ちと行動をする。

練習中も廣木さんにビシバシ教えてもらいつつ、練習後はとりあず「どん」を食いながらチームについてあーでもないこーでもないと語り合いました。

ご飯にも力を入れて、一冬で5~6kg体重を増やし、合宿こそいけませんでしたが、絶対にリレーメンバーに入るという思いで練習を続けました。


練習で死んでいる自分、この後廣木さんにケツ叩かれました。

でも順調に練習を詰めていたのは、間違いなくすずのおかげです。すずとケアしている中で、怪我しないために何をしたらいいかが段々わかってきました。本当に感謝してます。

  • be professional

あれじゃあなんで、選手辞めた??

ここでもう一つの大きな転機となったのが、東京六大学の国立競技場開催です。

竹内も触れていましたが、これは本当にやばかった。

自分は協賛会計担当を志願して仕事をしていましたが、何をしたらいいか最初は本当にわかりませんでした。参考になる資料なんてものはなくて、わからなくても責任者は自分だから、自分で道を見つけてきて決めなくてはならない。

各所から怒られるし(竹内ほどではないですが)、わけわからんしまじで逃げたくなりました。

もうかなりきてしまっている竹内

ここでまた一つ、自分の本気が本気でなかったことを突きつけられました。

協賛担当だったので、自分が相手にするのは普通に会社員の方々で、普通にこの道のプロの方達です。

プロってこういうことを言うのかと思い知らされました。それと同時にまだまだ自分もいけると思いましたし、プロの方々が手伝ってくれているこの大会を絶対に成功させて、選手、会場の観客、協賛の企業の方々、全てを笑顔にしたい!そう思いました。

それもあって、何度でも言いますが颯太が100mで優勝した時は、本当に嬉しかった。

自分達が準備をしてきたヒーローインタビューで慶應の選手が優勝を果たし、やり取りをしていた協賛の企業が用意をしたプレゼントをもらう。

しかも、ヒーローインタビューで自分達のことを思って走ったと話す。超嬉しかったです。

革靴穴空いたのどうでも良くなるくらい嬉しかった。

でも大会を通して気がついたのは、本気で仕事をやろうとするにはそれなりに犠牲が伴うということ。

大会3週間前くらいからは一切練習はできませんでしたし、大会が終わってからも色々仕事が残っていました。


同時に自分が主務補佐としてやってきた仕事がいかにパフォーマンスが低かったかを思い知りました。

残された部活生活が残りわずかとなる中で、自分が出せる最大値が競技を続けることなのか迷ってしまいました。

迷った末にやっぱり自分がみたい景色は、自分が選手として活躍する姿ではなく、チームのみんなで勝利を分かち合う瞬間だなと考え、競技を一時的に辞めることを選びました。

・理想のリーダーってなんだ??

主務になることが決まってからは、正直あんまりうまくいきませんでした。というのも主務になる準備を本気でしてこなかったので、ボロが出てきました。

公式戦運営という観点でいくと、竹内におんぶに抱っこ状態だったし、幹部としての動きも思い描ききれず、自分の価値をうまく発揮しきれませんでした。

このままじゃいかんと思い、色々勉強をし始めました。

改めて107代目としてスタートをする前にちょっとずつ、自分の思考がまとまり始めました。


LEAP行ってよかったなあ、リクルートはイベルに任せれば大丈夫だと思っていたので、優先順位低め

とにかく、チームを強くすることに時間をかけてこだわることにしました。

以下の2つは自分の軸として据えました。

・公式戦運営だけに注力するのではなく、選手が必要なトレーニングだったり環境を整えること

・コストカットと新たに強化のためのお金をしっかりと確保する

今見返すとほとんど達成されていなくて、萎えますね。

ただ、それもそのはずです。なぜなら、部を見る視点が浅すぎた。

改修期間でもあったので、部員が何に悩んでいるのか、今強くなるためには何が必要なのかにより耳を傾けなくてはならないと思いました。

・どんなに仕事が進みにくかろうが、できるだけ1階で作業をしてみんなと過ごす時間を増やして、みんなが何に悩んでいるのかを知ること

・マネトレとよく話して練習を見ている中での些細な気付きに耳を傾けること


毎日気付きばかりで書きまくっていました。

特に2個目はめちゃめちゃ重要だということに気がつきました。

颯太もブログで書いていましたが、うちのマネトレってまじですごいんですよ。1聞いたら100返ってくる。特に松木、吉野は本当にすごい。

2人と話をしているだけで、自分が次にすべきことがポンポンと決まっていきました。

自分で考えるよりも、彼らから見た視点に耳を傾けながら、仕事を進めることがめちゃめちゃ大事だと思いました。

主務としての視野が広がったのは、全体合宿の時でした。

今まで、あんまり見ることができなかった跳躍や投擲の練習をみたりして、メキメキと選手が成長していることに驚きました。

みんなの努力はもちろんなのですが、コーチ陣の指導力の高さに度肝を抜きました。

今まで、佐藤先生や中島さんとお話しする機会がなかったのですが、コーチ陣から見た選手はまた全然自分とは違う見え方で、勉強することばかりでした。

そんなこんなで、色々な人達と話をしているうちに、このチームに必要なものだったり、強み弱みが見えてきました。

チームについて聞かれたらなんでも自信をもって答えられる、やっとチームのリーダーらしくなれた気がしました。


みんな笑ってる

就活は全く手をつけていませんでしたが、部活のことを聞かれたら、絶対に何でも答えられる自信があったので、それでゴリ押しました。(おすすめしません、普通に就活頑張ってください。)


もう一つ自分を大きく成長させてくれたのは、他大学と一緒に取り組む公式戦運営でした。

初めは、自分がどんなリーダーシップを取ればいいのかわからなかったのですが、自分の中で2つ軸が生まれました。

・六大学対校戦を陸上界でもっとも盛り上がる競技会にすること

・運営に関わってくれたメンバーがやってよかったと心から思えること

2つ目は、正直意識しなくてもみんなめちゃめちゃやる気を出してくれて、勝手に出来上がっていきました。

六大学運営メンバー、また飲みに行きたいなー!!

大会当日メインスタンドが満パンになって、地響きのように唸る応援、そして活躍する選手達を見て本当に感動しました。

マイルは本部で応援しまくっていました。

自分達で頑張ってきた、大会が形になったという喜びももちろんありましたが、慶應のメンバーが大活躍してくれたこともめちゃめちゃ嬉しかったです。

あとちょっとで優勝が見えたと思うと、悔しいのですが、それでも本部で他大学をよそに嬉しくて吠えまくっていました。こんな経験をさせてもらえて本当に幸せ者です。

そして、主務として迎えた大一番の関東インカレ。
関東インカレの戦力分析を見た時は、最初は2部落ちするかもしれないと震えました。でも、チームとして冬季の間で選手、サポート、スタッフの頑張っている姿を見てきた中でなんとなくこの壁を乗り越えられると思えていました。(出場もしないのに偉そうですね、すみません。)

実は、インカレのサポートはちょっと苦手でした。自分もあっち側で活躍してみたいなという思いが湧いてしまうし、自分にできることが少ないと思ってしまうんです。

でも今年の関東インカレだけは、心の底から応援できたし、目標にこそ届かなったけど、冬季死ぬほど努力してきた選手達が活躍する姿を見ることができて、本当に楽しい4日間でした。ありがとうございます。


田島、、、

そんなわけで、六大学や関東インカレの間で、自分がなりたかったリーダーに少し近づくことができました。

当初思い描いていたのは、結果でチームを引っ張るリーダーでした。

でも大事なことは、みんなの思いを引き出して、聞き出して、それを形にできるようにアシストすることなんだと気がつくことができました。

・ダメなリーダーって何??

関東インカレまでは実に順調でした。問題はここからです。

簡潔に言えば、自分で抱えすぎました。

どう処理したらいいかわからない壁とぶち当たる中で、無駄に自分自身で責任を感じすぎていました。

自分の中で強いチーム像はぶらさず、やれることをやり切ろうと思う中で、どんどん抱えこみ早慶戦が終わって色々爆発してしまいました。

大事にしていたはずの、「みんなの話を聞く」が忙しくなる中で疎かになっていました。

これは通年の後悔ですが、もっと幹部のメンバーを頼ればよかったと思いました。

一番ダメなのは、主務として目指すべき目標から目を背けてしまったことだと思います。その意味で、理想の主務、理想のリーダーからは遠く及ばない結果となってしまいました。

そんなダメダメな主務でしたが、いろんな人の支えでなんとか走り切ることができました。

特に思いいれの強かった早慶戦は、負けてしまいましたし、反省も多くある大会でしたが、本当にいろんな人に支えられて走り切ることができました。

辛くても最後まで一緒に走り切ってくれた早稲田のみんな、ギリギリだったけど最後まで一緒に集客のために頑張り続けてくれた広報のメンバー(佐口と鴨下とは喜びすぎて終わったあと部室で発狂しましたね笑)

本当にありがとうございました。

これまじでいい写真

・最後に

ダラダラと色々書き示しましたが、結果的に2つとも目標を自分は達成することはできませんでした。それでもたくさんのことを勉強できたことは本当に幸せでした。

自分の座右の銘は、「石の上にも三年」です。意味はどんなにしんどくても、いつか芽が出るという意味ですが、自分の中でこの3という数字が大事だと思っています。

正直入部した手の自分には、この組織を引っ張るだけの器は微塵もありませんでした。それでも、3年あればなんとかなると思っていました。どれだけバカでも3年勉強すれば慶應にも入れたし、3年間あれば一皮剥けられると信じています。

自分も次の舞台で、さらにいいリーダーになれるようまた3年頑張ってみます。


あともう一つ伝えたいことは、陸上での経験は何も埋め合わせてくれないということです。自分が競技を辞めた選択は、結果的に間違ってはいなかったと思います。それでも、やっぱり活躍する同期を見て走りたいなーという思いは消えなかったし、何も埋め合わせはしてくれませんでした。

あとは、応援してくれている家族や支えてくれたサポート喜ばせたかったなと後悔しました。(今からでも遅くないと思って、練習しなおしています笑)

本当に競走部で活動できる4年間はかけがえのないものです。とにかく、自分のなりたい姿に向かって犠牲が何かあったとしても全力で取り組んでみてください。

お世話になった先輩方へ

これだけ成長できたのは、やはり主務系の3人の先輩方の存在があったからです。

先輩達が託してくれたから、自信を持って続けることができました。

とにかく、一緒に仕事をすることが楽しかったです。そう思わせてくれた、皆さんは一生自分の中で理想のリーダーです。感謝してもしきれません。

楽しかった2022全カレ


ずーっとスマホに入れてた、田村さんからの手紙。

たけ、ふじ

君らなくして、自分は主務として走り切ることができなかったです。最初は向いている方向も全然違うし、たくさんぶつかったけど、3人とも誰にも負けないくらい熱い思いがあったことが強みだったと思っています。部室に残って過ごした日々は辛かったけど、2人がいてくれたおかげで最高の青春だったなと思っています。最強の主務系だったと、勝手に自負しています。本当にありがとう。

ごりふじこんぶ

兼へ

本当にお疲れ様。もう何から謝ったらいいかもわからないけど、兼にもっと主将をやってよかった、最高!と思わせてやりたかった。それが一番の自分の使命だと思っていました。僕は本当に君からたくさんのことを学ばせてもらいました。学んでばっかりで、全然与えられなくて悔しかったけど、君と走ったこの1年間は僕の一生の宝物です。フィールドは変わってしまうけど、これからも君に何か刺激を与えられる存在になってやります。本当にありがとう。

ココヘッド一緒に登ったやつ

後輩は個別に話をさせてください。。。

これまでにお世話になって全ての方へ

書き切れないので、個別にまたお伝えさせていただきます。

ここまで支えてくださった皆様本当にありがとうございました。皆様のおかげで、本当に充実した4年間を過ごすことができました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

これからもどうぞ、慶應義塾體育會競走部への熱い応援よろしくお願いいたします。

以上をもって、自分の引退ブログとさせていただきます。

107代目主務 短短ブロック兼サポートブロック

吉川昂希

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