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初めまして!
牧島から引き継ぎました、長距離マネージャーの山内雄太です。

いよいよ僕のもとにも自己紹介の執筆順が回ってきました。果たしてどれほどの人が僕の自己紹介に興味を持つことやら。と思っていたのですが、割とたくさんの方々に長距離noteは読まれているようですね。中には先輩の名前を覚えるために読んだという新入部員もいて驚きです。僕はつい数日前に初めて読んだくらいです。いつも読んでくださっている皆様や将来の後輩のためにも、締め切り当日、授業中の執筆ではありますが、簡単に自己紹介をします。

自己紹介

名前:山内雄太(やまうちゆうた)
生年月日:2002年7月16日
年齢:21歳
学部:商学部
学年:2年
出身:青森県
出身高校:青森県立田名部高等学校

2002年生まれの今年で22歳が新入生?と首を傾げた方も多いと思います。その内訳は、現役で某大学に入学→1年で休学→1年の浪人生活を経て慶應に合格→2年生からの途中入部という形です。言ってしまえば堂々と休学しての仮面浪人です。そのため、今の4年生と同い年で、僕と同じく今年の新入部員である1年生とは歳が3つも離れているのです。
競走部では、1年生が毎度全体集合の前に部室や競技場の掃除をする”1年生集合”というものがあります。僕も新入部員として1年生集合に参加しているわけですが、そこで一緒に活動するフレッシュな1年生(18~19歳)の姿がキラキラ眩しいので、僕はいつもサングラスをかけて掃除をしています。


陸上経歴


次に僕の陸上人生についてお話しさせていただきます。
小学校当時は親の遺伝で走ることが得意で、校内マラソン大会で6年間3番を下回ったことがないことが自慢です。当時は野球部に所属しており、ピッチャーとして地区の選抜チームにも選出された経験があります。しかしそこで周りの子たちの実力の高さに圧倒され、中学の時に陸上部へとシフトチェンジすることにしました。

中学では練習すればするほど記録がみるみると伸び、、たのは中学2年の夏まで。そこから記録が伸び悩む日々が続きます(今でも3000mのベストは中2の時の記録です)。小学校の頃は周りの人より速かったので走ることが好きだったのですが、この頃から走ることが嫌いになります。なお今もです。

そのまま高校でもなんとなく陸上部へ入部するのですが、陸上への興味関心が元々ない上に、部活がものすごくフリーだったのです。そのため最低限の練習はこなすものの、そこでもタイムは全く伸びませんでした。しかし、30000mSCで一度だけ県大会で優勝したという輝かしい実績があります(高校駅伝直前かつほとんどの高校がテスト期間で、出場者はたったの5人だけというカラクリがあります)。その後の高校駅伝もチーム状況に恵まれ、東北大会に駒を進めることができました。

しかしラストイヤーはコロナの影響により各大会が中止となってしまい、大会に出ずに陸上生活を引退しました。その後、進学退学入学を経て塾競走部に入部しました。入部理由は色々とありますが、やはり一番は陸上チームとしての“懐かしさ”を感じたからです。説明会、体験入部期間を通して、陸上部独特と言いますか、中高時代の雰囲気を感じ取ったのが大きな理由です。もちろん大学レベルでは戦えないタイム&ブランク3年あるのでマネージャーへ。

おわりに

入部して約2ヶ月、長距離ブロックの部員をようやく全員覚えることができ、最近はタイム計測やビデオ録画もだいぶ慣れてきました。4月の頃は顔と名前が一致せず、話しかけるにも話せない状況が続いていましたが、ようやく覚えることができて一安心しています。僕の今の目標は、積極的に先輩とご飯に行くことです。競走部では誰かとご飯に行く時に先輩が奢る文化がありますが、途中入部なので後輩時代が1年少ないというビハインドがあります。来年からはさっそく奢る機会がどんどんでてくると思うので、今のうちに先輩を誘っていこうと思います(しかしながら浪人の影響もあり、3年生の年下の先輩に奢ってもらうときはさすがに気まずかったです)。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回の新入生紹介は、法政大学第二高等学校出身(めいもーん!)
環境情報学部1年、弓田一徹でございます!


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慶應義塾大学 競走部長距離ブロック 〜選手たちの軌跡〜
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