In a world where the COVID-19 and death exists.
世界が読み違えた
雲行きが、変わってきました。
初めは、中国の1つの地域の問題のようにすら思えた現象。
今では、世界に拡大していきました。
初めは、「致死率はとても低い」ということが唱えられていました。
今では、日本で最も有名なコメディアンが逝去しました。
初めは、「2週間自粛をすれば…」というようなメッセージが発せられていた期間。
今では、収束時期は、「1年以上」という言葉すら聞こえてくるようになりました。
「コロナはまだ収束しない」
少し前であれば、さほど帯びることのなかった信憑性を、その言葉は帯びています。
コロナと死の存在する世界で
「afterコロナ」(コロナの後)を目指していた世界が
「withコロナ」(コロナとともに)を意識するようになりました。
コロナは致死率が低いと言われていましたが、ここのところ、若年層への危険性も唱えられるようになりました。
世界中で多くの死者を出していることや、日本で最も有名なコメディアンと言っても過言ではない志村けんが逝去したことにより、コロナに「死」というイメージが付随するようになりました。
死は誰しもが必ず通る道ですが、新型コロナウイルスの流行により、それが遍在していることが浮き彫りになりました。
コロナと死の存在する世界。
それが現在の我々の生きる日常です。
そのような世界に、私たちは生きています。
我々にできること
私のお寺、立正寺のある宮崎県では、河野俊嗣県知事が、3月26日に以下のような呼びかけを行いました。
以下、朝日新聞の記事
インターネットで河野知事の言動を追っていると、随分早い段階でこの問題が長期化すると見込んでいたようです。
もちろん、他にもそういう識者の方もいることはいましたが、宮崎県におけるコロナのリスクといわゆる自粛をすることによる経済的被害を比較衡量し続け、度々、「応援消費」というメッセージを発信されていました。ある種の慧眼というのでしょうか。
宮崎の経済が疲弊することも見据え、行政の長としてはかなり冷静なリスク管理をされていたと思います。
これは、現在の状況の中、我々にできることとして、応援消費を示された1つの例と言えるでしょう。
では、お寺には何ができるでしょうか。
直接的には、ほとんどないと思います。
お寺にできるのは、少しでも皆さんの心を安穏にすること、それだけです。
しかし、それこそまさに仏教。抜苦与楽です。
身体はお寺の中から動けないことが多いですが、今がまさにお寺の出番と思って、私は今、とにかく思考を進めることに神経を使っています。
今は有事です。
ですが、世界が転換し、例えばオンライン化に示されるように、今まで生じ得なかった関係性が生まれています。
わたしも、オンラインとオフラインとが連動するような取り組みを思考しています。
こうしたことを考えている方との対話も進めています。
我こそはという方、対話しましょう。
森下 恵王 合掌
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身延山宮崎別院 立正寺 副住職
宮崎県宮崎市末広1-6-1
℡0985-27-1121
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