無理とか無茶とか

若い時に無理とか無茶とかしていたおかげで今があると思っている。

私が大学生の頃、私は多忙だった。それも自ら率先して多忙にしていたので結構なアホである。世間一般的には、大学生は暇である。1限を無くして10時過ぎに涼しい顔して2限の教室に入ったり、休日を作ったりと時間割を自由に決められる。必修の科目が1限にあるとブーイングの嵐である。いや、懐かしいですね。

例に漏れず私も、2年次は1限をなくしたり休日を作ったりと割と自由な大学生活を送っていた。バイトは19時~23時のを週3くらいと夏だけ働く海にちょっと関係するものなど(海の家ではない)。ここまではまあどこにでもいるような大学生でしたね。

では「私が大学生の頃、私は多忙だった。」とは何のことだろうか。厳密に言うと「私が大学4年次の頃、私は多忙だった。」である。

4年次に研究室に配属され、とある研究をしていた。授業がない場合は9:00~17:30?(記憶が曖昧)で研究室にこもり、常に実験→何らかの結果を出すということをしていた。日によっては20時くらいまで実験することもあった(大学によっては泊まり込みなんてこともしていただろうが、私の通っていた大学の研究室は夜中帯はセキュリティが作動し、建物内で何か動作を検知したらセコム砲みたいな感じであったので、そもそも泊まり込みNGであった)。
さてここまでであれば普通に働いている人のようなスケジュールであるが、これに加え、研究室を出たあと大学から行くのに1時間くらいかかる場所で19時~のバイトをしていた。電車を3本ほど乗り換えていたので、1本逃すと遅刻かつ分レベルの乗り換え(で精神をすり減らす)。これを週3行い、さらに土日は9時~18時の丸1日バイトを毎週行っていた。そのため、丸一日の休みが長期休暇時くらいしかないのに、長期休暇時はほとんどをバイトで埋め尽くしていたので、丸一日の休みは年に10日とかそんなレベルであった。
今思い返してみると当時の私はよくこのスケジュールをこなしていたな、と思う。相当無理をしていただろう。何故このようなことをしていたのかは当の本人ですらわからない。何が当時の私をここまでさせていたのだろうか。

ただ、この時の(アホみたいなスケジュールの)経験は今の私にとってポジティブなものとして宿っている。例えば何か辛いことがあっても「いや、昔アレをこなしていたよな・・・頑張ろう」と思えるし、疲れたときは「いや、昔のアレのほうが疲労感すごいよな・・・疲れたなんて言っていられない、頑張ろう」と思える。とはいえ現在の年齢で限界突破してしまったらさすがに影響が多大であるため、今は身体や心が限界の場合は無理・無茶はしないが、もうひとふんばりのところでは昔の経験が「頑張ろう」という一押しになっている。

さらに、この経験は新卒で入社した会社での無理無茶レベルの「頑張ろう」の一押しにもなっていたが、それはまた別の話。

大学生の時の「無理・無茶」が新卒で入社した会社での「頑張ろう」からの「無理・無茶」になり、現在の私の根本に宿るものとなった。この経験が無かったら今の自分は「頑張らない」諦め体質であっただろう。諦め体質の自分が今の状態・ポジションであるはずがない。自分自身の生活が今より良いものであるビジョンが見えない。

よって冒頭の通り。若い時の自分に感謝である。

「頑張らない」が何かと良いとされている昨今であるが、私は、他人に強制するつもりはないが、どんな人も体力気力のある若い時に無理・無茶をして「頑張ろう」精神を身につけたほうが良いと思っている。

私の現在はいい状態である。

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