大羅陽一氏の土地宝典に関する二論文の異同
はじめに
土地宝典について知りたいとき、入り口として使えるのが、国立国会図書館のリサーチ・ナビであろう。
さて、その参考文献に大羅陽一氏の論文が掲げられている。
そのリンクをたどると、デジタルコレクションの館内限定であるため読むことができない。元の書籍を所蔵している図書館も多くはないため、アクセスの難易度は高い。
一方で、土地宝典については、大羅陽一氏の別の論文が雑誌『歴史地理学』に掲載されており、こちらはインターネットで閲覧可能である。
この二論文は別物というわけではない。
前者の改訂版が後者である。
後者の末尾には次のようにある。
では、アクセスしやすい『歴史地理学』所収の論文とアクセスしにくいリサーチ・ナビの掲げる論文とはどれくらいどう違うのだろうか?アクセスしにくい後者にアクセスするメリットはどこにあるのか、ということを調べてみた。
結論からいうと、前者よりも後者の方が情報がアップデートされているので、概略をつかむなら前者でもよいが、より正確な情報を求めるなら後者にアクセスしたほうがよい、という特におもしろくもない結果になった。
※筆者は、土地宝典を研究に使ったことはなく、実物の土地宝典を扱ったこともないので、勘違い等があるかもしれず、ご容赦願いたい。あくまで内容の解説でははく、論文の異同のメモとしてつかっていただきたい。
資料
文献の情報は次の通り。
(A) 大羅陽一1987「土地宝典の作成経緯とその資料的有効性」『歴史地理学』137, p.1-20
(B) 大羅陽一1989「土地宝典・地籍地図について」『地籍台帳・地籍地図〔東京〕』第1巻解題、柏書房p.1-29
以下、(A)論文、(B)論文と呼ぶ。
章立ての異同
まずは章立てを並べて比べてみる。
(A)論文
はじめに
土地宝典の形態と発行時期
名称と性格
体裁と表現内容
発行時期
発行時期による出版目的の相違
原図の地籍図類との関連
おわりに
(B)論文
はじめに
土地宝典(地籍地図)について
土地宝典(地籍地図)と地籍図
土地宝典(地籍地図)の名称と定義
土地宝典(地籍地図)の体裁と表現内容
土地宝典(地籍地図)の発行時期
土地宝典(地籍地図)の発行時期による出版目的の相違
原図の地籍図類との関連
本資料について
東京に現在確認される土地宝典(地籍地図)
本資料の体裁と性格
おわりに――利用上の有効性――
異なる点もあるが、章立てはかなり似ているといってよい。共通する章の本文もほとんど同じである。そのため、概略をつかむなら(A)論文でも問題なさそうであるということがわかる。
章立ての骨格にかかわらない点でいえば、1.はじめにのなかで、(B)論文が収められているタイトルに「地籍地図」が使われていることに触れたうえで、実際には「土地宝典」名称が多いことから「土地宝典」という名称を使うと断っている。そのため章節タイトルでも「土地宝典(地籍地図)」としている。
章立ての骨格の相違点は2点ある。いずれも(A)論文にはなく、(B)論文に追加されたものである。
((A)論文よりも(B)論文の方があとに刊行されている)
① (B)論文 2.1「土地宝典(地籍地図)と地籍図」
冒頭部にはこのようにある。
(A)論文は土地宝典そのものについてメインに扱っていたのに比べ、(B)論文では、その元となる地籍図についても1節を追加して説明している。末尾に土地宝典との関連について述べた一段落があり、注意しておく必要がある。
② (B)論文5「本資料について」
(B)論文は「解題」として作成された文章なので、当然のことながら資料の解説が付属しており、この章にあたる。詳細は(B)論文を参照されたい。
内容面の異同
章立て以外の本文をざっと比べてみて気づいた、両者の違いを記しておく。
①(A)論文p.2 等「実見した1都1府19県のもの」
「1都1府19県」というフレーズはなんどか出てくるが、(B)論文では「1都2府19県」となっている。(B)論文には京都府、大阪府と書かれているが、(A)論文には書かれていないので、どちらが増補されたのかはわからない。
②(A)論文 p.2 右「このように」段落
(B)論文p.5では末尾に『大阪地籍地図』(明治44年)の例が追加されている。
③(A)論文 p.4-5 表2「出版社別の記載項目」
(A)論文では出版社26社であるところ、(B)論文では31社に増えている。これに応じて本文の記載(主に数字)も変わっている。
④(A)論文 p.7 表3「出版社別の発行地域および発行時期」
(A)論文では出版社41社であるところ、(B)論文では48社に増えている。
これに応じて本文の記載(主に数字)も変わっている。
⑤(A)論文 p.8 3章冒頭部
(A)論文:「明治前期に発行されたものは4冊しか実見していない」
(B)論文:「明治期に発行されたものは8冊しか実見していない」
期間が明治前期から明治期に変わっているのもあってか数字が増えている。(B)論文p.7に「明治期から大正期に兵庫県・大阪府・京都府が1社ずつ」とあるので、この間に関西の土地宝典を実見し、増補したようだ。
⑥(A)論文 p.9
p.9上方の「また、『横浜市土地宝典』」から始まる段落の前に、(B)論文では2段落が挿入されている。
(B)論文p.11「京都府では明治5年(1872年)に」から始まる段落とそれに続く段落で、京都府の例について増補されている。
⑦(A)論文 p.9左
「東京市では」から始まる段落と、次の「この間の明治43~大正4年」の段落は、(B)論文にはない。
⑧(A)論文 p.10右
「たとえば農地改革終了後に」から始まる段落は、(B)論文では直前の段落と合流し、別の例となって記述量が減少している。
⑨(A)論文 p.11 4冒頭部
(A)論文にある「土地宝典が原因とする公図」から始まる段落は、(B)論文のIV冒頭(p.13右)には見られない。そこに該当する記述が(B)論文の2.1にあるからであろう。
⑩(A)論文 p.14右
「明治43年~大正4年発行の東京市『地籍地図』」から始まる段落から、p.15右まで計4段落は、(B)論文(p.16)においては、「都市計画推進による、あるいは災害復興事業に伴う」から始まる1段落に変更されている。これにより図版の数が変わっている。
⑪(A)論文 p.15右
「神奈川県では」から始まる段落の「図3は、」以降は(B)論文にはない。それに伴い、図3も(B)論文にはない。
そのほか、細かい文言の違いはあるが、一々列挙するときりがないので、省略する。
まとめ
『歴史地理学』所収論文(A)でも概略をつかむことが可能。
『地籍台帳・地籍地図』所収論文(B)を執筆するまでの間に、大羅氏が実見した土地宝典が増えているため、その分、図表の数字や記述が変更されている箇所がある。
求める情報の質に応じて、どこまで追うかを考えてください。