今週の廊下美術館「東山魁夷」
今週の廊下美術館のテーマは東山魁夷。題して「訪れ」。東山魁夷の描く景色はどれも厳しい自然の中にある優しさを見つめていて、きっとこんな景色が昔はあったんだろうなとノスタルジックな気分になるから好き。
もともと息子に見てもらいたくて始めた遊びだけれど(なのでハイハイの目線に合わせて貼ってる)、もちろんじっと見つめてくれる訳はなく笑。本物とは程遠いし、こんなに小さなコピーから感じられることといったら構図ぐらいかもしれないけれど、それでも家の廊下に毎週違う景色が並ぶとなんとなく楽しいし、息子の気持ちを広く想像しながら次は何を貼ってみようかと考える時間が好きだ。
東山魁夷が描きたかったもの
東山魁夷は「空気」を描くのがとても上手な人だと思う。自然現象としての空気はもちろん、じっと見つめていると動物や人間、物質の呼吸まで感じてくる。「ああ、きっとここにはこんな暮らしがあったんだ」とか、「今まさに季節が始まる瞬間なんだ」みたいな。図録の解説文を読んでみたら全く違うことが書いてあったけどね笑。
という訳で「何かが訪ねてきそう」をテーマに選んだのが、右から「秋翳(しゅうえい)」「年暮る」「夏に入る」「伏見の酒蔵」「二条城の石垣」そして彼の絶筆となった「夕星」。
好きな画にはやっぱり理由がある
改めてタイトルを見て驚いたのだけど、私が好きなただ家屋の壁を描いただけのこの画、なんと伏見の酒蔵らしいじゃないですか。実は、私の母が私を妊娠中に暮らしていた曽祖父母の家が京都の伏見にあって、まさにこんな感じの細長い小さな日本家屋だった。幼い頃に何度か訪ねた程度だけれど、海外で暮らしていた私には全てが物珍しくて、「これぞ日本だ!」という憧れもあって、家の造りを細部まで覚えている。
曽祖父母が大往生の末に他界してからは廃屋寸前になってしまっていたのだけれど、観光地化に伴い酒蔵として再生するために買い取られ、今も無事に残っている。まさか東山魁夷のこの画も「伏見の酒蔵」だったとは。知らないうちに心象風景を選んでいたんだな。
絶筆となった「夕星」
もう一つ忘れられない画が「夕星」。数年前に新美でやっていた東山魁夷の企画展の最後を飾ったのは、彼が最期に書いたこの画。4本並んだ木はまるで家族のようで、同じ星を見つめている姿に涙が出そうになった。きっとこれはどこにもない景色で彼が人生の最期に見たかった、見えた風景なんだろうなと思う。「湖に反射した景色が過去なのかな」とか、「左右の形の違う木は人生の雑踏かな」とか、そんなつまらない考えを止めるように星が一つだけあって、とりあえずぐっとくる。
アートの意味
認めたくないけれど、私が生きているわずか数十年ですら最近は四季の移り変わりを感じづらい環境になってきてしまっているし、便利さと引き換えに取り返しがつかないことをしているのかもしれない。“数十年に一度”の異常気象が毎年繰り返されている。
アートが何のためにあるのか、答えは作り手・受け手の数だけあるけれど、私の答えの一つが「美しいものを残す」ということ。作品から伝わる自然や人間が生み出した美しいものや考えに触れることで心を動かされ、その体験が想像力を生み、大切なものを次世代に継いでいく原動力になると思う。
東山魁夷の画は東京国立近代美術館(竹橋)に確か17点ぐらい寄贈されているので、ぜひ見てみてほしい。渋い美術館で人も少ないから笑、これぞ避密スポット!
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