最大の親孝行はあなたがしあわせになること
わたしの人生の前半は
お母さんの望みを叶える為に生きていました。
お母さんが大好きだったから。
お母さんが喜ぶ顔が見たかったから。
お母さんを安心させたかったから。
子どもはみんなお母さんが大好き。
幼い頃にわたしは
「お母さんの為に生きる」と
決めてしまったのでしょう。
おかげで染みついたお母さんへの依存体質は
今でも何か決断を迫られたときに
浮上してきます。
最終的に自分で決めるんですけど
かなり迷うんですよね。
その吐き出し口は母ではなく
今は旦那になりました笑
旦那も相当迷惑してるみたいですけど
昔慣れ親しんだ習慣てほんと怖いですね。
子どもの頃のわたしは
お母さんの反応が命でしたし、
お母さんの顔色常に伺っていましたし、
いちいちお母さんに相談してましたし、
あの頃はお母さんなしでは
生きれませんでした。
とうか、生きれないと思い込んで
いました。
でも、そんなお母さん依存体質のわたし
ですが、子どもを出産して気づいて
しまったのですよ。
自分の人生を生きていなかったことに。
お母さんの人生を生きていたことに。
子どもが生まれて
お母さんがいてくれてとても助かりました。
けど、わたしがしようとする
赤ちゃんのお世話にちくいち入るお母さんの
助言がとってももウザかった。
こうした方がいいんじゃない?
そのやり方じゃない方がいいんじゃない?
それじゃ、ダメね~。
わたしの言うとおりにした方がいいでしょ。
ほら、赤ちゃんもこっちの方がいい。
うん、確かに子どもを3人育てたお母さんの
やり方はいいと思うけど
わたしはわたしの子育てがしたいんだー!
その時、強烈に思ったのですよ。
わたしはこの子を自分の責任で育てたいと。
そして想像したのです。
このままお母さんに
子育てを手伝ってもらったとして
子どもの育ちが悪かったら
またわたしは「お母さんのせいだ」と
言ってしまうんじゃないかと。
うん、この子はわたしが育てる。
そんな風に子育てで猛烈な反発を起こしたら
なんで自分が公務員をしているのか
わかってしまった。
公務員は親の希望だったということ。
親が歩みたかった人生を歩んでいることを。
わたし、自分の人生、生きていないやん。
(いっそ気づかぬまま生活していた
方が楽だったんじゃないかと思うけど)
このブログでも何回か書いてますが
それで公務員保育士辞めてます。
絶対反対されると思ったから
両親には内緒でやめました。
辞める前にお母さんと大喧嘩して
「二度とうちの敷居はまたぐな」と
言われていたので
縁切りされたこともありました。
でも、縁切られてさっぱりしたわけではなく
それはそれでずっとモヤモヤしていて。
そんなある日、両親が海外旅行の
お土産を持って自宅に来てくれたんです。
和解ってやつですね。
公務員辞めてしまったことも
喧嘩して縁切り宣言したことも
一切触れることなく、両親と和解しました。
本当は一言謝りたかった。
あなたたちの望みを
あなたたちの希望を
全部ぶっ壊してごめんなさいと。
せっかくわたしがしあわせになるように
敷いてくれた人生のレールを
ぶっ壊してごめんなさい。
その後、十数年後に
お母さんの物忘れが目立つようになり、
早めに謝らないといけないとやばいと思い、
勇気を出して「ごめんね」と「ありがとう」
母に伝えました。
わたしは大きな勘違いをしていました。
親の期待に応えることが
親孝行、親への恩返しだと思っていたんです。。
だから親の理想に近づかないと
いけないと気負っていました。
お母さんは、自分が公務員になりたかった
んだと思います。
叶えられなかった夢を娘に託した。
娘はそれを喜んで引き受けたところまでは
人生うまくいっていたんです。
期待は呪い。
でも、その呪いは
お母さんからかけられたのではなく、
わたしも自分で自分に呪いをかけたのです。
お母さんに「ごめんね」と「ありがとう」を
伝えた日は呪いから解かれた日。
そしてお母さんはわたしに
「ありがとう」と言った。
お母さんはわたしがしあわせであれば
それでよかったんだと知った日。
わたしはわたしのしあわせを選んで
本当に良かったと思っています。
自分の子どもたちにも
全力で自分をしあわせにする道を
選んでほしいなと思っています。
親も高齢になって、いつお別れが
くるのかわからない年齢になってしまいました。
自分が明日死んでも後悔しない生き方を
するは大事なこと。
それよりも大事なことって
明日親が死んでも後悔しない生き方をすること。
明日誰が死んでも後悔しない生き方をするんだ。
その為に、今日も精一杯与えられた
いのちを生きよう。うん、それがいい。
子育てはママの人生革命。
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