お母さんに「ごめんね」と「ありがとう」が言えた日
親の期待を裏切った話は「わたしが公務員を辞めたわけ」に書いたのだが
長年、わたしがやりたくてもできなかったたことがあった。
それはお母さんに「公務員を辞めてごめんね」と謝ること。
実は公務員を辞める前に両親から
縁切りをされてしまい、
結局、親に許可を得ることなく辞表を
提出してしまっていたのだ。
(両親から許可得られなくても辞表は提出していたと思うけど)
もう両親と会うことがないかもしれないと思っていたが、
退職して数か月経ったある日、父と母が海外旅行のおみやげを
持って自宅に来たのがきっかけで自然と
元通りの親子関係に戻っていった。
だけど、わたしのこころの中はいつも
優しく接してくれる両親に申し訳なさで
いっぱいだった。
公務員を続けていれば、
父と母はわたしの将来を心配しなくて済んだのかなと思うと、
親孝行ができていない自分を情けないと
感じることもあった。
公務員になることが親孝行だと
思っていたから。
最大限の期待を裏切ってしまった罪悪感。
だから「勝手に辞めてごめんね」って
母に謝りたかった。
そんな心のモヤモヤを抱え、
いつしか長男が20歳になっていた。
公務員を辞めたのが長男が小学1年生の時だから、
もう14年ぐらい経っていた。
ここまで来たら謝らないで終わっても
いいかもしれないと思っていた。
わざわざ昔の話をほじくり返さなくても・・
「もういいじゃないか、終わったことだし」
っていう気持ちになっていた。
しかし、その頃から母がだんだんと
物忘れをするようになっていた。
父も脳梗塞で倒れたこともあり、
両親が確実に老いていることを
ひしひしと感じていた。
そうしているうちに母が網膜色素変性症という
いずれ失明する難病であることがわかった。
このまま母は目が見えなくなり、記憶も乏しくなるかもしれない。
母が生きているうちに「ごめんね」と
謝りたいと思っていたが、
母がしっかりしているうちに謝らないと
意味がないような気がしてきた。
母がしっかりと記憶があるうちに謝りたい!
ちょうど、実家と会食をする機会があり、母と隣の席になった。母の目の状態はだんだん悪化しており、お皿にのったお料理がよく見えていなかったのが痛々しく感じた。
今日、母に伝えよう。
今、ここで母に公務員を辞めたことを謝ろう。
そう決めた。
伝える前のドキドキ感は半端なかった。
「ごめんね」って言葉を伝えるだけなのに。
そして、母に勇気を出して伝えたんだ。
「お母さん、公務員辞めてごめんね。
でも、公務員辞めたおかげで子育てを思いっきり楽しむことができたよ。ありがとう」
母は「いいんだよ。あんたがしあわせなら。
子どもたちもいい子に育って、あんたよかったね。わたしもあんたと一緒に孫と楽しませてもらって孫の野球の応援も行けてほんと
良かったよ。
公務員していたらこんなに自由に仕事休んで
応援行けなかっただろうしね」
十数年経ての母への「ごめんね」。
母のあったかい気持ちが返ってきた。
こころがジーンとした。
伝えることができて、気持ちがやっと緩んだ。
わたしが大きな壁を乗り越えた瞬間だった。
長い年月がかかってしまったけど
これでやっと父と母の前で堂々と
「わたしは今しあわせだよ」って言える娘に
なることができたのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?