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桂子の夢リスト(2024年)

今日は2024年9月28日土曜日、山元染工場のリニューアルお披露目会です。

今年のはじめに工場の大きな改装工事と、そのための大きな投資を決意しました。そしてこの夏、新しい工場が出来上がったので皆さんにお披露目する機会を持つと同時に、私の今の夢をリストにして発表します。


山元染工場を、100年後も続いている会社にしたい

今、山元染工場は創業から95年目を迎えています。初代の山元光(夫の祖父)は自分が起こした事業が95年後も続いていると思っていたでしょうか。

15年ほど前、夫と結婚した当時には私はまさか自分が100年後のことを考えることになるとは思っていませんでした。資金繰りや営業活動など、初めてのことばかりで来月のこともわからないと本気で思っていました。

見出しは強気な雰囲気で「山元染工場を100年後も続いている会社にしたい」と書きましたが、夜中の時間帯や体調によっては「できれば・・・。そうなったらいいな・・・。」ぐらいのモードになりますがご了承ください。

自営業は楽しいけど苦しいし、不安定なので誰かに継承させるなんてとんでもないと思っていた時期もあります。夫とも30年後にうまく終われるような経営がしたいと話していたこともあります。しかし実際そういう思いで経営していると、いろいろなプランと矛盾が出てきたのです。事業って「こうしたい、ああしたい」と思って起ち上がるものなのに、いつも頭の中に「近い将来必ず終わせるけど!」という思いがあるとやる気も出ないし進まない。

そこで、会社経営の目的というのは「事業を続けていく」ことなのかもと思い始めました。なるべく遠くを見ないと近くのことが決められないという感覚があったのです。100年後も事業が続いていること。大きな大きな夢です。


お金持ちになりたい

これは個人的な話ではありますが、私の場合は工場の繁栄とこの夢は直結していますので同じnoteに書いていきます。
「お金持ちになりたい」という欲望を持っている人はきっとたくさんいると思うのですが、私も例に漏れず「めっちゃお金持ちになりたい!」とずっと思っています。どのくらいのお金持ちになりたいのか、を想定せねばならないので、これまで子どもたちも含めて家族で話し合ってきました。
最近出た結論は「一年に一回ディズニーランド的なところへ国内旅行に行ける」状態が我々の想定する「お金持ち」だということになりました。
そこから派生して、子どもたちが「こんな夢があるからこんな勉強がしたい!」と言い出したときに現ナマでドーン!と払える大人になりたいとも思いました。
じゃあ世帯年収はいったいいくらくらい必要なのか、そして山元染工場はいくらくらい年商を上げないといけないのか、などとぐるぐる考える毎日ですが、きっと叶えたい。


日本の染織業界を明るくしたい(明るく見えるようにしたい)

この夢に関しては、大学での仕事と直結しています。大学に勤めはじめた2022年、とある大学職員の方と立ち話をしました。私が「染織って本当に面白いし日本には繊維関連の産地もたくさんあるし、社会に直結する領域なんだし、どうして(我が染織テキスタイルコースは)大人気にならないんですかねえ。」というようなことをボソッと言いました。そしたら、「私も正直なところ、高校生の娘に染織は勧めませんね。やっぱり京都の職人さんとか、伝統的な染織業界のイメージは決して良くないので。」と言われました。このお話にはショックを受けました!そんなにも仄暗いイメージが浸透しているなんて。
これではいけません。染織はどんな時代もどんな社会にも必要な領域です。縄文時代から人は縄で文様を作って呪ったり祈ったりしたのだろうと思います。現代だって、家の中を見回してみてください。こだわって選んだ心が安らぐ色のカーテンや、テンションを上げてくれる可愛いプリント文様の洋服など、染織のモノで溢れているのではないですか。いつだって人間の営みの深いところに染織は存在しています。
何より染織業界にどっぷり身を置くことは、とても面白いです。だから私はより強く意識したのです、「まずは大学の中からスタートしよう。染織テキスタイルコースって楽しそう、面白そうと思ってもらえるように活動しよう。」と。
ケイコロールのブランド活動そのものにも、もちろんそういった側面はありますが、これからはさらに工場の場所を使って「染織って面白いよ」の普及活動をしていきたいと思います。そのことが30年後の染織業界や伝統工芸の盛り上がり方に影響するかもしれないという、草の根活動です。


借入額を適正にしてええ感じの資金繰りがしたい

このリニューアルに伴って、我々夫婦の15年の経営歴の中ではじめての大冒険、ヒリヒリでヒヤヒヤの資金繰りとなっています。夫と私は商売が得意な方ではないですが、これからだんだん上手になっていきたい。だんだん上手になっていくまで、途中で止めるわけにいきませんので、周りの皆さんに助けていただきながら少しずつ(ガンガン)儲けていって、数年後にはええ感じの資金繰りが出来るようになるのが夢です。


いっぱい染めたりデザインしたりして、ケイコロールと山元染工場のデザインで誰かを明るい気持ちにしたい

山元染工場には初代が創業した頃からの型紙や染見本、つまりデザインが数えきれないほど蓄積されています。初代は絵師さんを何人も工場に呼んで、舞台衣裳のための図案を描いてもらい、山元染工場だけのデザインを武器に衣装屋さんに売り込んできたのです。それらの図案の意匠はどれも素晴らしく、私はその歴史とデザインたちを誇らしく思っているのです。
ケイコロールの超多色の染めものや、映画や舞台衣裳に使用してきた縞の文様をテーマにした山元染工場の商品は、どれも95年続いてきた舞台衣裳事業や工場での染色の歴史があるからこそ作られるものです。これまでは収納スペースのない工場でうまく生産管理が出来なかったり、生産効率が悪かったりしましたが、これからはたくさん染めてたくさん作って、それらのモノたちが誰かの気持ちや生活を楽しくすることに繋がれば良いなと思っています。


染の小さな学校の授業やブランド活動を通じて、染織の面白さと「みんな違ってみんな良い」を伝えたい

大学に勤めてから、ワークショップや授業などいろいろな形で染織の面白さを伝えることに挑戦してきました。「染織って何のことかわからないけれどとりあえず手を動かしてみたら面白かった。」という感想を持つ人は本当に多いという実感があります。
最近は他領域の先生方とも紐や結ぶことや縄文のことを一緒に研究しています。表現ってなんだろう、作品ってなんだろうという私の疑問を一緒に考えてくれる先生方もいらっしゃいます。幸せです。

私は山元染工場でも、こういう幸せな時間を作りたいと思いはじめました。私以外にも、染織のことを伝えるプロはたくさんいらっしゃるし、ワークショップや短期の授業など、小さな学校みたいな学びの場を作りたいなと思っています。そして私の周りには優秀なデザイナーさんやアーティストの方もたくさんいらっしゃるし、皆さんの研究の場としても活かして欲しいなと考えています。


福祉関連の事業者さんと、やませんのものづくりを通して繋がりたい

私たち夫婦は子どもが生まれてからずっと、障がいをお持ちの子どもや大人と何か一緒にやれることはないかな、私たちのものづくりが役に立つことはないかなと、漠然と考えてきました。
まだ具体的なアイデアも、新しいことを始める余力もないけれど、いつか良いタイミングが来て良いご縁にめぐり合うことがあるかもしれない、というかあるに違いないとイメージしているのです。



以上、2024年の今の私の夢を発表しました。
コロナ渦には受注が完全にストップして、まさかこんなピンチなことが起こるなんてと思いました。2年前にはまさか自分が大学で働くことになるなんてと驚きました。いつだったかの台風では工場の屋根が吹っ飛んで、屋内に雨がザーザー降りました。
人生には何が起こるかわからないけど、おかげさまで愛に溢れた生活をしております。家族の健康に気をつけながら、さらに愛を振りまいていこうと思いますので、皆様どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。





もしもサポートいただきましたら、その日のハイボールの美味しさはいつもの15倍になります!そして、そのエネルギーでさらに染めものを染めるスピードが、いつもの1.2倍ほどになります!頑張ります!