映画「The Immortal Sergeant」
シリア人Ziad Kalrhoum監督の映画「The Immortal Sergeant」を鑑賞した。
同映画は2011年~12年にかけて撮影されたもので、シリア危機前に訪れた懐かしい場所の映像もあった。トークセッションで印象に残った彼の話を、ここに残しておきたい。
2010年、これまで兵役から逃げていたものの、それが見つかり徴兵に参加。その後、2011年にシリア危機が勃発し、徴兵を続けなければいかなくなる。配属された部隊は、シネマ(映画)担当。プロパガンダと言える政府や軍の映画の撮影と上映が彼の業務だった。彼は当時、シリア国内巨匠である3人の映画監督のうち、1人のMohammad Malas氏のアシスタント・ディレクターとしても活動していた。彼は、昼間は兵役につき、夜は映画製作活動をしていた。映画製作チームは彼が兵役についていることは知っていたが、軍関係者には映画製作チームの一員であることは、隠していた。
当時、表現や言論の自由ともいえる映画は、政府による取り締まりがより厳しくなり、Malas監督は危機前に映画製作活動の許可書を取得していたので撮影を続けられたものの、新たに許可書を取得することは困難であった。
業務に従事する中、彼は”自分自身を守るため”に、携帯電話のカメラで撮影することを決めた。
自分は軍の一員ではない、自分は戦闘のための道具ではない、人間らしく生きることを守るためにー。
この時、シリア政府軍は東グータの80%を攻撃していた。
軍のオフィスの中の光景ーポスターやスローガンがあちこちに貼ってあるー、街の中の人々はどう思っているのかー町の壁には死亡者の通達が貼られていたー、そして聞こえてくる爆撃や砲撃の音....。
同映画は、反体制派の人も政権側の人の声も、拾っていた。
「永遠なる、不滅なる祖国よ」
「シリアがシリア国内で空爆や爆撃をする。シリアの運命は、シリアの手の中にある」
「大統領を、愛している。嫌いと言ってほしいのか?もしそう言ったら、自分の命はない」
「2014年の選挙。もう一度、大統領に投票する。なぜかって。友人や家族が殺されるのを止めてほしいからさ」
「飛行機を見ると、爆撃されるんじゃないかと怖くなる。一方で、攻撃から守られていると感じる」
両者は共通して、親しい友人や家族を亡くしている。聞こえる声は、真逆だ。
Ziad氏は、シリア国内は矛盾だらけだという。みな、友人や家族を亡くした。だが、政府支持派も反対派もいて、同じ町に暮らしている。
東グータは破壊されている。ダマスカスは、まだ残っているという正反対の光景。
ー白黒つけることは、難しい。
そう感じたZiad氏は、兵役についている間、8ヵ月間隠れて暮らし、ベイルートに逃げた。
シリア軍から離反し、自由シリア軍に参加することも拒否した。自分の武器は、カメラ。カメラを武器に、闘うことを決意した。
こういう経緯と思いから、撮影された映画。
人々へのインタビューは、Malas氏が、壊される前にとダマスカス旧市街を撮影する間に、街の中にいる人々へインタビューをしていく。
現実に困惑する人々、そして矛盾の現実、光景、声。
一気にシリア危機に巻き込まれた人々の困惑が、そこに存在しているように思えた。一見すると、矛盾している人々の声。でも、何を信じたら良いのか、何を知ったらよいのか、突如として悲劇に巻き込まれた人々の困惑が、矛盾というかたちで、そこに現れているように感じた。
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Ziad氏、彼自身は、以前から監視・統制される社会と闘ってきた。
「シリアは大統領の写真があちこちに貼ってある。学校にも病院にも街中にも。シリアは彼のギャラリーだ」
Ziad氏は、2010年にシリアでは”タブー”であるシリア北東部のクルド人のことを撮影したことがある。しかし、政府に見つかり拘束され、撮影したものが表に出ることはなかった。
(2006年12月頃、私が撮影したダマスカス中心部)
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ーシリアの未来への望みー
「武器を製造し輸出している国々に、なぜそうしているのかと。彼らの手中に、シリアの運命がある。他国に武器を輸出し、他国で殺戮が起こることを容認する。彼らにも責任がある」
「シリア人みんなが国に戻って、シリアを再建したい」
(写真トップは、アレッポ城から見下ろしたアレッポ市街。最後の写真は、カシオン山から見下ろしたダマスカス市街。いずれも2006年12月頃撮影)