私から見た前者後者の世界
この相対的な世界において自分の持つ性質とは・・:
24タイプ論において、チェックリスト項目というものが存在するが、自己分析の何と当てにならない事か・・
それもそうだろうなと最近は思うけど、相対的に見て、自分はどこらへんに属するのか?
私の痛いという感覚はどのくらいのレベルの痛いに位置するのか?の様なもので、感じ方はそれぞれであるから当然だとも思える。
自分の主観的にチェックリストによってチェックしてみても、自分の本当のタイプにはまずたどり着かない。
また、当事者もきっとこれが本当に当たっているのかがいまいちピンとこない場合が多いのだろうと想像する。
何ならこの24タイプ論、自分が何のタイプか分かったとてピンとこない人も多かろうと思う。
それが現実世界のどこらへんに現れているのか?
自分のタイプが、自分の人生にどの様な影響を与えているか?
分かったらどう活用していくことができるのか?
それは急にはわからないものだろうと思う。
じわじわと浸透してゆくものなのだ。
前者・後者に見られる
マルチタスク、シングルタスクというものも、違いを理解するのは非常に難しいと思える。
私は現に、前者タイプになるが、やっぱり後者さんのシングルタスクという世界の想像は難しい。
画面が一つとはどんな世界なのだろうか?
目に映る世界は同じでも処理の段階でなのか、その解像度も同時並行的に認識しているものも、どうも絶対的に違うということがわかる。
これは私の主観的な表現になるが、
後者さんの方が“自分自身と世界との関わり”に強く、
前者さんの方が“目の前にある外側の世界への認識”に強いのではないだろうか。
後者さんの“自分と世界との関わり”。
その接点や、その切り口なんて私はこれまで考えた事もなかったが、
後者さんの“世界への貢献やこだわりや能力の発揮”という世界との接し方自体が、斬り込み特攻隊の様で、前者には眩しく、新鮮で、斬新で、唐突で、煌めいて見えるのだろう。
前者さんはやはり、人との関係性やその場というものをコミュニティとして捉えては、そこのある空気感や平穏を保つこと、より良い関係性なんかをやはり目指すところに特化しやすいだろうと思う。
どちらが望ましいかや、正解不正解ではなく、もちろん優劣ではなく、
その多様性こそがこの地上という場の彩りであり、コミュニケーションの面白いところなのだろうと思う。
いずれのタイプの人にとっても言えるが、
自分の当たり前が目の前の人にとっての当たり前ではないのだ。
という感覚は毎度毎度心を新たに更新してくれる。
前者と後者の関係性の面白さはそんな、いつも新しい風が吹く様な、飽きる事のない戯れを可能とさせるのだろうと思うと自分から見える今の世界を微笑ましくも思える。
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