【Story of Life 私の人生】 第19話:三年生 〜 紅白饅頭とお誕生日会
こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生
前回は、 第18話:二年生 〜 トイレ掃除当番の思い出 をお送りしました。
今日は、三年生の頃思い出の話を2つしようと思います。
毎日殆ど変わりばえしない二年生の1年間が過ぎ去り、1972年4月に三年生に進級しました。
ここでやっと念願のクラス替え。
4クラスにシャッフルされ、新しいクラスに振り分けられました。
元々のクラスメイトは1/4だけで、その他は別のクラスからの新メンバー。
新メンバー総勢40人で2年間を一緒に過ごすことになりました。
幸い、M子ちゃんも、N子ちゃんも、私と同じクラスになりました。
とても嬉しくて、そして心強かったです。
元々のクラスメイト達からは、相変わらずいじめ続けられたけど、他のクラスだった子達と仲良くなり、私の仲間がかなり増えたこともあり、いじめは以前ほどではなくなっていきました。
あの忌まわしく、辛かった2年間の記憶が、日を追うごとに少しづつ薄れていき、以前では考えられないくらい、学校生活が楽しくなっていきました。
この頃は、まだ夜の喘息発作が続いていて、夜間診療をお願いしており、体育の授業も体操着に着替えて見学していました。
さて、三年生の時の思い出話です。
まずは1つ目。
ゴールデンウィークが終わり、5月15日の月曜日、朝の全校集会でのことです。
校庭に全校生徒が整列して立っていたら、突然、生徒全員に紅白饅頭が入った箱が配られました。
生徒一同、理由も分からず戸惑っていると、校長先生からM子ちゃんと2学年下の弟が前に来るように呼ばれ…
M子ちゃんも、クラスメイトも何が起こったのか分からず、とても不安になってしまいました。
校長先生の横に立たされたM子ちゃんと弟。
全校生徒の注目を一矢に浴びたところで、校長先生のお話が始まりました。
実はその日、沖縄がアメリカから日本に返還されたのです。
「沖縄生まれの2人がこの学校に在籍しているから、学校の全員でお祝いしましょう」という事でした。
M子ちゃんが転校してきてから、ずっと沖縄について色々と教えてもらっていたので、当時の沖縄の立ち位置や、日本人なのに別扱いされるというような複雑さを、何となくは知っていましたが、「これで完全に私達と一緒になったんだ」と、とても嬉しくなりました。
その日は、授業も沖縄返還の話題で持ちきりで、給食にケーキが付いたりして、丸1日お祝いムード一色でした。
余談ですが、M子ちゃん一家は、その翌年にお父さんの転勤で、鹿児島に引越していきましたが、5月15日の紅白饅頭は、少なくとも私が小学校卒業するまでは毎年配られていました。
あれから、ほぼ半世紀も経ってしまったのか…
もう一つの三年生の時の思い出話。
それはお誕生日会にまつわる、ちょっぴり寂しいお話です。
二年生の時までは、学校の友達が殆どいなかったので、一度も「お誕生日会」に呼ばれた事が無かった私でしたが、三年生になって、新しく出来た友達のお誕生日会に呼ばれるようになりました。
母に話をすると、友達への誕生日プレゼントを買ってくれ、誕生日会の当日は「皆で食べなさい」と、お菓子を作って、持たせてくれました。
でも私の家は、先生の家に間借り状態。
家に「人を呼ぶ」ことが出来ず、自分の誕生日会を開く事が出来なくて。
友達からは「何でケイコちゃんは、お誕生日会しないの?」と聞かれ、とても寂しかった。
先生の家の子供達は、学校の友達を沢山連れて来て、私の母(先生ではない)が、料理やお菓子を沢山作り、盛大なお誕生日会をしているのに、私だけ一切なし。
「不公平じゃないか」と母に話しても「お前が練馬に来る事を選んだからこうなっちゃったんじゃない!自業自得だ!」と突っぱねられ「この家にいる限りは、絶対に無理!」と言われる始末。
確かにそうなんだけど…
私のせいなんだけど…
分かってはいるのだけど、それでも「お呼ばれされる」ばかりで、本当に肩身が狭かった。
結局、練馬に来てから、先生の家を出るまで4年もの間、我が家に人が来ることは殆どありませんでした。
記憶にあるのは、学校の先生の家庭訪問だけ。
母もこの頃、PTA行事を通じて、仲の良いお母さんグループが出来て、十条時代の明るさを少しづつ取り戻しつつはありましたが、我が家に呼んでお茶することも出来ず、外での井戸端会議や、学校行事での交流しか出来なかったので、やはり私と同じような寂さを感じていたと思います。
この頃から、家族3人とも「他人の家に間借りしていること」の息苦しさ、無言の圧力みたいなものに対して「我慢の限界」を感じるようになっていきました。
トイレも、お風呂も、先生一家が優先で、私達は好きな時に使えない。
こんなに小さな事でも、かなりのストレスだったのだなと思います。
余談ですが、この頃から、我が家は「先生の家のお風呂を使う」ことをやめました。
「自分たちの好きな時に、近所の銭湯に行く」ことを選択したのです。
2年ぶりに銭湯に行き、大きなお風呂に入った時の、何とも清々しい開放感!
今でもよく覚えています。
完全な自由を手に入れるために、少しづつ行動を起こし始めた我が家でした。
〜続く。
今日はここまでです。
次回は、第20話:四年生 〜 初めてのプール に続きます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪