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【Story of Life 私の人生】 第9話:小学校入学

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第8話:小学校入学直前 〜 ランドセルを買ってもらう をお送りしました。
今日は、小学校入学から2週間までのお話をしようと思います。

私は、1970年4月6日に小学校に入学しました。
「小学生になる」ということで、少しだけ大人になったような気分。
母が縫ってくれた、よそゆきのワンピースを着て、母と一緒に学校へ行き、桜満開の校門をくぐりました。

入学式は、幼稚園の講堂とは比べものにならない位大きな体育館で、上級生や引率の父兄達に見守られ、新しいクラスメイトと並んで座って参加しました。
私は1年2組。
今まで一緒に遊んできた友達は、1人だけ同じクラス。
他はバラバラになってしまいました。
ただでさえ、幼なじみは3つの学校に別れてしまい、同じ学校に通う子が少なくなっちゃったのに、みんなバラバラのクラスとは…
ほんのちょっとだけ寂しかったけど、登下校は一緒だし、学校が終わったら今まで通り一緒に遊べるから、「まぁいいか」って思っていました。

入学式の翌日からは、集団登校で学校に登下校することになります。
ついに新しいランドセルがデビューの日を迎えました。
集合場所に、上級生のお兄ちゃん、お姉ちゃん、同級生が集まって、一緒に学校に行く日々の始まりです。
私のランドセルを見た子達、お兄ちゃん、お姉ちゃん、クラスメイト、みんな「奇抜なランドセル」にちょっとビックリしていたけど、「ケイコちゃん、いいな〜」って言ってくれたので、その時は、少しだけ優越感に浸っていたかも知れません。
後日、まさか奈落の底に落ちるような事態が起こるとは、この時点では知る由もありませんでした。

学校では、国語、算数、理科、社会などの授業が始まりました。
授業を受ける、イコール「右手でノートに字を書く」ことになります。
さすがに、元々左利きの私は、これが最大の苦痛でした。
先生が書く黒板の字を、ノートに書くのに四苦八苦。
他の子のスピードについていけず、イライラする。
イライラすると、ますます上手く書けない。
授業が終わっても書き終わらず、みんなが休み時間で遊んでいるのに、私は書き続けるしかない。
みんなと同じように出来ない自分が、ただただ情けなくて、悔しくて…
「左だったら、ちゃんと出来るのに」って泣きながらノートと格闘していました。
とはいえ、新しい友達も出来たし、字を書くことを除けば、学校生活は楽しくて仕方ありませんでした。

小学校といえば、給食ですね。
私の通っていた小学校は、大きな給食室があり、給食のおばさんたちが朝早くから手作りのおかずを作ってくれていましたので、出来立ての温かいお昼を食べることが出来ました。
初めての「給食当番」は、とてももの珍しかったなぁ。
白衣着て、マスクして、帽子被って、牛乳を配ったり、パンをトレーに載せたり。
おかずは、「一年生には大きすぎるお玉」を使うので、危ないからと先生がよそってくれましたが、自分達で配膳をするということで、一気に大人になったような気分を味わいました。
幼稚園はお弁当、お箸で食べていたのですが、給食は先割れスプーン1本で食べていた時代です。
最初、どうやったら上手く食べられるのか、コツが全く分からず、みんな四苦八苦していましたっけ(笑)
ただでさえ「左手使用禁止」の私は、みんなよりも大変だった。
まぁ、字を書くよりは数倍マシでしたけど(笑)

目新しいことばかりの毎日で、学校に行くことがワクワクだった日々。
学校生活も2週間くらい経って慣れてきたある日のこと。
下校直前に、私は担任の先生から呼ばれ、「これをお母さんに渡して」と、手紙を渡されました。
家に帰り、母に手紙を渡すと、母がビックリしている模様。
手紙には、一体何が書いてあるのだろう?
何か悪いことして、先生から親に注意しろという手紙だったらどうしよう。
また怒られちゃうのかなぁ…と、怯える私。
母に聞くと「お父さんが帰ってきたらね」とだけ言われ、ますます不安になり…
まさかこの手紙が、私の人生の暗黒時代の始まりのきっかけとなるとは!
父が帰ってくるのを、ただ怯えて待っていました。

〜続く。
今日はここまでです。
次回は、第10話:先生からの手紙 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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