【Story of Life 私の人生】 第43話:父のこと
こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生
前回は、 第42話:修学旅行 Part 2 をお送りしました。
今日は、父のことについて、お話ししようと思います。
今までの投稿で、母の話は割と沢山出てきているのですが、父の話はほとんど無かったと思います。
何故かというと、ここまで話題にするような出来事が、殆どなかったから(笑)
小学校時代のお話で、先生の家から引越しをして、やっと自由を手に入れたお話をしました。
母は、引越し直後から「年中行事」をし始め、また仲良しのお母さん達も、我が家にお茶をしに来るようになり、今まで我慢していたことから解放され、思い切り好きなことをするようになっていました。
一方、父はというと…
元々趣味らしい趣味もなく、スポーツには全く関心なし。
プロ野球や相撲に興味なく、たまにテレビでプロレスを観るくらい。
囲碁や将棋のようなボードゲームも興味なし。
車の免許もないから、ドライブもしない。
休みの日は、家で何となくテレビを観てゴロゴロしているか、競馬新聞を買ってきて、後楽園に馬券を買いに行くくらい(笑)
朝、お弁当を持って仕事に行き、公務員だから、ほぼ決まった時間に家に帰ってくるという、決まりきったパターンの生活だから、ここまで特段お話しするようなことが全く無かったのです。
そんな父が、私が中学二年生の時に「足が痺れる」とか「冷たくなる」と言うようになり、日に日に症状が酷くなっていきました。
近くのお医者さんに行ったら、大学病院を紹介されました。
大学病院に行き、色々検査をしてもらった結果、昔の名優だった「エノケン」さんが患った、特発性脱疽(現在はパージャ病というそうです)でした。
だんだん血管が詰まってしまい、放っておくと足が腐ってしまうという奇病で、ヘビースモーカーの男性に多い病気ということでした。
確かに我が家は両親共にヘビースモーカー。
しかも父は、肉の脂身が大好物で、一年中、しかも朝から晩まで3食とも、豚のバラ肉の油の所しか食べないという、とんでもない食生活も大きな原因だったかも知れません。
野菜は好きではなく、付け合わせのキャベツや、トマトなどは、母に言われて渋々食べているような状態でした。
エノケンさんは、片足だけの切断でしたが、父の場合は血管が両脚に分かれる付け根から上が詰まっていたから、発見がもう少し遅かったら、両脚を切断しなければならないという状態だったので、国立中野病院(今は閉鎖されて無いようです)に急遽入院し、すぐに手術をすることになりました。
症例としては、当時かなり珍しかったようで、テレビのワイドショー(3時のあなただったかな?)から、取材を受けたりしました。
当時はまだビデオもない時代。
私は生放送を見ていないのですが、放送を見た母によると、目のところにモザイクが入っていて、両脚だけ映されていたそうです。
手術の日は、輸血の必要があるかも知れないということで、父の実の兄弟姉妹が病院に駆けつけてくれました。(母も私も、血液型が違うので、役立たず)
私は学校を1日休み、手術室前の待合室で、叔父や叔母への軽食や、飲み物の調達などをし、看護婦さんに手術の状況を聞きに行き、みんなに伝えるという「伝書鳩」役をしていました。
朝8時ごろに手術はスタートし、終わったのが夜7時半過ぎでした。
途中で、叔父2人が輸血に協力してくれました。
かなり長時間の大手術でしたが、人工血管ではなく、自分の血管を使ったバイパス手術だったので、免疫的な副作用や後遺症の心配は、ほとんどないとのことでした。
一同安堵したところで、タクシーに分乗して我が家に寄ってもらい、出前のお寿司で夕食を取りました。
父は、お腹から脚まで、かなり広範囲をあちらこちら切っているから、退院までに2ヶ月位掛かりました。
幸い、病院は家から自転車で行ける場所だったので、私と母は交代で毎日病院に行き、洗濯物の受け渡しなどをする日々が続きましたが、父は入院中は「痛い」や「辛い」という泣き言しか言わず…
自分が不幸の主人公になり切った状態で、母も私も閉口状態。
「家に帰ってきたら、きっとうるさいだろうね」と話していたくらいです。
退院してから1ヶ月くらい、自宅療養をしていましたが、わがまま放題の父が朝から晩までずーっと家に居ることで、その間母はずーっとイライラ状態。
母のお友達も、父が家に居るから遠慮して遊びに来てくれなかったし、あまり出かけることも出来なかったから、母はストレス発散がほとんど出来ず…
どこにも当たるところが無いから、結局私にお鉢が回ってきてしまい…
ちょっとしたことで「言いがかり」的な事で叱られる(体罰を含む)始末。
父が復職するまでの間、我が家は先生のお宅に住んでいた頃に逆戻りしたような、不穏な空気が漂っていましたが、父が仕事に行くようになって、やっと元の生活に戻りました。
さて、私が中学三年生の時の事です。
ある日の夜、父が突然「カラオケが欲しい」と、夕飯の時に言い出しました。
私と母は「え?カラオケって??」と、唖然!
話を聞くと、職場の同僚の方が8トラックのカラオケを買って、家族で楽しんでいるという話を聞いたそうです。
一体どんなものかが知りたくて、休みの日に同僚の方のお宅に伺って、実物を見せてもらってきたとのこと。
当時、家庭用のカラオケが発売されたばかりで、私も母も、一体どんなものなのか全く分からないから、その場で「良い」とも「悪い」とも言えず…
とりあえず、製品カタログをもらってきて、再度検討することになりました。
普段は、のらりくらりとしていて、なかなか行動に移さない父のことだから、どうせカタログを持ってくるのはかなり先だと思っていたのですが、予想に反して、翌日クラリオンのカタログを持って帰ってきました(驚)
カタログによると、8トラックの専用カセットを機械に差し込み、音楽を流す。
付属のマイクで曲に合わせて歌うという、システム的にはかなりシンプルなもの。
マイクは2本付いていて、デュエットも出来る。
エコーも、自分の好きなようにかけることが出来るので、歌手と同じような環境で歌える。
音は、真ん中のスピーカーから「よい音質で」流れるといった感じのセールストークが満載でした。
まだ発売したばかりだったから、値段はかなり高かったと思います。
父の性格上、一度言い出したら自分の思い通りになるまで、一歩も引かないということは重々承知していたし、自分が気に入らないことがあると、容赦なく手が出ることも分かっていました。
そもそも無趣味だったし、これまで特に「何かしたい」と言い出したこともなかったので、母も私も「自分達は好きな事をしているんだから、まあ良いか」ということになり、購入することになりました。
翌日、父はカラオケセット一式を注文してきました。
そして2週間後、我が家に真新しいカラオケセットがやって来ました。
父の嬉しそうな顔が、今でも忘れられません。
が、即座に問題発生!
父には、取扱説明書の内容が難しすぎて、完全にチンプンカンプン状態(汗)
しばらく説明書を眺めていたものの、結局どうすることも出来ず、私にヘルプを要求してきました。
高校受験前でただでさえ宿題で手一杯なのに、接続から使い方の説明をさせられる羽目になりました。
やっとセッティングが終わり、音を出してみたら、次の問題が発生!
カラオケのスピーカーから流れてくる音量が、大きすぎるのです。
一番小さい音量に設定しても、我が家には防音設備なんて無いから、近所から苦情が来るんじゃないか?という感じ。
大喜びの父を怒らせるのはかなり面倒だから、返品するという選択肢は無し。
家族で「さてどうするか」と思案して、たどり着いた答えは「ヘッドホンを使う」でした。
これなら、スピーカーから一切音は出ないし、父もエコーを効かせたマイクで気持ち良く歌える。
「父の歌い声だけなら、近所迷惑になるほどじゃないだろう」ということになり、最高の解決策だと思ったのですが…
実は、これが決定的な大誤算となってしまいました(泣)
兄弟に2人もプロの音楽家がいる音楽家系なのに、父だけは「大の音痴」だったのです。
「どこをどうやったら、あれだけ音を外せるのか」と、疑問が湧くほど酷い状態なのです。
我が家には2部屋しか無いから、居間として使っている部屋には、カラオケセットを置くスペースが全くない。
ということは、私の勉強机がある方の部屋を使うことになる訳です。
大量の宿題を必死でやっている横で、父はヘッドホンから聞こえる音に合わせて、エコーの効いたマイクで、気持ち良く大声で歌っているのですが、伴奏もなく「音程が完全に狂っている」歌だけを、延々と聞かされる母と私は、たまったもんじゃありません(泣)
もう、ドラえもんに出てくる「ジャイアンのリサイタル」さながらの状態です。
これが毎晩最低3時間、父が休みの日は、朝から晩まで丸1日中続くようになってしまいました。
この状態で勉強しなければならないのですから、何度発狂しそうになった事か…
「これなら音楽付きでスピーカーから聴こえてくる方が相当マシだ」と、思い知らされましたが、近所迷惑という大きな壁があるから、ただひたすら耐えるしかありませんでした(泣)
今なら、ノイズキャンセリング機能のついたヘッドホンを使うことが出来るのでしょうが、当時の私には、防御策が何もありませんでした。
私が当時持っていたラジカセは「アナログ」だったから、イヤホンは片耳だけ。
音痴な歌と、ラジオやカセットから聞こえてくる音が違うから、どちらにしても集中から程遠い状態で、ストレスがどんどん溜まっていったように思います。
私は、この頃からアトピー性皮膚炎の症状が出始めました。
最初は手の指や、膝の後ろ程度だったのですが、日を追う毎にどんどん全身に広がっていきました。
喘息とアトピーは拮抗しているから、どちらか片方だけ症状が出るとのことですが、喘息の発作と、痒くて血だらけの状態と、どちらがマシなのか…
当時、ステロイド軟膏が出始めの頃だったので、私は完全に「ステロイド軟膏の申し子」状態でした。
最初は、とてもよく効くのですが、少し経つと全く効かなくなる。
となると、次の薬に変更する。
最初は、とてもよく効くけど、少し経つと全く効かなくなる。
また次の薬に変更する…という、悪循環スパイラルの状態に陥り、しまいには、一番強い「劇薬」マークが入っている薬も全くダメで、当時発売されていたどの薬も全く効かなくなってしまいました。
新しい薬が出ると、またそれを試すけど、結果は同じ。
となると、ひたすら痒さを我慢するだけ。
夜中全身掻きむしって、朝起きると血塗れになっている日々が始まりました。
喘息も、アトピーも、ストレスが原因の一つになっています。
もしかすると、父のカラオケによるストレスが、アトピー発症と悪化の原因の一つだったのかも知れません。
この頃から、私の2度目の暗黒時代が始まっていきました。
〜続く
今日はここまでです。
次回は、第44話:高校受験 に続きます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪
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