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【Story of Life 私の人生】 第10話:先生からの手紙

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第9話:小学校入学 をお送りしました。
今日は昨日の続き、担任の先生から渡された手紙についてのお話をしようと思います。

先生からの手紙を読んで、ビックリしている母。
「どうしたの?」と母に聞いても、「お父さんが帰ってきたらね」とだけ言われ、「自分が何か悪いことをしたのかも知れない。怒られるのかな…」と、恐怖と不安でいっぱいの私。
友達と遊んでいても、どこか気になってしまい、あまり楽しくない。
夜、父が帰宅するまで、ずっと暗い気持ちで過ごしていました。

父が帰宅し、夕飯を食べる時に、母が父に手紙の話をし始めました。
黙ってご飯を食べながら、話を聞いていると…
簡単に言ってしまえば、担任の先生の家に引っ越しをして、母に先生の子供3人の面倒を見て欲しいという内容でした。
要は、我が家が長年「商店街の託児所」状態ということを、誰かから聞いたらしく、母に白羽の矢が立ったという訳です。
母からすれば、青天の霹靂状態だったでしょうし、母の一存で決めるべきことではないと判断して、父の帰宅を待っていたのでした。

両親の話を聞いていると、どちらも「十条から離れたくない」ということがひしひしと伝わってきました。
「先生が明日の放課後、直接家に説明しに来る」ということも、手紙に書かれていたようです。
結果として、「先方の話も聞かずに、一方的に断るのはさすがに失礼だろう」という結論になりました。
「自分が学校で何かやらかしたのではない」ことがわかり、「叱られなくて良かった」と、ほっと胸を撫で下ろした私。
でも「明日先生を連れて家に帰らなきゃいけないのか…」と思うと、「変なことしないように気をつけなくちゃ」と、憂鬱感と緊張で眠れず。

翌日の朝は、完全に寝不足状態の私。
なかなか起きられず、朝から母に怒鳴られながら学校に行きました。
その日は、睡魔に襲われながら授業を受けることになり、ただでさえ書くのが遅いのに、ますます時間が掛かってしまい…
先生が家に来るということも重なり、授業中もずーっと憂鬱。
いつもは、幼なじみと一緒に下校するのですが、この日は先生を家に連れていかなければならないので、みんなは先に帰ってしまいました。

私は、先生の仕事が終わるまで教室で1人ポツンと待っていました。
しばらく待っていると、先生が「行きましょう」と呼びにきて、一緒に家まで歩いて行きました。
先生と2人っきりという空間が怖くて、家までの15分間、ほとんど何も喋らなかった気がします。

家に帰ると、半休を取って帰宅していた父と、母が待っていました。
私は、部屋の隅に正座して、大人の話が終わるまで待っていることになりました。
寝不足で眠くて仕方ない私。正座して座っていると睡魔が襲ってくる…
少しうとうとしていたと思います。
と、その時、大人たちから突然「ケイコ、こっちにおいで」と呼ばれました。
「寝ていたことがバレたか!」とビクッとして、恐る恐る近くに行くと「今度の日曜に、練馬に行くよ」と言われました。
「ん?練馬って何?一体何なの?」と、内容が全く理解出来ていない私。
頭の中はグルグル状態だけど、とりあえず「はい」とだけ返事しました。

先生が帰った後、「練馬ってなあに?」と聞いたら、「そういう名前の場所」と言われ、「ああ、どっかにお出掛けするんだな」と思ったことを覚えています。

当時の私には、大人達の話は全く分からなかったのですが、要約すると
- 担任の先生のご主人も教員、別の学校で教頭先生をしている。共働き家庭である
- 私より2つ上、2つ下、5つ下の3人の娘がいる
- 今までは先生の親が2階に住んでおり、娘達の面倒を見ていたが、先日亡くなってしまった
- 母の評判を聞きつけ、適任だと思いお願いに来た。ぜひ家に引っ越してきて欲しい
という感じでしょうか。

もし今の私が、同じような依頼をされたらどうだろうか?
恐らく即座に断ると思います。
だって「住込みのお手伝いさん」状態になるんですもの。
好きでやるなら良いけど、頼まれたからやるってことは、絶対にしたくないですね。
いくら台所は別とはいえ、玄関、トイレ、お風呂は1つしかない。
先生の家は、共働きのご夫婦なので、母は、掃除、洗濯、子守りから食事の支度まで、全部2軒分することになる訳で、正真正銘の「住込みのお手伝いさん」になる。
人の家に住ませてもらうのだから、今までのように、両親の友達や、独身寮のお兄ちゃん達を呼ぶことは出来なくなる。
いくら何も出来ない父でも、一応は一家の大黒柱、一家の主人。
今まで、誰の世話にもならず、稼いだお金で家を借りて、家族3人で暮らしてきたのですから、そういう意味で「自立している」という自負を持っていたと思います。
さすがに「住込みのお手伝いさん」の旦那と言われるのが嫌だっただろうなぁ。

両親が亡くなるまでの間に、当時のお金(報酬)の話を聞くことが出来ませんでした(というか、両親共に口を閉ざしていました)が、「お手当」は家賃と相殺で、ほとんど出なかったんじゃないかと思います。

「絶対に嫌だ」と、強く心から思っていた両親ですが、2人ともその場では断らず「練馬に行って、家を見てみる」という選択をしたのです。
相手が私の担任の先生だったからなのか、いきなり断るのは、常識として失礼になると思ったのか…
両親共、既に他界している今となっては、真相は分かりません。

ということで、3日後に練馬に行くことになったのでした。
次回は、そのお話をしようと思います。

〜続く。

今日はここまでです。
次回は、第11話:練馬へ 〜 運命の日曜日 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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