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【Story of Life 私の人生】 第65話:2度目の試行錯誤 

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第64話:実習生活 をお送りしました。
今日は、専門学校入学してから2度目の入院についてお話ししようと思います。

夏休み少し前、薬を変えてから8ヶ月目のある日のこと。
「突然扁桃腺が腫れて高熱」という、身に覚えがある「症状の再発」が起こり、直感的に「副作用の再発」じゃないかと思い、まず病院に連絡を入れました。
主治医の先生の診察日ではなかったけれど、救急対応で診察してもらえることになり、寮と学校の先生にお話しし、親にも連絡して、電車で病院に向かいました。
この時点で、既に入院を想定していたから、それなりの準備をして行ったのは、言うまでもありません。

検査の結果は、案の定「無顆粒球症」の再発で、今回も個室の無菌室に入院することになりました。
前回同様、抗甲状腺薬の中止と、抗生物質の点滴が2週間続きました。
殆ど人と話すこともなく、テレビをぼーっと観るだけの日々。
ついつい「学校に居たら、今日は何をしているのかな?」と、思い浮かベてしまい、無菌室で点滴というギャップに落ち込んでしまう。
「何でこうなるのか?」「19の厄年だから?」「前世で何か悪いことした報いなのか?」などなど、悪い方に考えることしか出来なくなっていき、どんどん落ち込むという、悪循環スパイラルに完全に陥っていきました。
「楽しい」という言葉は、私の辞書から消え去ってしまったように感じ、生きていることを含めて、何もかもが嫌になって「いっそ、このまま死んじゃいたいな」と思うようになっていきました。

入院してから2週間が経ち、熱が下がって、白血球数がどうにか正常値の半分くらいに戻りました。
主治医の先生と今後の治療方針について、両親も交えて、再度考えることになりました。
その時の選択肢は、手術で甲状腺を全部摘出するか、放射線治療にするか、投薬を続けるかの3つ。
それぞれの方法について、主治医の先生からメリットとデメリットを説明してもらいました。
手術で甲状腺を全部摘出すれば、2度と薬の副作用に悩まされることは無いのですが、副甲状腺も一緒に摘出することになるから、自力でカルシウムを作ることが出来なくなることと、今まで高かったホルモン値がいきなり0になってしまうことで、ショック死のリスクがあること、死ななくても一生ホルモン剤を飲まなければならないということでした。
放射線治療は、甲状腺だけでなく、他の組織も一緒にダメージを受けることが想定されるから、19歳ではお勧め出来ないとのことでした。
投薬を続ける方法では、「無顆粒球症」の副作用は避けられないものの、将来的に考えても、身体へのダメージが一番小さく済む。
ただ、どうコントロールするかが鍵になるとのことでした。
色々と話し合った結果、投薬を続けることになりました。

今回使用した薬では、全身の蕁麻疹だけではなく、無顆粒球症というおまけまで付いて、2つの副作用を起こしてしまったため、薬は元に戻すことになり、薬の量を調整する日々が始まりました。
薬が変わったお陰で、蕁麻疹の痒みからは、完全に解放されました。
一つだけでも、苦しみから解放され、嬉しかったです。
その後2週間掛けて薬の量を調整し、ある程度「折衷案」が決まったところで退院して、9月の中旬に寮に戻りました。

秋分の日、母と一緒に浅草公会堂に行くことになりました。
目的は、成人式用の振袖を選ぶことで、大きな展示会が開かれていました。
ホールに沢山の業者さんが来ており、物凄い数の着物が並べられていました。
お値段もピンキリで、目移りしてしまい、なかなか選ぶことが出来ず…
家の財政状況は厳しいということは分かっていたから、出来るだけ安いものを選ばなければと、値札と睨めっこ。
2時間くらいホールの中を歩き回り、母も私もクタクタになってきたところで、他の着物の半額くらいの反物を見つけました。
柄も色も、割と好きなタイプだったので「これが良い」と母に告げました。
「何故こんなに安いのか?」と、母が業者の方に聞いてみたところ、目立たないけれど柄の絵付け部分に難ありということで、B級品となっているということでした。
同じ柄の「正規品」も見せてもらいましたが、違いは良くわからない程度。
でもお値段は、なんと3倍以上でした!
母は和裁のプロだから、自分で仕立てるということになり、とりあえず仕立て代は不要となりました。
その後、着物に合う帯などは、母が選んでくれました。
草履や、その他必要なものを全部買って、ミッション完了!
久しぶりに、母とお出掛けしたので、浅草で天麩羅を食べて帰りました。

10月になり、10代に別れを告げ、20歳の誕生日を迎えました。
改めて10代の日々を思い出し、感慨に耽っていました。
喘息から解放され、先生のお宅からも解放されたのが10歳の時。
小学校高学年の2年間の楽しい思い出、いじめから解放された日々、中学生時代の部活や勉強のことなどなど。
10代最初の6年間は、とても楽しく、充実した日々だったなぁ。
それに対して、高校に入ってからの4年間は急転直下。
病気との戦いと、アルバイト三昧でお金に執着、親との関係悪化という感じ。
楽しいことも確かにあったけれど、全体的に暗くどんよりした気分で10代が終わる。
藤圭子さん(宇多田ヒカルさんのお母さん)の「夢は夜開く」の歌詞の中に「15、16、17と、私の人生暗かった」という部分がありますが、奇しくも私の名前も「ケイコ」だし、全くその通りだよなぁと妙に共感していたことを覚えています。

こんなどん底の状態でスタートした20代。
さて、20代はどんな10年になるのかな?
ここから更に落ちていくのか、それとも上向きに転じるのか。
まさに不安と期待が入り混じった、20歳の誕生日でした。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第66話:生理学検査実習 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪


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