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2016/07/11 皆が幸福になるため生まれた筈の結(ゆい)で苦しまない...
きょうは 村の長老さんから貴重なお話を拝聴した。
戦前戦後の食糧難を乗り越えて 今に至るまで...
変わるもの...変わらないもの
両面からお話をお伺いすることができました
【変わらぬもの=生きるため食べること①】
秋を彩るヒガンバナ...
何故 あの花は 墓場の近くに咲くのだろうか...
「墓場の因果関係はわからないけれど...」
「戦前戦後の食糧難の頃 ヒガンバナの球根が食糧源だった」
「喰うに困らぬように ヒガンバナをたくさん植えたんだよ」
なるほど...ヒガンバナが多く自生しているのは意味があるのですね...
【変わらぬもの=生きるため食べること②】
山を売ってまで食糧と交換しなければならない時代があったそうです。
「山が味噌と醤油に化けた」とのこと。
そういえば、他の長老さんも同じようなこと仰っていた。
「味噌を買う人は、所帯が荒い。味噌は作らないとイカンよ」と...
【変えられぬもの=「結(ゆい)」と慣習について】
昔の時代は、何事も村民同士が助け合わないと暮らして行けなかった。
★家を建てること
★冠婚葬祭
★祭り
「人足(にんそく)」というボランティアが今もなお根付いている。
人足は結(ゆい)に基づいた ものなのだそうです。
昔は、水道人足まであったそうです。
現在、水道は自治体サービスに移行しているので
住民労働負担は 放免されたとのこと。
長老さんが、ぽつりと呟いた。
「いまは 自由に生きているけれど...」
「昔は 自分を殺さないといけなかった」
「まわりの人と同じようにしなければならなかった」
嗚呼、移住2年目の自分も この言葉にすごく共感しました。
しかし、時代は変わった。
家を建てるのも、冠婚葬祭も、結(ゆい)を介さず達成できる。
また、物流も発達しているので
ネットで生活食料品等を調達することも出来る。
にもかかわらず
「昔から連綿と続いて来ていることだから」
「やらなければならない」という...
半ば思考停止状態で 陳腐化した結(ゆい)を継続しているのが現状です。
多死社会へ突入したにもかかわらず...
どれだけ年金が少なくても 生活費が逼迫しても
香典=結(ゆい)の為に 掟を遵守しなければならない。
村八分を恐れ、意見を言うことも ままならず。
悶々としながら暮らしている状況に 違和感を否めません。
皆が幸福になる為に生まれたはずの 結(ゆい)で苦しんでいる。
ぬるま湯の蛙状態で、苦しみから逃れようとすること無く...
自分は このような悪しき慣習は オカシイと思います。
愚痴を云いながら遵守するのは決してベストではない。
もともと、結(ゆい)〜シキタリは 柔らかい任意で成り立つもの。
相互監視で、縛り合う窮屈なものではない筈。
オカシイ、と思っているのに我慢すると身体に良くない。
NOであれば NOを爽やかに意思表示することにしました。
もともと 一人で生まれてきて、いつか一人で死ぬのです。
「村八分」「仲間はずれ」を恐れて、不本意な
生き方をする時間が勿体ない。
村のルール<自分のルール優先にチェンジしてから
心身とても快適です。
シキタリを変える社会活動など するつもりはありません。
ただ、個を殺すという生き方は決してしない。
時代の流れに沿った行動をとり 死ぬまで静かに進化していくつもりです。
シキタリに縛られず 人生クリエイト
「愛」で以て行動しています。
大切な人と会い、魂の言葉でコミュニケーションを取るよろこび。
生きていることに感謝。
生かされていることに感謝。
最後まで お読みいただき ありがとうございます。
暑い日が続きますが、みなさん どうぞ元気でいてください。