その出来事、子どもにとってはどんな体験なんだろう?
先日、子どもを保育園に送りに行った夫がややプリプリした様子で帰宅。
この時期保育園では水遊びがあり、登園時に水遊びの可否(○ or ✗)を表に書いて申告する必要があるのですが、聞くとこんなやりとりがあったそうです。
前提として、先生の意図は理解できるんです。
水遊びの可否は、親が子どもの(主に健康)状態をふまえた上で判断して記入してほしい。
子どもの体調が悪く本来は水遊びをすべきでなかった時に、子どもがやりたい気持ちだけで○を付けてしまい、万が一後で体調が悪化することは避けたいわけですから。
でもその上で、この一連の出来事は子どもにとってはどんな体験だったんだろうね?という話に。
自分で「今日は水遊びしない」と自己選択できたという体験
「あなたが決めることではない」という理由で選択を変えさせられた体験
結果、大人はできるけれど子どもにはできないことがある、自分は決めてはいけないんだということを学ぶ
子どもの世界を想像してみると、大人の意図とは違った伝わり方をすることがありそうです。
そしてこのような体験からの学びによって自分の中にプログラムやビリーフ(私たちが「●●は✗✗だ」と信じているようなこと。今回で言えば「自分は決めてはいけない存在なんだ」という認識)が作られ、また他の場面で同じような経験と学びを繰り返すことでそのプログラムが強化されていきます。そう考えると、ひとつひとつの言葉のかけ方や関わり方って改めて大切だなぁと。
みなさんが先生だったとしたら、上記のような場面でどんな声かけをしますか?
──
その日お迎えは私が行ったのですが、帰り道でその件について子どもと会話してみました。
最近、仲良しのひとつ下のお友達が体調不良でずっと水遊びできずにいたので、自分が一緒に遊ぼうと思ったというのが理由だったようです。ただの気まぐれや気分ではなく、✗にはちゃんと理由があったんだと教えてくれました。大人、子ども、年齢なんて関係なく、その人にはそれなりの理由があるんですね。
まだ色素が作られる途中の柔らかな羽化したてのセミのような子どもたち。素敵に色付き形作られるように大切に見守り関わっていきたいものです。
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