自叙伝⑯等身大の育児とワンネス
ありがたい形で仕事を一旦終え、無事に娘を出産しました。
えらいもんで二人目というのはいきなりかわいがる余裕があるんですねぇ。
もちろん息子も最初からかわいかったけど、二人目はお世話であたふたしない分、かなり余裕があるのでしょう。
もう、かわいくてかわいくてどうしようもないという感じでした。
そして後になって気づくのですが、私はこの時産後ハイというものになっていました。
とにかくとんでもない幸福感が押し寄せ、産褥期で体は大変なはずなのに痛みやしんどさを感じず気分は絶好調。
生きとし生けるものに感謝が沸き起こり、息子も娘もどう見ても天使にしか見えず「我が人生、これ絶頂なり!!!!!」と高らかに宣言したいような、そんな気持ちでした。
しばらくそんな産後ハイ状態で過ごしていたのですが、この娘は置くと泣くしパパの抱っこを受け付けず、とにかく私でないとダメという赤ちゃんだったため産後ハイも立ち消えるほど抱っこしていなければならず、あとよく泣くから大変で、いつしかそれは終わっていきました。
人間は本当に神経伝達物質のマリオネットであると正気に戻ったのちに感じたものでした。
息子は赤ちゃんの時から手のかからない子だったのですが、娘は本当によく泣く子で。
ちょっとも置けない。というのは大変なことで、きつくて何度か私も涙がちょちょぎれることがありました。
上の息子のお世話もあるわけで、世の中のお母さんのすごさをすごく感じていました。
え、二人でこれってどうなってる?世の中には3人4人の人もいてはるし、双子とか年子の人、息してる??って感じでした。
みんなどうやって暮らしてるん??とよく思いました。
産後太りの体にボサボサの頭、鏡を覗けばぼろ雑巾のようになっていました。
でも子どもたちのかわいさは何物にも代えられず、産後ハイがなくなっても「次の瞬間こときれてもいい」という気持ちで毎日子育てをしました。
この死にぞこないはやっと違う意味で、自ら死にたいとは違う意味で、いつ死んでもいいと思えるほど満たされた毎日を送れるようになっていました。
もう死にぞこないではなく、ちゃんと生きた人間になっていました。
娘の乳児期の育児は大変でした。とにかく手がかかりました。
意志が強く、でも喋れないから3分に一回はあの子供特有の金切り声で大絶叫。
「キィィーーーっ!!」と叫びあげていて、空間が切り裂かれるようでした。
子供の成育に愛着が大切だということを実体験でも知識でもよくわかっていた私は、娘を私の二の舞にはしないと固くハラをくくっていました。
癇癪を起して泣いて怒っている娘を見ると「きっと私もこんな感じだったんだろうな、手に終えなかった母はごく小さいころから私に手を上げていただろうな」とよく思いました。
なにしろ母は私がよく泣いてどれだけ育てにくかったかを何度も私に聞かせていたからです。
絶対に絶対に絶対に絶対に、私は母のようにはならない。
絶対に絶対に絶対に絶対に、子どもたちには私の生きづらさを引き継がせない。
私は脳機能の学習を進めている間、ずっと思っていたことがありました。
それは、自分の生きづらさをなんとかしたいという思いもあったけど、子どもたちには何があってもそれを引き継がせない。という思いでした。
自分のため半分、子どもたちのため半分。
子どもたちのことを想うと難しい学習も一朝一夕には変わらない神経回路の変化にも忍耐することが出来ました。
アダルトチルドレンの状態というのは、大人だけど中身が子どもなので衝動性が高く忍耐力に乏しいことも症状としてあるのだけど、自分のためだけじゃないんだと子どもたちのことを想うとどんなに長い道のりに思えても取り組めました。
話を戻して、そう思っていても娘のイヤイヤ期の頃にはその壮絶なイヤイヤぶりに心身ともに疲れ果てて限界が来てブチ切れて思わず叩いてしまったことも実はありました。
叩かれて余計泣いている娘の横で私も泣きました。
「この子はまだ子どもやから何も悪くないのに叩いてしまったよぉ~」と言って私が泣いていると息子が抱きしめて慰めてくれてその優しさが沁みてより泣けたりもしました。
どんなに「こうするのがいい」という知識があって、どんなにその通りにやろうとしてもリアルな毎日の中では一筋縄でいかないことがたくさんありました。
ただこの時はもう「いいお母さんにならなければいけない」というようなアダルトチルドレンによくある完璧主義的な強迫観念は薄らいでいたので「出来る範囲のことをやるしかない」とはわかっていたので一生懸命そうしました。
至らない母親だろうけど、背伸びしないで自分のできる精一杯をやろう。
自分なりの愛情を、精一杯注ごう。
毎日そう思っていました。
「いい母親を目指さない」ということは私には救いになりましたし、「等身大の自分以上のものにはなれない」ということを知っていたのも助けになりました。
むしろ「いい母親」にはなれっこないとわかっていたことがよかったというか。
いい母親じゃないだろうけど、私のような大人にはならないようには精一杯やる、至らないだろうけど私よりはずっとずっとマシにだけはしてあげたい、とか、そんな感じです。
完璧にできるほど私は人間が出来ていないからです。
そんなある日の寝がけに「この広大な宇宙には自分ひとりである」という理屈抜きの体感をしました。
いわゆるワンネス体験というやつです。
これまでも何度も不思議な体験はしてきたけど、これは全く桁が違いました。
これは不思議体験というより神秘体験という感じで圧倒的なスケール感に吞まれる感じがありました。
まるで自分が女神になったかのような高揚感が2、3週間ほど続きました。
この育休期間は特にスピリチュアルな感度が高かったです。
このあとも何度も何度も不思議な体験をしました。
子育てで忙しくする日々の中でとにもかくにも不思議な体験がいっぱいで、とりわけこの時期はUFOとか宇宙人とか幽体離脱などそういったこれまでに経験のないオカルト要素の強い類が多かったです。
月刊ムーやないねんから、って思っていました。
そう言えばこの時期位からたまに人の死期や死に方がわかるようにもなりました。
「近いうちに」というような曖昧なものから、人によってはハッキリ寿命の年齢がわかるときもあります。
もちろん口外したことはないしこれからもしないけど、それが有名人だったりするとニュースで後からわかるので「やっぱりな…」ということが起きたりなどします。
そんなこんなでオカルティック風味でもあったこの頃は子育てが忙しいながらも、リラックスして生きることが出来るようになったのだなあと実感する日々でした。
何かがあるから楽しい!といった刺激の快感や高揚感ではなく、むしろ子育てでヘトヘトだったのですが、持続する充足感をベースとして生きることが板についてきたような感覚がありました。
育児は大変だったけど(笑)
続く。