自叙伝⑧タイトルがつけられない
数年の不妊治療をした結果、私は妊娠することができました。
喜びの中準備を進めていて、妊娠経過は順調でした。
胎動を感じるたびに元気であることを実感し、結婚5年目にしてようやくもうすぐ会える我が子に愛しさが募る日々でした。
揃えた新生児用の肌着を全部水通ししてベランダに干した日のことをよく覚えています。
「やっと赤ちゃんを迎えることができるんだなぁ」と、その日はよく晴れていてとても幸せでした。
10月21日の出産予定日を迎え、朝の検診をして入院準備を済ませて家でゆっくりしていた時の事でした。
二階の寝室で夫の横に何気なく腰かけていた時です。
急に腹部に痛みが走り、そのまま倒れ込みました。
初めての妊娠だったけど聞いている陣痛とは違うと自分でも思いました。
激しい痛みにあっという間に意識が遠のいて、激しい呼吸になり普通に息が出来なくなりました。
急変した私の様子に慌てた夫が産院に電話したり車を出そうとしたりしていました。
私の明らかな異変で夫はめちゃくちゃ動揺していてパニックになりながらも救急車を呼んでいました。
救急車を呼んだりなんだりするのに夫が階下に降りて、息も絶え絶えだった私は意識がもうろうとしてそこにいればいいものを階段を降りようと這っていたようで(覚えていない)、夫が階下で大声で怒鳴るように救急や彼の実家に電話をしている中私は階段から転落しました。
階下に落ちた衝撃で頭部を打ち付けたことで意識が一瞬戻り、朦朧としながら目を開けると夫が泣きながら私を抱えているのがわかりました。
朦朧として何が何だかわからない私は「ここどこ…?赤ちゃんは…?」と聞くと夫は「家や!しっかりしてくれ!」と言って泣いていました。
階段から落ちて頭が切れて少し流血していました。
そしてただならぬ体の異変に口から泡を吹いているのが自分でもわかりました。
冷や汗が全身から噴き出して体がびしょびしょでめっちゃ濡れていて、そして嘔吐し、すごく寒くなってきました。
救急車が到着し搬送されながら朦朧とする中でも救急隊がだんだん慌てだすのがわかりました。
出血していないのに脈が取れないと何度も言っていました。
危険な状態だとこれはただ事ではないといった感じの雰囲気で、一刻を争うからドクターカーを呼ぶかどうかみたなことを言っていました。
私はもうとても寒くて、どこが痛いかもわからないほど全身がしんどいと思いました。
とにかく寒くて、人は死ぬ前寒いのだろうかと思いました。
あまりのしんどさに「麻酔して…麻酔を…」と蚊の鳴くような声で言いましたが、ここで私の意識は完全に途切れました。
救急搬送された先で緊急帝王切開となるも子どもは死亡、私も心肺停止となりました。
そして私だけが蘇生しました。
あとから先生に聞いたところによると、あの激痛が走った瞬間に子宮内の血管が裂けて大量出血が起こったとのことでした。
全部中で出血してるから一滴の血も漏れないけど、私は失血死でした。
胎児は階段から落ちた衝撃とは関係なく、私の失血により酸素が行き届かなかったことが死因とのことでした。
血管が裂けたことは原因不明だと告げられました。
私の意識が戻ったのは翌日かその翌日か、記憶が曖昧です。
目が醒めると気管に人工呼吸器が挿管されていて話すことが出来なくて、恐ろしくのどが渇いていました。
目の焦点が合わず視界が重なり合ってかなり朦朧としていました。
夫が気が付いて手を握って話しかけてくれていましたが何を言っていたか覚えていません。
朦朧としつつもジェスチャーで紙とペンを貰い、ミミズのような字で「あかちゃんは?」と書きました。
夫が黙り込み、医師が「すぐにわかることなので本当のことをお伝えしてもいいですか?」と言い、子どもが助からなかったことを知りました。
その後はまた意識が途切れて、気が付いたり朦朧としたりを繰り返していました。
この時の記憶はとぎれとぎれかつ曖昧なものですが、最初の頃は両目にガーゼを軽く貼り付けてあるのがわかりました。
比喩じゃなくてずっと白目をむいていたからそうしていたと後から聞きました。
そして体中管だらけなのですが、苦しくて引き抜いてしまうため何日かは四肢を拘束されてもいました。
私がICUで混濁している間に息子の葬儀は終わりました。
私は立ち会うこともできず、すべては終わっていきました。
ICUにしばらくと、その後一般病棟にひと月弱入院ののち退院したように思います。
若かったので体の回復は早かったのですね。
一般病棟で入院中に【次は女の子が産まれる】と確かな直感が走りました。
これもまた疑いようのないもので、こういうのが来るときは独特の体感があります。これは絶対そうなんだとわかるんです。
でもこの時はまだ頭も気持ちも回らない時期だったので「そうか」と思った程度でした。
一般病棟に入院中はなかなか合わなかった目のピントが合ってきて視界もハッキリ見えるようになってきて、意識も混濁することがなくなりました。
人の体って臓器にダメージを受けすぎるとそちらを優先して治癒しようとするらしく、表面の傷などは後回しになるみたいで帝王切開した傷がくっつかなくて再び開いてしまったりもしました。
「痛いな…」と思ってナースコールしたらお腹が開いてたんです。
けど人間、本当に満身創痍の時は痛みもそこまでではないというか、普通お腹が開いたら激痛だと思うけど、他にもダメージがありすぎてそこまででもなかったというか。
立つこともできず最初は車いすでしたがしばらくしてU字型の歩行器を使って歩く練習から始めてリハビリをしてだんだん普段の私みたいになりました。
しかし人間というのはあまりに体にダメージが大きいと心は追い付いてこないものです。
まだ泣くことはほとんどありませんでした。
つらいとそこまで感じるところまであまりいっていなかったんです。
まだよくわかってないというか、起こったことはわかってるけど、ほとんど何も感じないんです。
だから入院中見舞いに来た家族には私が意外に元気で気丈に見えたと思います。
家に帰ってからが本当の苦しみの始まりでした。
続く。