. 右は、父が愛用していたNikon。 私が子供のころ、写真を撮るのが趣味の父の傍には、いつもカメラがあった。 父が亡くなった時、遺品の整理をしていた母が「こういうの売れるのかな?」と、引き出しにしまってあった大量のカメラやレンズを処分するか迷っていたので「コレだけ欲しい」と、昔、愛用していたカメラだけは、自分の手元に残した。 サラリーマンだった父は、私が小学生の頃 趣味の延長なのか、写真屋さんを始めた。 お店は母が切り盛りしていて、私はお店に遊びに行くのが大好きだっ
理想の母を演じることが幸せだと思い込んできた私に“ママ友”が衝撃を与えてくれた。 ありがたいことに、おとなになってからの友達には恵まれている。 今の自分がいるのは、いわゆるママ友のおかげだと言える。 「母親は、こうあるべき」 その固定概念を覆してくれた友達。 子どもが寝る時間に飲みに行くのは気が引けるよね。 けど、お母さんだって、お酒飲んでハメ外して楽しみたいじゃん!! と、言うことで、、、 子どもたちが幼稚園に行ってる間に、昼のみを楽しんだ。 まいにち、子どもと向
私が唯一、本当の自分をさらけ出せていたのは母だけだ。 だけど、自分が母親になってからは 母の様な母になることが、母への恩返しだと思って母に褒められる母になろうと頑張った。 今思えばそういうことだったんだな。 夫と結婚して“妻”になり、 母が父に対して、我慢しながらも、家族として守ってきたことが当たり前だと信じて 私も良い妻になろうと努力した。 間違った努力のせいで、夫に「妻はこうあるべき」と勘違いさせたのは 間違いなく私だろう。 子どもたちが生まれてからは“母” 理
生まれてすぐから 両親の“娘” 姉の“妹” 弟の“姉” 結婚してからの “妻” “嫁” 思えば、その都度、理想を演じなくちゃと、頑張っていたんだと思う。 そんな自分に疲れたんだな。
子どものために離婚しない夫婦。 昔は、それって違うって思ってた。 両親が不仲なのに、子どものために一緒にいるっていうの 子どもからしたら迷惑だよなって思ってた。 だけど、まだ中学生になったばかりの娘は、仲が悪くても一緒にいてほしいと思ってる。 仲が良い時代も知ってるから、希望もあるんだと思う。 私が、もう我慢しなくて良いんだと思い、離婚を決意したのは 高校生のお兄ちゃんの一言があったから。 子どもの目の前で、些細なことから夫婦喧嘩に発展してしまった時に 「だから本
数日前、久しぶりに夫と喧嘩した。 喧嘩は向き合う為にするもので、もう別れようと思っている人とわざわざするのは時間の無駄でしかない。 離婚すると決めてから、これまでに抱えていた不満は「あと数年の我慢だから」と、思えばやり過ごせた。 夫は、家事を頼むとあからさまに偉そうな態度で頼みに応じる。 うまくやっていこうと思っていた時は、何もしてくれない人もいる中で “頼めばやってくれるんだから有難い”と思っていた。 体調が悪い、時間がない!など、心に余裕がない時にお願いするのだから
どこにでもいる普通の夫婦だと思う。 多分、私も夫も子供が大きくなるまでの、 あと数年我慢したら “特別仲が良いわけではないけど、仲が悪いわけでもない夫婦” になるんだと思う。 だけど、それになんの意味があるんだろう? 夫がいると、それなりに気を遣う。 飲みに行くにも、友達と旅行に行くにも、家事を手抜きするにしても。 それなりに相手の顔色を伺わなくてはいけない。 そんな夫と一緒にいる意味って何だろう? 夫は、仕事が忙しい人。 夫が辛い仕事を頑張ってくれているおかげで
もうすぐ結婚22年。 22年間、振り返るといろんなことがあったなぁ。 数えきれないほど喧嘩して、いっぱい向き合おうと努力してきたけど これって、お互いがこの状況を変えようと、お互いが努力しない限り無理なんだよね。 相手の考えを変えることはできないから、自分の考えを変えようと、私なりにたくさん努力してきた。 離婚しようなんて考えたことは一度もなかった。 私は、自分と子どもを養ってもらい、何不自由ない生活を与えてもらったことに感謝をしていたから、こんな風にぶつかり合いながら、