呼び覚ますのは言葉、地霊 琵琶湖の水 琵琶湖の上のB29
企画展に向けて
28日の小高先生との対談で、「呼び覚まされ写真を撮る」とのタイトルをつけました。
私は、何に呼び覚まされているのでしょう。初めて、春日に来たとき最初に惹かれたのは春日の地霊といってもいいと思います。廃村で、川向うの墓にむけられている菊の花。貸してもらったカメラを向けると、何かが写っているね、と言われたものですが、その何かとは地霊というものだと、そのころからわかってはいました。
地霊とは何でしょうか。精霊という言葉はどこでもありますね。「何世代にもわたる相互交渉が醸成する気風」(母の声、川の匂い」川田順三、筑摩書房 p10)という解説が私にはぴったりきます。人は死にますが、それでも、何世代にもわたって、後世まで影響を及ぼしあいます。精霊は「たちのぼる」という表現がぴったりきます。
春日の古老は、驚くべき表現と記憶力で、過去を語ります。熊と出会ったことを、戦争で帰還しなかった友人、薬草を大垣まで売りに行く道筋の景色、死間際の姑のこと。それは自分の記憶と比較して驚くほど濃いものです。
ちなみに、私は、民話や昔話そのものより、それを用いた日常の解釈に関心があります。
『過去にあったことを想起して言葉で表現するとき、重なり合う二つの次元を区別すべきだと私は考えている。一つは「生きられた次元」であり、もう一つは「思い描かれた次元」』 「母の声、川の匂い」(川田順三、筑摩書房 p9)
生きられた次元は、実際に1回限りの出来事で、思い描かれた次元は、一人ひとりの体験、だそうですが、自分は一人ひとりの体験を聞き取っています。
企画展は「琵琶湖の水が国見峠を越えてこっちへ来ておったんじゃ」の藤原正身さんの聞き取りから始まります。琵琶湖の水が太古に春日に来ていたのは、「生きられた次元」(出来事)ですが、琵琶湖の水でなければつくられようがない故郷の地形への語りが「思い描かれた次元」です。
藤原さんは、国見峠近くにある川石や集落の高いところに美束にしかない花崗岩があること、故郷の地盤が砂ばかりであることを、何か大きな存在がいなければつくりえないこの世の現象について琵琶湖という大きな存在に託して語るのでした。
春日は滋賀県との境にあり、滋賀や琵琶湖、峠である国見峠が他の古老の聞き取りのなかに何度も登場して興味深いです。
「B29がなんでここを通るのかというとね。琵琶湖の上でね、編隊組めば、下から攻撃受けせん」
山の上から、B29を数えた。なぜ、この山を通るのか。琵琶湖の上で、編隊組めば攻撃を受けない。普段は、のんびり1機、2機と少年は数えていた。あるとき100機ばかりきた。名古屋の空襲の時でした。自分たちを攻撃することはないが、100機を山から見ている。その音を想像して、震えるのです。
「麻蒸のおかまを、親父が買いに行った。国見峠を越えて」
「しょうゆがし(しょうゆをしぼったかす)を、国見を越えて、滋賀県に仲間と買いに行った。ほな、いこかとよぼいあって、親たちが向かう。その声を布団の中で聞いたのを覚えとります」
麻を蒸すおかまは38キロもあった。それを古老の父親がセタにのせて、峠を越えておんできた。「いかにもえらかった」。
さて、はじめの作品群は、そんな琵琶湖に絡む言葉に感化されてつくったものですが、古老の言葉にはいつも音が聞こえます。
作家紹介
柴田慶子(シバタケイコ)
1965年生まれ。1990年代後半より春日を訪れ、聞き書きをライフワークとしている。2008年・2012年岩波書店「世界」掲載、2019年第3回「epSITE Exhibition Award」受賞、2020年日本カメラ2月号に掲載、2020年春日森の文化博物館企画展、2022年ニコンサロン「古い生命」、私家版写真集『Aicient Ray』『聞き写し、春日 一』出版。
http://yamagachaya.com/
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