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“Judge”と”Decision”の違い

似て非なる二つの言葉


「決める」「判断する」というときに使う言葉に”Judge”と”decision”があります。この二つの言葉は意味こそ似ているけれど、ニュアンスは全く違います。

"Decision"という言葉を分解してみると、「離れる、なくす」という意味の”de-”に、「切る」という意味の”cis”、「こと、もの」を表す”-ion”で成り立っています。何かを切り離すということは、残すものを決める行為でもあることから、”decision”は「決断、判断」などの意味で使われます。

"Judge"の語源は「診断する」「意見を形成する」などがあり、名詞系で使われるときには「審判」「裁判官」という「有罪か無罪か(行いが良いか悪いか)」を決める立場の人を指す言葉にもなります。”Judge”には「決める」「判断する」という意味のなかに対象物について「良い」「悪い」の評価をするというニュアンスが強く感じられます。

"Don't judge"という教え

コーチングのトレーニングを受けているときに再三言われた言葉に”Don’t judge”というものがあります。この”Don’t judge”というのは、出来事や課題に対して"judge"(良いか悪いかを評価すること)はせず、まずは事実(ファクト)を認識して受け入れろという教えです。ちなみに"Don’t decide"とは一度も言われませんでした(笑)。

コーチングトレーニングで”Don’t judge”と教えられ続けたのは、悩みや課題をクライアント(コーチングを受ける人)が話すときに、聞き手であるコーチが”judge”をしてしまうと話している側に影響を与えてしまうからです。また、コーチが”judge”せず、ひたすら事実認識に徹して話を聞くことで、仮にクライアントが無意識に自分を”judge"してしまっていたとしても、それに気づき事実を冷静に受け入れた上で”decision”できるようサポートすることにもなります。

コーチングは話を聞きながらクライアントが思考を整理し、自分で解決策を見出すサポートをするものです。そのためコーチを目指す人は「聞き方」のトレーニングを受けるわけですが、その中でも再三言われ続けたのが”Don’t Judge”ということは興味深いところです。


"Judge"してしまうと可能性が広がらない

事実(ファクト)をあるがままに認識することと、その事実の良し悪しを評価することは本来は別のことです。しかし、私たちは事実認識と同時に、”judge”(その評価)までしてしまいがちです。特にピンチに陥ったときや、ネガティブな感情を抱えているときには、そこから逃れたい焦りも伴い事実認識をおざなりにしたままに"judge"(良し悪しの評価)をしてしまい、その結果あまり建設的でない解決方法に飛びついてしまうこともあります。

例えば、誰かのことが嫌いだという感情を持っている場合。「私は、上司の〇〇さんのことが嫌いだと感じている」という事実自体は「良いこと」でも「悪いこと」でもありません。嫌いになるにはそれなりの理由があるのでしょうし、どのようなものであっても感情を抱くことは自然なことです。それなのに、「嫌い」というネガティブな感情を抱えていることへの心地悪さから「人を嫌うなんていけない」「自分は心の狭い人間だ」などと”judge”してしまい、さらには「上司が嫌いなら会社を辞めるしかない」と追い詰められた気持ちになることさえあるのではないでしょうか。

この場合、「私は、上司の〇〇さんのことが嫌いだと感じている」という事実を冷静に受け止めた上で、原因や選択肢、起こりうる可能性を吟味した上で”decision”することが必要になります。ネガティブ感情に振り回されて短絡的に"judge"してしまっては自分の選択肢に気づくことも出来ず"decision"の幅も広がりません。

・・・とは言いつつ、かくいう私もピンチに陥ると知らず知らずのうちに自分のことを"judge"していることが多々あります。コーチングトレーニングでの"Don't judge"の教えを忘れずに、自分にとって最適な"decision"をするためにも"judge"していないかどうかは常に気をつけておきたいと思います。


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