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わたしたちはまだ…16だから♪

駅を降りて自宅へ向かうなだらかな坂には、40年近く続く洋菓子屋さんがあって、いつもやわらかな甘い香りで辺りをつつんでいる。
その日は雨で、でも傘をさすほどではなくて、わたしは折りたたみ傘を出さぬまま坂道をあるいていた。
ふと、耳にぽつぽつと音がひびいて雨がやんだ。
ふりむくと背の高いやせた女の人が、心配そうにわたしに傘をかたむけていた。

「あめですよ」
「ぬれてしまいますよ。おちかくですか?」

ちょっと驚いてだまっているわたしに、傘はないの?と話してくる。
見ると傘には駅前のスーパーのロゴが大きく描かれていて、おそらく買い物帰りに貸し出してもらったのだろう。ふくらんだ赤いエコバックを肩に下げていた。

「あ、いえ。近いので大丈夫かなって」
少し笑ってわたしは女の人を見上げた。

「まぁ、そうなの?東山町のへん?」
知らないところだ。
「わたしは青木のほうなの。坂を上がったところをあっちへいくの」
女の人はそう言って傘を持った手をぐっと右のほうへむけた。
わたしはすっぽり傘の中に入った格好になって、それでは女の人が濡れてしまう感じになって、これはいけないととりあえずまっすぐに歩きだした。

はじめましての相合傘で坂道を上がっていると、お砂糖のほんのり焦げる甘い香りが追いかけてきた。ケーキだろうか…プリンだろうか。

「あぁいい香り」
おもわず声に出てしまった。

この街に来て1年。なんどこの道で深呼吸しただろう…。
この香りに元気をもらっただろう。

「わたしね」
女の人のが嬉しそうに言った。
くるっと目を丸くして白髪の混じる髪をかきあげる。
「あそこのケーキ屋さんでアルバイトしてたのよ」
「中に喫茶室があってね」
「高校のころから大学でるまでかな。」

あぁこの方は、ここでずっと過ごしてこられたんだ……。

「何人も有名人が来てね。そのころアイドルだったあの子とか…。女優のあの人とか…」
女の人は、あなたなら絶対知ってるわよね?といった風にのぞき込んでくる。
もちろんですとうなずく。

あの子たちやあの人たちは、40年たった今もテレビやラジオで見聞きする人ばかりだった。

「わたしもね…」
女の人の息がすこしだけあがった気がした・
「いたのよ、芸能界…。少しだけだけど…」

そうなんですか?芸名は?どんなお仕事されていたんですか?

そんな言葉が出かかった。けれど、わたしはなにも聞かなかった。
その人の…きっとその人の良き時代があふれてきたとき、わたしにはそれを受け止める度量はなくて、それをおさめる術も持っていなかった。

「まぁ、そうなんですね…」

それだけ言うとゆっくり一歩ずつ足を運んだ。
女の人も静かに歩いた。

もうすぐ坂道が終わろうとしている。

「ほんの少しの間だけだったけどね」

女の人が右へ曲がるところへきた。

「わたしはこっち。あなたはあっち?」
両方の手の指を右と左に向けて女の人はおどけた。
「はい」
わたしは頷いた。

「あ、雨やんだね。」
「ありがとうございました」
「梅雨があけたら暑くなるわね」
「ほんとですね」
「お互い気を付けましょうね。楽しくゆきましょうね」
「はい」

「わたしたちはまだ!」
女の人が、なつかしいなつかしいフレーズを口ずさんだ。
ほら、ご一緒に!と目が笑っている。
雨上がりの坂の上で、わたしたちは左手を上げた。
「16だからー♪」

誰しもの良きころ。その一片は人を支えて熟されて。

お砂糖の香り漂うケーキ屋さんの喫茶室だったところには、いまは焼き菓子がならんでいる。
そこはいつだって、誰かの幸せの場所だ。

                           終









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