プロローグ ・・ようこそ・・
keikoママです。
この度は私のブログをご覧いただきありがとうございます。
まずは幼少期の頃のことを書き記したいと思います。
私がこの世に生を受けたのは1955年。
幼少の頃は全く何もなかった大阪ですが、
1970年ごろになると南港へと続く地下鉄の交通網までもが
完全に整備されて、どんどん都会になっていきました。
特に大阪の港区は、国際会議施設や展示場などが立ち並ぶエリアとして開発が進められており、昔は海だったそうだが、大きく変貌しました。
埋め立てられた生家、そして地下鉄は地上を走り南港まで続く、道路は43号線は神戸へとつながっています。
子供のころ凸凹道があったところもドンドンきれいなアスファルトの道へと変わって、わたしは自分の成長と共に見てきました。
人も経済も活気に満ち溢れていました。
ちょうど同じ時期、オリンピック、万博など・・さらに見違えるように町は変わって行きました。
19歳の時に初就職したのが砂糖の問屋さんの事務職でした。
順調に勤務をしていたある日のこと、専務が飼っていたドーベルマンに襲われて腕を噛まれ、服はボロボロになってしまってしまいました。
このことに両親が激怒し、会社を辞めることになってしまいました。
次に務めたのが難波に店を構えるブランドショップ。
私とっては何の面白みもない事務職でしたが、
会社の帰り道に自分に似合いそうな洋服を探して、「今に給料で買えるようになるぞ」と希望を抱きウインドショッピングしながら歩くことが楽しみでした。
この頃はまだ自立心もあり、結婚して家庭に入るなどという考えは全くなかったような気がします。
そんな私が、その2年後にあれよあれよという間に21歳で結婚。
その翌年、22歳で安産で女の子それから三年半後に男の子授かり二児の母になりました。
旦那さんはまさかの11歳も歳上。
当時は年の差結婚は極めて珍しく、周りからも「なぜそんなと年上?」と散々言われました。
何がどうなって結婚に至ったのか。
■第一話『華麗なる人生の始まり』
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【目次】
■プロローグ・・ようこそ keikoママです
■第一話『華麗なる人生の始まり』
■第二話『霊園事業へ』
■第三話『ネッワークビジネス初めての挑戦と挫折』
■第四話『再びネッワークビジネスとWeb集客』
■第五話『インターネットの活用』
■第六話『離れいったリーダーた なぁ~ぜ。なぁ~ぜ?』
■第七話『これが最後のSNS・インターネット集客』