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あれから23年…隈研吾氏設計の光市の産院を眺め、涙しました。

今から23年前の今日…
平成10年9月23日に長男は光市の梅田病院で産声をあげました。

長女を平成8年4月7日に自宅出産。
長女の時も、尊敬する梅田先生には自宅出産にご理解とご協力いただき、大変お世話になりました。

二度目の妊娠は稽留流産の為、平成9年9月1日に流産手術。

三度目の妊娠で、初めての産院での出産でした。

産院での出産に立ち会う為に
主人は事前に必須の講座も受けていました。

しかし、秋分の日の朝に陣痛が来て
その日、主人は地域の道作り(草刈り等の奉仕作業)に参加しなくてはならないので、産院には午前中、義母に送ってもらいました。

主人が出産に間に合うことを祈っているうちに、陣痛は一旦おさまり、お腹の子はすっかり落ち着いてしまいました。

初産の時の苦い経験があるので、陣痛の間隔が短くなるまで、産院の階段を登ったり降ったりしました。

午前中の道作りを終えて、シャワーも浴びて、スッキリした主人がようやく産院に到着。

すると、しばらくして陣痛が再びやってきて、いよいよ分娩室へ

すると、主人は急に思い立って
ビデオカメラを買いに電気屋さんへ

私は分娩室で、再び主人が出産に
間に合うことを祈って主人の帰りを待ちました。

お腹の子は身体が大きく、肩が引っかかって、なかなか産道を出てくることができず、出産まで時間がかかったお陰で、主人は長男の出産に立ち会うことができました。

二度目の妊娠で授かった子の分まで、長男の子育てには、2人分手が掛かることを覚悟しました。


あれから、23年…


結果的に私が引き寄せたのか、いろんなことがありましたが

今春から息子は息子と私の母校でもある高校の建築科でお世話になっています。

生徒さん達には先生というより、兄のように慕われているようですが、実の弟(次男)も同じ高校の3年生で、父親(主人)はPTA会長です。


今日は、梅田病院のすぐ近くの文房具屋さん(虹の文具館)に買い物に来て、23年前のことを思い出し、感謝で涙が溢れました。


4番目の末っ子次男の出産の時には、建て替え中だった、隈研吾氏設計の現在の梅田病院を撮影しました。

梅田先生が、隈研吾さんのことを「いい男」と称され、設計を依頼された経緯をお聴きしたことを懐かしく思い出しました。

長男の子育ての中で、思い出深いのは、重度のアトピー性皮膚炎の発症です。

余裕がなくて、当時の写真を1枚も撮っていないことが残念です。

長男のアトピー闘病記は改めて、別の機会に記します。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ご縁に感謝。


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