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読み比べ

先日東京にいた時、とにかく「本読みたい。本屋行こう」となり、お目当ての本屋に行く前に何故かブックオフがあり…(疎い私はブックオフは漫画しか売ってないと思っていた)それでもお店に入り、そのまま右に曲がり、いきなり目に付いたのがこのナポレオン・ヒルの70年も封印されていた「悪魔を出し抜け!」
そう、いわゆる「本に呼ばれた」状態。
(ちなみにお目当ての本屋はお粗末様でしたとさ)

写真右のビーイング・ユー、チェンジング・ザ・ワールド訳者としては、悪魔と言えども言ってることから「当時のアメリカ在住の悪魔なのねん」と突っ込みどころ満載ではあります。
というか、突っ込んで読め!ということだったのでしょうが。

でも表現の仕方こそ若干違えど、基本的に伝えたいことは一緒なんですよね。
ナポレオン・ヒル:「流されるな」
Dr.デーン・ヒア:「コンシャスになれ」
=「ボケっと生きるな」

自分がクラスでよく言うのは、
「TVつけても一歩外に出ても花粉症対策だらけだからって、自分の体に花粉症を創り出していますか?」
「みのもんたがテレビで『きなこが体に良い』と言ったら、鵜呑みにしてきなこを買いに行きますか?」(古くてゴメンナサイ)
周りに合わせてボケっと生きてるとこうなります。

この時合わせて購入したのが、百田尚樹さんの「海賊と呼ばれた男」(この本にも呼ばれました)。途中まで読んで、実在の出光さんのことだと知りました。中村天風先生といい、この時代には骨のある日本人が多かったのですねぇ… 今もいる? どこ行っちゃったんだろ?

主人公の國岡鐵造、アクセス的にいうと完全にヒューマノイドです。ナポレオン・ヒル的に言うと、全く流されていません。
そしてアクセス的に言うと、自分の生き方に完璧にコミットしてます。ナポレオン・ヒル的に言うと、目標がこれ以上ないほど明確です。
もっとわかりやすく例えると、映画「シン・ゴジラ」の会議してる官僚達と、各省庁から選抜されたチームの面々。ヒューマンVSヒューマノイド、流されてる人と流されない人。

こういう本を読んでいる方達は、他に何かもっとあるはずだとわかっている人でしょう。それが何なのかまだわからないけど、もっと違うものがあるはずだ、もっと何とかなるはずだと。
そしていろんな先人の本を読んで、だよね、だよねって感動してうなずけるけど、さて、自分は出光さんほど大きいことをする器ではないし…とため息をついて本を閉じる。

自分もずっとそうしてきました。中学生の時にジョゼフ・マーフィの「あなたにも超能力がある」を読んでから、ずっといろんな自己啓発系の本を読んでは、なんとなく自分に当てはめようとして、でも自分の目標ってなんだべ?何だろうこのキリスト教的違和感?と行き止まりになって…を繰り返してきました。

アクセス・コンシャスネスのこの「ビーイング・ユー、チェンジング・ザ・ワールド」を読んで、声にならない呻きが何度も出ました。
書いてあることは既存の自己啓発本と近いことがあるかもしれません。日本人だから既にわかっていることもあるかもしれません。
でも決定的に違うのは、何者かになろうとしなくても、ただ自分自身でいるだけでいいんだよと、体も心も緩めてくれるところです。ちょっと読み比べて見てください!

…でもナポレオン・ヒル(というか、悪魔)が言うように、日本は宗教はそれほど濃くなくても、教育界では「流される」アホばっかり製造しようとしてますよね… これは何とかならないかな? 子供にこの本(ビーイング・ユー)読ませたいんだけど、何かいい方法ないでしょうか?

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