国際女性デー:もっと目を向けてほしい日常的なセクシズム
1. 違和感を無視してしまった
中学2年生の頃、今考えるとゾッとするほどのセクハラを目にしたり受けたりしていました。
私のクラスにはAという男子生徒がいました。彼は仲の良い女子生徒のブラを外したり、彼女らの体育着の中に手を入れプライベートなエリアに触れるといったことを当然の如くしていました。
私はそこまでのことはされていなかったものの、Aと席が前後になった時期に彼は私の二の腕を触ってくるようになりました。私も最初は嫌がっていたものの、しつこく「触らせて」といってくるAに抵抗するのも面倒になり触らせていました。当時はAがそういう人(女の子の体に触れるのが好きな人?)と割り切って受け入れてしまっていたんです。さらには私に触れることが好きというようなことを言われ、少し良い気にさえなっていたような気がします。
他にもAは制服の白シャツに水をかけていいか、やブラを外していいか、など多くのセクハラ発言を女子生徒に投げかけていました。女性教員に対してもセクシストな態度をとっていたように記憶しています。
当然、上記のことは許されることではありません。紛れもないSexual Assaultです。初めてAが他の女子生徒のプライベートゾーンを侵害するのを見た時は怖かったし、気持ち悪いと思ったことを鮮明に覚えています。でも日々その光景を目にしていくうちに、おかしな事とは思わなくなってしまいました。「Aはそういう人だからほっておけばいい」と違和感をかき消して自分の体に触れられることも許してしまっていました。
2. 自分の体が嫌いになった
私は中学生の頃水泳部に所属していました。部活動や水泳の授業では当然、体のラインがはっきりと現れる水着を着用していましたが、そんなこと全く気にせずに純粋に水泳というスポーツを楽しんでいました。
そんな中、私が自分の体を嫌いになり、周りの目を気にしてスポーツを純粋に楽しめなくなる出来事が大きく2つありました。
ひとつは水泳の授業での男子生徒の態度、もうひとつは仲の良い友人からの言葉でした。
夏の体育の授業は選択制で水泳部に所属していた私は迷うことなく水泳を選択しました。そんなある日の授業で数人の男子生徒が私の通る横で話している声をはっきりと耳にしました。
「あれ?触るんじゃないの?」
「〇〇(私の名前)の胸触るって言ってたよな?」
その時のショックと羞恥心は今でも忘れることはできません。自分の体が性的なものとして見られているという事実は思春期の私にとってものすごく屈辱的なことでした。これが一つ目。
そんな私に追い討ちをかけるように友人の言葉が突き刺さりました。これが二つ目です。
どんなコンテクストがあったかはあまり覚えていません。でもあの時のことは一生忘れません。
部活動前か後だったと思います。女子部員仲間の1人(B)との会話です。
B:「でも〇〇(私)は胸があって良いじゃん。」
私:「そんなことないよ」
B:「いや、男子はみんな〇〇(私)の胸しか見てないよ(苦笑)」
なんの言葉も出なかったと思います。ただただ、悲しくて屈辱的でした。これにその場にいた他の女子部員も同意するような仕草を見せ、「ああ、同じ女の子たちまで私の体のことをそんな風に思っているんだ。私の体って性的なものでしかないんだな。」と感じました。
それから高校を卒業するくらいまでは自分の体が嫌いで嫌いでしょうがありませんでした。褒めてもらえても不快に思ってしまったり、服を褒められるだけでも嫌悪感を覚えてしまったりなど、とにかく自分の体について誰にも何も言われたくありませんでした。
ただ生きているだけなのにセクシャライズされてしまうという事実が嫌で嫌でたまらなかった。でも、そんなこと周りに話せないし、こんな話をするのは恥じだと思っていました。
大学生進学後は異性の恋人ができ、自分の体を見られることもありましたがそこでどんなに褒めてもらえても、中々自信を持てなかったし心ゆるすことにも苦労しました。「自分の体は性的で恥ずかしいもの」という考えが私の中に根深くあるからです。
まとめ
今まで受けたセクハラは決して忘れられない傷になっているし、今の自分に大きな影響を与えています。私のような経験をしたことのある女性は少なくないと思います。日常で経験したハラスメントを共有することのできるEveryday Sexism Projectを覗いていただければわかると思いますが、小さなセクシズムはそこらじゅうに存在します。
私はいまだに自分の体を愛すことはできていません。もちろん女性の体が性的で恥ずかしいものなんて思っていませんが、それを自分に当てはめることはできずにいます。今まで生きてきた中で埋め込まれ、根を大きく広げて有害な思考を駆除することはなかなか難しいです。
どんなに小さなセクシズムでもそれを当たり前のものとして受け入れる社会を作ってはいけません。若い女性たちが自分の体を恥ずかしいものと定義してしまう環境を許してはいけません。それは本当にトキシックだから。
全ての女性が当然のように自分を愛して生きることのできる社会を実現したいと心から思います。
初めての投稿で文章もぐちゃぐちゃでわかりにくかったと思いますが最後まで読んでいただき、ありがとうございます。