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自分史の種

はじめに
 自分が行ってきたこと、考えたことを記録することは、自己満足かもしれないが、他者のそれを読むと役立つこともある。
 わたしは写真1枚、歌1曲、発明1件、料理のレシピ1つ、など。いろんな分野で何かを残したいと思った。
 シナリオを書き、応募したがあっけなく落選。発明とは呼べないかもしれないが、道具の工夫では主催者の〇〇協会長賞を頂き、作品はTVで紹介された。笑わないで、スーパーで募集していたレシピは選ばれ、小さく貼り出されていた。母校の校歌づくりにも「出してみたら」の言葉に、調子に乗って譜面を送ったが参加賞止まり。後に合唱部の後輩を騙し、歌ってもらった。なんというひどい先輩。


床屋


今回お世話になった理容室

 近々、初めて参加する集まりがあるので、ここ数ヶ月伸ばし放題だった髪の手入れに行った。

 私は子供の頃、自宅で母親に髪を切ってもらっていた。床屋でじっと座っていることが苦手だった。今思えば、多動児である。

30歳で初めて定職を得、学生時代の服装のまま出勤した。ズボンはジーパンである。仕事はユニホームなので何も考えずにいた。

しばらくすると先輩たちが心配し、その中で絵のうまいHさんからメモを渡され、これを持って美容室へ行くようにと言われた。
美容室へ行ったのは、生まれて初めてであった。

仕事をやめてからは、床屋に行くことはほとんど無く、風呂場で鏡も見ずに、片手で髪を掴み、握り具合でハサミを入れていた。
ハサミそのものは親父のお下がりでプロ仕様のものだった。

どういうわけか、周りの人から髪型について指摘を受けることはなく、過ごしてきたのでした。


リングスの店内。壁に龍の書が飾られている


退職後に何をする?

職場の先輩や同業者から、「退職後どうするの?」聞かれたときわたしの答えは2つ。

  • OTの里

  • 写真の整理

 OTの里は農作業や各種クラフト、電子工作などが自由にできる場である。
今、各観光地では陶芸、ガラス細工、木工をはじめ乗馬、普段乗ることのないオートスポーツなどの体験が人気である。私としては、1回きりの体験ではなく、持続できる場が欲しかった。
 現在、田中浩也[監訳],ニール・がーシェンフェルド(2012):Fab パーソナルコンピュータからパーソナル・ファブリケーションへ.オライリー・ジャパン.を読んで、FAB関係の本を集めている。

UTubeで中島みゆきの曲を聞いていたら,ヤマハポピュラー・ミュージックコンテストで優勝した話が流れていた.

ヤマハ渋谷に出入りしていた頃,合歓の郷というリゾート施設があって,その島で歌った.私はベース担当だったが,石川鷹彦に「ベースも歌えるじゃない」とのコメントをいまだ忘れない.

赤瀬川原平:「櫻画報大全」.青林堂.

先ほど,メルカリにて購入.新潮社の文庫版では,なにか物足りない.

 「櫻画報」を初めて見たのは,大学仲間の家へ行った時だった.応接間の壁一面が書棚で,一般家庭用の本棚しか知らなかった僕は,本はこんなに買ってもいいんだと衝撃を受け,ローテーブルに載っていたのが「櫻画報」だった.

 当時は70年安保の残り火が燻り続け,東京郊外の私立学校でも「大学占拠」が叫ばれ,一部実行されていた.「7機」が来るかもしれない,偵察係として,立川へ向かう.そのバディの家だったが,顔はおぼろげながら思い出せるが,名前もその家の場所も忘れてしまった.

 バンド仲間のT君は,行動でパイプを持って争い,スクリーンを破り,入院した.そのころ,僕はバンド2つ,映画クラブ(配給元からフィルムを借り,講堂で映写),TIAF(4大学E.S.S.)の活動に参加していた.

 もう,時効だろう.深夜,学生占拠中の「大学本館」の屋上から縄梯子を下ろし,スプレーでヒビを描いた.僕はヒラだったので,見守るだけ,実行はさせてもらえなかった.

 キャンパスでは,夜バイクを運転していて,死に損なったこともあるが,その話は,3回死に損なった話として別の機会に…….


こんなワシに……。