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第7回公判

集中審理中である、私の裁判は7回目を迎えました。
この回で、今年の分は終了です。

本日は、科捜研が行った鑑定に対する被告人側からの証人尋問です。

結論から先にお伝えしますと、証人は科捜研が鑑定した証拠にはその証明能力がなく、証拠品(私の自宅から発見された塗膜片様のもの)と試料(同種の金庫から採取した塗膜)は「異種である」というご判断をされました。

これだけでも大変な事態です。
法廷において科捜研の鑑定における信用に揺らぎが生じてしまったのです。

どうして、このような事態が生じてしまったのか。

それは科捜研の鑑定人がその証拠物を犯罪証拠であるという「主観」で判断してしまったために起こった現象だったのです。もっとわかりやすく説明しますと、数値で正確かつ細かく判断しなければならないところを、ただの思い込みで判断してしまったようです。

分析結果のグラフもひとつひとつの波形は似ています。しかし、これを重ね合わせると証拠品と試料の成分は一致しているとはいえないレベルになりました。また試料には本来含まれない成分が入っていましたが、科捜研はこれを鑑定に際して汚染(コンタミネーション)されたものと位置付けていました。しかし、証人はそれも違うという証言でした。

私の自宅から出た証拠品である「塗膜片様のもの」はさまざまな分析装置を用いて科学的に鑑定されました。そこでは同時に鑑定箇所の写真も撮影され、添付されていました。この写真から鑑定時における汚染はないと断言すべく被告人側証人は証言したのです。断言するということは断言できるだけの根拠があります。断言したものが違うとなれば、偽証に問われる可能性もあります。その言葉にはある一種の力強さがありました。

科捜研は証拠品と試料は「酷似」しており、被害品である金庫の塗料と「同種である」と位置付けました。ですが、示された数値結果や成分について、科捜研が出した鑑定書からそれを真っ向から否定する結果となったのです。

我々の手元には証拠品も試料も手元にありません。
しかしながら、科捜研が行った鑑定結果でも科学的に深掘りしていけば、ここまでの分析や検証ができるのです。

被告人側証人は現在、とある有名大学で上席研究員としてご活躍されていらっしゃいます。この証人の先生なんですが、実は某警察本部の科捜研職員として、ご自身の定年まで30年以上キャリアを積まれたそうです。交通事故における塗膜片鑑定や殺人事件における凶器の分析など、科学捜査においては多岐にわたってのご経験が豊富とのことでした。

そのような方が、どうして私の事件の証人を引き受けてくれたのか。

それは、在職時にご自身の中でも「この証拠で本当に有罪にしていいのか」といった葛藤があったようです。なので退官された後、この由々しき現状を変えていくため、大学の研究室で今も第一線に立たれているとのことで、私も大変驚きました。

今まで我が国の司法制度については大きな違和感を感じていましたが、こういったところにも根深い問題があったのです。

証人の先生はこうもおっしゃっていました。

「捜査現場から上がってくる証拠は犯人と結びつくものだというバイアス(先入観)がかかる。そこから先は鑑定人の考え方次第で、各都道府県に設置された科捜研の相互間において、その判定基準もない。そして、事件のあった当該エリアは全国でも犯罪が多い地域。当然捜査現場からの鑑定依頼も多い。そこの科捜研職員のレベルが低いわけではないが、鑑定結果のレベルは落ちる。そこには人員の問題もある。当然、訴追された被告人が本当に有罪になるだけの証拠としてまとまらない場合も多々ある。とはいってもこれが犯行の証拠と言われればそういう形にまとめざるを得ない。犯人の可能性があるという捜査段階の証拠と一方で犯人と決定づけるために公判で出される証拠は別物としてとらえなければならない。このことは非常に重要な問題なのです。」

こういうことも冤罪が起こってしまう原因の一つです。

要は、指紋であろうが、DNAであろうが裁判で同一性を争うにはしっかりとした「数値」や「根拠」をもって、きちんと判断しなくてはいけません。我々も「科捜研が鑑定したのだから」と思っては大事な部分を見落とす判断をすることとなります。

以前、防犯カメラに写った犯行車両のナンバープレートについて科捜研の鑑定結果が証拠として採用されました。しかしながら、その該当する数字は複数上がっていました。組み合わせ数も結構な数となります。肉眼による目視ではその真偽を確認できません。しかし、科捜研のナンバー鑑定結果は私が使用したという車と犯行車両の数字がいくつかの候補と合致する結果でした。ですが、この画像解析に使われた装置の製造メーカーはその正確性を示す証人尋問への出廷を拒否しました。

ここでも科捜研の鑑定精度に疑義が生じているのです。

弁護人からもその候補数字の多さと、鑑定装置の正確性について担保されていない旨を裁判官に意見としてお伝えさせていただきました。

なぜ、こんなことが起きるのでしょうか。

それは、警察は「組織」だからです。それらしい証拠をもとに逮捕勾留した上で『すみません、間違いました』では絶対済まされません。だから、警察組織の一部である科捜研はちょっとでも有罪の証拠らしきものが見つかれば全力でそれを「動かぬ犯行の証拠」とするのです。

この裁判を担当する公判検事も、こんなことで裁判がひっくり返ることは本意ではないはずです。

検察官もひとつの事件に対して相当な時間と労力をかけています。検察官からも「今日、ご出廷いただいた証人の先生には検察庁からもご協力いただくようなお話しをさせていただけませんか?」という要望が弁護士先生に対してありました。

証人の先生は誤った証拠という側面で、無実の人が有罪になってしまうという現状を大変憂慮されております。この裁判がその問題に一石を投じる形となりそうです。検察官にも裁判官にもそのことに対して警鐘という言葉を使って証言なさっていたのが大変印象的な公判でした。もはや、報道されるべき次元の話と言っても過言ではありません。そのくらいの裁判になっているのです。

証人の先生との別れ際に先生から「私も警察組織に30年以上いたからわかりますよ。あなたはこの事件の犯人じゃないってね。」
ガッチリ握手をして、別れました。思いがけないそのお言葉がとても嬉しく、これからの励みになりました。

そして、この回は今年最後の投稿となりますね。
もうひとつ記しておきたいことがあります。

私は公判の際、常に弁護士先生の「となり」に座らせてもらっておりました。初公判の時からそうです。「隣に座っていてください」と。

私自身、保釈されてから勉強のため何度も裁判の傍聴に足を運びました。そこでの被告人の着席位置は全て弁護人の机の前にある長椅子でした。私はそうでなかったのでいつも不思議に思っていました。傍聴席から見ると3人並んだ被告人側の席は誰が被告人なのか一瞬わからないかもしれません。

被告人は弁護人の前に座るよう指示する裁判官も多いそうです。

この弁護人の前の席に座るということは無意識にでも被告人が何かやったからでは?という予断を生み、無罪の推定に影響するという考えがあります。そのことから裁判員裁判では弁護人の横に被告人という着席位置が定着しつつあるようですが、それ以外の裁判ではまだまだのようです。

私は弁護人の横で審理を受けてよい、そういった配慮が裁判所にもありました。ここからも公平な裁判だということを感じます。ありがたいことです。

無罪を争う裁判というのは、沢山の問題点の中で進めていかなくてはなりません。起訴されれば99.9%有罪になってしまうのはやはり間違っています。
経験した者だけが知っているこの現状をもっともっと伝えていかなくてはならないと切に感じています。

今年も1年間、拙い文章にお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
来年の公判は1月の終わりから再開されます。

皆さま、良いお年を!

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