NO.26 「あるくみる・かんがえる」イスラエル行きを諦めてフィリピンを選んだ訳(2023年12月中旬)
戦乱により行けなくなったイスラエルの旅行をフィリピンに切り替えた。行先はセブとマニラ。45年ぶりの訪問になった。
セブは日本から直行便が飛んでいる数少ない海外オーシャンリゾートのひとつだ。私のカウントではそれらは12箇所*あるが、そのすべてを訪れて自分の心が最も安らぐ場所を探すことを目指しており、いつかセブに又行きたいと思っていた。
マニラは世界でも有数の大都市圏のひとつ。経済成長と人口の拡大、平均年齢の若さで伸び盛りのフィリピンを象徴する。私が趣味でやっている僅かながらの資産運用先候補としてその発展ぶりを現地で体感したいと思っていた。
そんな理由で今回の旅となったが、フィリピンの歴史を改めて振り返ると我々が決して忘れてはいけないことがあることに気付いた。
太平洋戦争は1941年12月8日、真珠湾攻撃から始まったが、同じ日に日本軍はフィリピンにも侵攻し同地に陣取っている米軍との戦闘を開始した。翌年には日本が首都マニラを占領し米軍はフィリピンから一時撤退をするが、その後戦況は逆転、日本軍は63万人兵力のうち50万人もの戦死者(7割が病死や餓死)を出して敗北した。
フィリピンは海外での日本人戦没者240万人の5分の1が亡くなったこの戦争での最大の激戦地だったのだ。
この戦争で111万人のフィリピン人が命を落とした。そのうちマニラの日米市街戦では、人口70万人のうち10万人ものフィリピン民間人が犠牲となった。その多くが日本軍による虐殺が原因と言われている。
つまりガザ地区で起きていることを遥かに超える残虐な行いが日本人によりこの地でなされた。
その戦跡やモニュメントが市内にいくつも残されており今回の旅行で訪問し私は頭を下げた。
なんと、戦乱を避けて変更した新しい旅行先でもその過去の戦乱と遭遇することなったのは皮肉なことだ。
1980年、来日したコラソンアキノ大統領は昭和天皇に面会し謝罪を受けた時に言った言葉は「忘れてください」だ。それは、私の祖父たちの世代が起こした過ちではあるが、現代の日本人が語り継ぐのを忘れてはいけない。
さて、現在のマニラは世界で4番目に大きい都市圏と言うと多くの人がびっくりするかもしれない。
1位 東京 3850万人
2位 ジャカルタ 3437万人
3位 デリー 2813万人
4位 マニラ 2506万人
5位 ソウル 2432万人
(出典2019年Demographia)
今回、その中でも市の中心となる「マカティ地区」のホテルに泊まり、ほぼ1日歩き回った。
ここにはショッピングモール、レストラン、高級ホテル、都市公園、大企業や銀行などのオフィスが集まっている地区が、想像を超える規模やその高級感などに驚愕した。その迫力は写真では表現しがたいが、「その富の源泉はどこに?」が正直に思った疑問だった。マニラに来たら最低半日はここを歩かれることをお勧めする。
フィリピン人は10人に1人は海外で働き家族に送金していると聞く。その額は年間4兆円、GDPの9%を占める。東南アジアでは唯一のカソリックを主要な宗教とする国。英語が公用語なので、欧米がサービス業関連の取引をしやすい国だ。
同じ神を信じるということがどれだけ安心感のあることか、我々では想像できないだろう。
人材はどこまで富の源泉になるのか?このようなユニークな存在のアジアの国がこれからどのように発展していくか楽しみだ。
セブには、マクタン島のシャングリラホテルに2泊滞在した。短い滞在で他にはほとんど行っていないのであまり評価はできないが、印象としてはバリ島やマウイ島に伍していけるリゾートと言えよう。
客筋としては韓国人が一番多いが、東京から手軽に直行便で行けるので寒い冬にもう一度来てみたいと個人的には思う。
国内線の搭乗の際、シニアの優先搭乗案内があった。そのようなサービスは他国ではあまりないのではないか?
街中を歩いているとシニアに属する私への気づかいが日本以上に感じられる。
ホスピタリティと笑顔に溢れたこの国にリピートしたいと思う人はきっと多いと確信する。
*12箇所とは、ホノルル、コナ、グアム、サイパン、バリ、セブ、ダナン、ニューカレドニア、フィジー、タヒチ、ケアンズ、ゴールドコースト。