呼ばれたくないあだ名
先日、あるオンライン講座に参加した。 そこで、「呼ばれたいニックネームをコメントしてください」と言われた。
僕の場合、ふだんは「けーすけ」と呼んでもらっている。いつもみたいに伝えようとしたところ、あることを思い出した。
すっかり忘れていた。
あれは確か、小学生のときだったと思う。
当時、僕は転校のプロフェッショナルだった。父の仕事の都合で、四回も小学校が変わったのだ。
一年や二年で友だちと別れを告げる生活は、いつも心に穴を開けた。
放課後に一緒に遊んだ公園が、突然見知らぬ風景に変わる。秘密基地だったはずの木の上は、すぐに誰かの秘密基地になった。休み時間、ふと隣を見ても、いつもの顔がそこにはない。
そんな僕にとって、新しい学校で友だちにあだ名で呼ばれることは、心の距離が縮まる瞬間だった。「前の学校では、なんて呼ばれてた?」と聞かれると、仲良くなれるかもしれないという期待が芽生えた。
でも、いつも喜んでいたわけじゃない。胃がキリキリする思いをしたこともある。それは、前の小学校でつけられた、ある"特別な"あだ名のせいだ。
前の学校の友だちに呼ばれるぶんには、まあ、許容範囲だった。でも、新しい小学校で、まだよく知りもしない同級生から呼ばれるのは御免こうむりたい。正直、地面に潜りたくなるくらいだった。
頭ではわかっている。本当のことを言わなければいいんだ、と。でも、僕は、馬鹿正直というか、ウソが下手というか。「えーと、それは...…」なんて言ってごまかそうとしても、すぐに顔に出てしまう。
転校から数日は何とかはぐらかせたけど、日が経つにつれて周りの好奇心は増すばかり。「そろそろ教えろよ!」という、やんや騒ぐ声に、ついに根負けしてしまった。
そのあだ名は...…、「おやちゃい」。
僕の苗字が「おやまだ」だからという、実にシンプルな理由だ。でも、その単純さが余計に恥ずかしかった。
僕は元々受け身の性格で、それに加えて転校生。自分から話しかけるのも苦手だし(余談だけど、ナンパなんて論外)。
そんな僕が「おやちゃい」なんて言葉を、自分の口から発するなんて。考えただけで、頬が熱くなり、手のひらに汗がにじむ。
と、そこへ、一人の救世主が現れた。「じゃあ、おやちゃんにしよう!」
その日、僕は「おやちゃい」から「おやちゃん」へと、まるで蝶のように羽化を遂げた。
あれから三十数年。僕はすっかり大人になり、あだ名の恐怖から解放されたと思っていた。そう、あのオンライン講座で「呼ばれたいニックネーム」を聞かれるまでは。
記憶の中を漂っていた僕は、ある声で現実に引き戻された。
「いや、間違いじゃないです。骨粗しょう症と呼んでください」
僕は思わず、声のするほうを二度見した。骨粗しょう症? あだ名に?
しかし、上には上がいるものだ。
なんだか肩の力が抜けた。世の中には「おやちゃい」なんて可愛いもんじゃない、もっとすごいあだ名を望む人がいるのだ。
あだ名って、十人十色なんだなあ。
考えてみれば、呼ばれたくないあだ名は人それぞれ。でも、呼ばれたいあだ名だってあるのだ。お互いの気持ちを大切にすること。それが一番なのかもしれない。
そう考えると、「おやちゃい」も悪くない気がしてきた。