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最良と布の服

僕にはやめたいことがたくさんある。

なぜ、やめるのか? 

「最良」の未来に手を伸ばしたいからだ。

ところが「最良」の未来に手を伸ばすとき、僕の足をぐぐいと引っ張るものがある。

「良」だ。

悪くはない、でもすごくいいわけでもない。
つまり、「ほどほど」。

僕は、ほどほどの人生を生きるつもりはない。

お腹いっぱいになるまで自分を生き切って、「ああ、面白かった!」と言いながら死んでいきたいと考えている。

そのためにも、僕にとって最良とは何かを突き詰め、それを生きていきたい。そんなふうに決めている。

と、まあ、決めたはいいのだけれど、冒頭で触れたとおり僕にはやめたいことがたくさんある。

結局すべてやめることになるわけだが、とりあえず「これかな?」と思うものからやめることにした。

それは、「人に頼らないこと」だ。

僕は人に「助けて欲しい」と言うことが苦手で、なんとか自分でできないものかと試行錯誤するクセがある。

試行錯誤して解決すればいいのだけれど、悲しいことにほとんど解決したためしがない。というか、「解決しない」が9割。

自分の問題処理能力の低さに、大声を上げて泣きたくなることがある。

「解決しない」が9割の僕は、その後どうなるのかというと、どうにもならない。

というか、どうしようもなくなるまで奮闘はする。

そして、自滅する。

助けを求めたときには時すでに遅し。「もう、どうしようもない」という言葉の前に、膝から崩れ落ちることになる。

そのたびに、この世の終わりだと思う。

直近の事例でいうと、助けを求めることができなかった僕は「うつ病」になった。「うつ病」を舐めていたわけじゃないけれど、死ぬことしか考えられない日々がしばらく続いた。

ドラクエ的に言うと「勇者のころも」が「布の服」になったくらい、心の防御力が著しく低下したのだ。

やれ、やれ。

ところで、僕はどうして「助けて欲しい」と言えないのか。それは幼少期の体験が深く関係していると思われる。

厳しい父に育てられた僕は、大人はみんな怖いと思うようになり、「助けて欲しい」と言えない子どもになった。

年中「布の服」を着て、びくびくしながら生きていたのだ。(その割には、結構やんちゃだったことは伏せておきたい)

でも、だ。
僕はもう、大人になった。

いつまでも擦り切れた「布の服」をまとって、被害者ぶりながら生きるのはやめにしたいと思う。

それから、本当は助けて欲しいのに、信頼できる人にすら頼らないのもやめることにした。

と、ここでも決めたはいいのだけれど、これは僕にとって一大決心だといえる。

「布の服」を脱ぎ捨てるのも、助けて欲しいと言うのも、苦手なジェットコースターに乗るくらい怖いことだからだ。

でも、怖いまま、僕は前に進もうと思う。

「布の服」を脱ぎ捨て、早めに助けを求めるのだ。

その先に、僕の最良があるのだから。



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