事業を所有するという幻想

家業を継いだ友達が、子供に恵まれず自分の代で血族での経営を終える覚悟を決めたと話してくれた。でもだからこそ出来る挑戦や広がる選択肢があると、前向きな語りに少し気持ちが救われた。

血族でバトンを繋ぐことが良しされる空気感の中で、夫婦家族の間でたくさんの葛藤と会話と涙があったことは想像に難くない。
紡ぐ覚悟同様に、紡がない覚悟も尊ばれるべきだろう。

他人資本を活用するVC業をやっていると「事業は人の金でやるな。自分の金でやれ。」というアドバイスが起業家に向けられるシーンを目にすることがある。
もちろん意図は分かるんだけど、どこか可笑しさを感じてしまう自分がいる。

そもそもあなたが自分の金と思ってるのは本質的には他人の金だ。金に限らず全ての所有物は墓場までは持っていけない。自分が生きている間、世間様から一時的に預かっているだけのこと。死ねばその後必ず誰かの手に渡る。

事業も家業も同じだ。ひとたびこの世に生を受けた法人格は、いつの日か必ず出口を迎える。もし未来永劫存続するのであれば必ずいつかはパブリックな存在になっていく。
そう考えると家業だって、長い長い月日の中でたまたま血筋が続いている間だけ、世間様から一時的に預かって経営しているだけだと気づく。

所有に対する執着や幻想から解放されるともっと視野が広がったり、良い打ち手が見つかったりするかもしれない。
創業の地点からパブリックになっていくことを前提としているスタートアップはここに一つの強みがあると感じる。

まぁ言うは簡単で家業の藤田酒店の株を外部に持ってもらうという意思決定なんて親父の目の黒い内は絶対できないし、親父の意思を汲んで経営していくという気持ちが強いので、きっとずっとできない。

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