アメリカでのトレーニング第27回 「コロナに振り回されてたときの話 その1」
2020年2月、徐々にコロナウイルスの感染が広がり始めた。中国に始まり、日本もクルーズ船から感染が広がっていった。それを眺めていたアメリカは、完全に人事のように捕らえていた。
「3月に日本で試合があるから帰るんだ」とかって話していると、「ウイルスもって帰ってくるんじゃないぞ」といじられていた。
そんな3月の試合の中止が2月26日に出された。つまり、日本に帰らなくなった。今回の帰国はすごく楽しみだった。1月のホームシックはなくなっていたが再発しそう。しかも、次はいつ帰れるのかもわからない。最悪の場合は5月の中旬だ。
その日の夜はもろもろ日本へ連絡してたら、すっかり遅くなった。しかも、やっぱりショックで眠れない。一睡もせずに練習へいった。とりあえず、俺が置かれている状況をコーチに説明しないといけない。
日本を出て海外で暮らすというとき、「ビザ」という書類が必要になる。これは、パスポートとは別の身分証明書のようなもので、アメリカならアメリカの政府が認めた人に発行される。その国にくる目的に応じて、ビザの種類がある。働く人(駐在員とか)は就労ビザ、大学生なら学生ビザ。就労ビザを持っていないのにアメリカで仕事をすると逮捕される。
でも、その国に行く理由は仕事や勉強だけじゃない。一番多いのが旅行。こういう人に出されるのが観光ビザ。これはだれでももらえるのだが、その代わりに期限がある。アメリカの場合は3ヶ月。3ヶ月以上連続でアメリカに滞在し続けることはできない。
で、俺の場合。俺は語学学校の学生という身分だから、学生ビザを申し込むことはできた。しかし、練習や試合で授業を休まないといけないため、学校が指定する日数出席できないことが最初から分かっていた。そんな不良生徒には、ビザを出してくれない。
就労はどうだろうか。俺の仕事はトレーニング、といえば申し込むこともできなくはない、かもしれない。しかし、所属企業である東京ガスのアメリカ支社がボルチモアにある訳でもなく、申請しようとするとかなり手続きが煩雑になることが予想された。
一方で、年間の遠征とか国内試合の日程を眺めると、どうやっても3ヶ月連続でアメリカにいることってないんじゃね?という話になった。だったら、観光ビザだけもらって、3ヶ月経たない間にアメリカ出ちゃえば問題ないな!となった。ちなみに一瞬でもアメリカを出れば、日数は0に戻るので、また3ヶ月滞在できるようになる。
これを繰り返して、およそ2年、どうにかアメリカに住み続けてきた。
さて、俺がアメリカに入国したのは2020年の1月2日。つまり、観光ビザだけで滞在し続けられるのは4月2日まで。3月の試合が無くなって日本に帰らないとはいったものの、4月2日までにどこか外国に行って、連続滞在日数をリセットしなければいけない。
だらだら長くなってしまったが、これをコーチに説明して、何か作戦を考えないと。作戦とはつまり、どこの国なら簡単にぱっと行って帰ってこれるのかという話。
ボルチモアからぱっといける場所として考えられたのが、カナダかバハマ。カナダなら本気を出せば陸路でもいける。
McKenzieは、「バハマには大きなウォータースライダーがあるのよ。やりにいこうよ。コロナバケーションだわ」とのんきにはしゃいでいる。だからもう、おまえのそういうとこ、好きだ。
ちなみに跡で分かったのだが、観光ビザのルールとして、バハマやカナダのように、アメリカと国境を接している国の場合は、そこにいったところで滞在日数はカウントされ続けるというルールがあるらしい。つまり、連続滞在日数をリセットするためには、近場に出国するだけでは不十分で、まあまあ遠いところに行く必要がある。
授業で、日本に帰らなくなったことを説明した。みんな口をそろえて「それがいい」と言っている。当然だ。わざわざウイルスの蔓延しているところに飛び込んでいくほど愚かなことはない。でも、俺は帰りたかったんだ。帰れる日が決まって宝がんばれてた。逆に、そんな風に思ってるから、いつまで経ってもアメリカが自分の家だとは定着しなかったのかも知れない。
そんな訳で、ホームシック再発。眠れない。練習の調子も悪い。珍しく考えることとか、説明しないといけないことが多すぎていらいらする。
さらにややこしいのは、アメリカ人にとってビザは身近な問題ではない、語学学校の学生も皆基本的にはきちんとした学生ビザをもっているので、このイライラをだれとも共有できない。
3月に入って自体が急変した。所属企業から「日本に帰って来い」という指令がきた。せっかく帰国できないという現実を受け入れ始めていたのに。また皆に一から説明しなおしだ。
まずは学校へ行って、事務のralphと話をした。無駄にビザ問題の説明能力だけ上がっている。観光ビザについてこんなにべらべら説明できる日本人はいないのではないかと変な自信がついていく。結局のところ、成長とは、追い込まれたときにするものなのだ。
しかし、俺の努力もむなしく、日本に帰ることについて、賛同を得られなかった。
そんなこといったって、俺の身分は会社員、帰って濃いといわれてるんだから、帰るしかないんだよ。
最終的にその辺の事情を、コーチは理解してくれた。が、学校の方は理解してくれなかった。
この後、また自体は急変するわけですが、長くなったのでここでいったん切ります。次回も読んでください!