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キャリア自立を考える(リストラ実行と左遷、それから)

従業員をリストラする事なるが、従業員を守るために会社の規定を超えてしまった行動がきっかけで左遷となり、キャリアの迷子になった現在をお伝えします。

【要約】
事業所長をやっていた頃(3年前)、会社から私の事業所閉鎖と従業員のリストラを命じられた。リストラの仕方については、会社の規定に無理があり、対応策を会社に提案したが棄却。上司も会社側の立場で再提案に協力してくれない。そうなると、私と会社で価値観が合わない。この会社では働く気がなくなってきた。提案内容はどうしても譲れず、自身の進退を賭けて転職を念頭に私の責任で実施した。
閉鎖後、会社からは「研修室という窓際」に左遷人事処分。転職先からは2社内定貰ったが、現在の福利厚生や会社の安定性やブランド力が捨てきれず左遷を受け入れた。左遷先で上司からパワハラを受け現在も通院中。パワハラ上司は別の部署へ異動となった。パワハラに恐れる必要がなくなったので左遷先で起死回生を狙いキャリコンの資格を取り、研修カリキュラムを大幅に刷新したところ成果が出ており、社長や部門長は「驚いた!この成果は凄い!」と感動した。やりがいは感じる。しかし私にはキャリアパスがない。年収が20%落ちたままのため生活にも影響が出てる。なのに、これからさらに残業は絞られるとのこと。経済的にはさらに苦しくなる。昇格するにはパワハラした元上司と上手くやっていく必要があるとのこと。それはできない…、、、これからどうしたら良いか…

【私の主訴】【支援頂きたいこと】
年収を戻したい。
これまでの私の言動の振り返るポイントは何か(自己理解支援)。
キャリアコンサルタントの資格を活かしたい。
人材育成や人材開発にやりがいを感じており、さらに進めていきたい。
パワハラした元上司と上手くやっていくのは無理。
これから、どうしたら良いか、、、

突然その指令はやってきた。

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閉鎖の理由はお客様が海外に拠点を移すが、「当社は海外には付いていかない」という経営判断によるものだった。

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雇用を守るために、客先にも交渉し、別の業務を取り込んで同じ場所で事業を継続できないかと検討を重ねたが、建屋の劣化も激しく、これ以上ここで事業をするのは最適ではなかった。事業所を閉鎖する事は、避けて通る事はできそうになかった。

そして事業所閉鎖に関する情報は、トップシークレットとされ、従業員への告知は閉鎖日の3か月前とされた。(1月に決まったので9か月後に告知)

本件の対応方法について相談が許されているのは上司の部長と役員のみとされた。上司からは、粛々と閉鎖に向けた準備をするよう指示があった。

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会社から提示されたリストラの仕方は「当社の別の事業所を紹介し、時給は全く同じままで受け入れるので、希望者には勤務地変更で対応すること」というものだった。

方針は素晴らしいが、ここに大きな問題があった

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受入可能な別の事業所というのは、現在の事業所から最寄りでも数10kmは離れている。だがほとんどは県外。一方、パートは、ほとんどが近隣のお住まい。そして、旦那様の扶養内で働かれている主婦の方ばかり。しかも短時間契約の方がほとんど。勤務時間中でも、お子さんの塾や学校のお迎えなどで中抜けしてご自宅に帰るというのが日常の中で、当社の別の事業所を紹介はしても、誰一人受け入れられない事は明確だった。実際にパートに聞いてみたいが、トップシークレットなので、推測で動くしかなかった。

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この事情を上司に相談したところ、「もし会社が提示した条件に合わなければ解雇するしかない。会社としては誠意を果たしたから問題ない」との事。
つまり、実質的には全員解雇になるという事だった。

全員解雇を想定し、従業員が解雇後に路頭に迷わないよう対応策を考えて上司に相談した。相談内容:近隣の同業の企業で、現在の労働条件(契約時間、時給、中抜け許可など)で受け入れてくれるところを探したい。

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上司からの返答は「会社は雇用先を紹介するんだから、それ以上やらなくてよい。」との事。私は、せめて次の就職先までは面倒みてあげたいという想いが強かった。

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再び上司に、本社へ要望を出せないか?と相談した。
上司からは、こんな要望を会社に出したら、どれだけ本社の人間が動くと思っているんだ!本社に迷惑をかけるな!と叱られた。

上司に何度も掛け合ったが、聞く耳を持たず。
完全に行き詰ってしまった。

この先、どう動けば良いか。
相談する先もない。
経営者に直談判しかないかも。


そこで、稟議を起案し直接役員会議に提出。
しかし速攻で棄却。(門前払いに近かった)
理由は会社として決められた事をしっかりと対応すればよいとの事。
稟議が棄却されるとは予想していなかった。

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私は17年前に当社を設立するという事で、ハンティングで入社した。その際、創業者から「人間性尊重の理念はグループ全体の共通の価値観であり、なによりも人を大事にしていく」という理念を何度も聞いており、これまでも当社は従業員をとても大切に扱ってきた。それ故、今回の稟議は、従業員ファーストの考えに基づくものなので必ず決済されると予想していた。

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稟議を棄却され、八方塞がりとなった。
そこで悩み続けたが良策は思い当たらず、苦しい日々が続いた。
そして出した結論として、会社とは腹を刺し違えてでも、私は創業時の会社の理念を貫く覚悟を決めた。

パートの再就職先探しは、私の事業所の正社員で行う事にした。

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社員2名と近隣の物流会社をまわり、質の高いパートであることを説明し交渉を続けた。
また、アウトプレースメントを行っている企業に依頼し、再就職相談会を実施することにした。

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これらを実施したことで、結果的に全員が同じ労働条件で転職先が決まり、離職防止にもなった。そして笑顔で閉鎖を迎える事ができた。
この再就職支援の状況を都度上司に報告を続けたが、無視され続けた。
上司から相当嫌われたのは間違いない。
今となっては、創業時の会社の価値観とは違う会社になってしまったことをとても残念に感じた。
そして、この会社への帰属意識も薄れたように思う。

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閉鎖後、私は本社の片隅に席が置かれ約1ヶ月間何ら指示もなく、次の異動先の辞令が出るのを待った。この間、何もやることがなく、ただ出勤してインターネットを見て定時になったら帰る…を繰り返す日々が続いた。さすがに頭がおかしくなりそうだったので、有給を1週間とり、沖縄へ旅行に行った。
そして会社に戻るも、やはり席はそのままで辞令もでなかった。

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2ヶ月が経ち、ようやく辞令が出た。
そこで出た異動先は、会社の中で廃墟とされていた「研修グループ」という部署だった。役職は解かれ「事業所長」から「一般」に降格となり、役職手当がなくなった。そして残業もほとんどできなくなった。
単純に計算しても年収が20%近く落ちた

そして、当社の中でこれまで数回となくパワハラ問題を起こし、社員を何人も潰してきた人が上司になった。

上司から早速、「なんで君は部署が決まらなかったかわ~か~る~♫?」と言われ、「それはね、どこの部署も要らないって言われたから、仕方なく引き取ってあげたんだよ」と、ものすごく圧のある言い方だった。

その後、上司のやっている研修を担当することになった。しかし、「なんでそんな研修をしたんだ!」「あ~、研修生になんて酷い事をしたんだ」「君にそんな権限を与えてないのにどうしてそんな事をしたの?」とやることなすことに否定され続けた。これが6か月間続いた。完全に自信を失った。
上司に相談したら「君とは本音で話す気はない」とのこと。

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もはや精神状態がボロボロになった私は、上司の上である担当役員に相談に行った。しかし担当役員にも、既に上司から根回しがされており、「君の話は君から直接聞くのでなく、周りから聞いた方が良いと聞いてるから」と、聞く耳を持って頂けなかった。

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そして、上司からモラハラを半年間受け続けて、ついに私もメンタルダウンした。会社の駐車場までは行けるが、車から降りられない…
そして、会社を休むという日が何日も続いた。
しかし、この時点では「自分が悪い」と思い込んでいた。
ある日、ふと過去に同じ上司からパワハラを受け、潰れた後輩を思い出し電話してみた。彼もパワハラを受けていたときは、私の状況と全く同じで、「自分が悪いと思い込まされていた」とのこと。そして心療内科に行く事を勧められた。

完全に会社の中で孤立しアウェイな状況となり、キャリアコンサルタント(兼 精神保健福祉士)に相談した。その結果、休業を提案された。心療内科でも休業には協力的でいつでも診断書を書いてあげるとの優しい言葉を頂いた。

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しかし、ただでさえ年収が落ちた上に休業補償(6割?)では、とても生活が出来そうになかった。これからどのくらいの期間、休業するか分からないこともあり、家を売ることにした。たまたま条件が良い地域に住んでいたこともあり、10年前に買った値段で売ることができた。そして田舎の僻地に安い新築の1戸建てを買った。

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その後、休職するか、どうせなら転職するか迷った。
行動しないことには先に進めないと考え、エージェントを介して大手2社から内定を取り付けた。

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そして、辞表を持って社長室へ行った。
そこで社長が「いったい何があったんだ?」と問われ、これまでのいきさつを説明したところ、「この問題を解決するから、2週間時間をくれ」と言われた。


その後社長が社内で調査をしていた。2週間後、私は社長に高級料理店に誘われ、その席で「上司の〇〇が、君や他の社員にもパワハラをしているという情報が入った」「担当役員にもお前の話を聴いてやれと指示を出しておいたから、一度話しをしろ」との事だった。

その後担当役員に話しをしにいったら、社長から指示があったから断れないようで「私に話しをして君が楽になるんだったら、聞いてあげてもいいよ」と、迷惑そうに応じてくれた。

そして、3ヶ月後、上司はまったく違う東京の部署に飛ばされた。
社長からは「人を育てる事ができないやつが、人を育てる部署に居てはならん、当社の人材育成は君の方が向いている」とのお話を頂いた。
しかし上司が飛ばされるまでの間は、かなり会社を休んでいたため、これまで部下だった女性が上司になった。

それから2年間、人材育成に真剣に取り組んだ。何の知識も持ち合わせていなかったのでキャリアコンサルタントの資格も取った。

研修内容もこれまでの伝統的な方式から刷新しアクティブラーニングに切り替え、大きな成果も生まれた。

最近は上司に理論を基にしてカリキュラムをもっと改良したいと相談するも、「それはNG,それよりも知識がなくても誰でも講師ができるようにするのがあなたの仕事よ」との回答に唖然。

そして先日、パワハラした元上司が私と同じ組織に戻ってきた。しかも会社が用意した席は、なんと、私の隣…。
私は研修の為に用意した別の建屋で身を潜めることにした。




そろそろ年収を戻したい。
これらの私の言動の振り返るポイントは何か(自己理解支援)。
キャリアコンサルタントの資格を活かしたい。
人材開発をさらに進めていきたい。
上司に相談したところ、年収を上げるには昇格(というか元の役職相当に復帰)するということはパワハラした上司とも上手くやっていく必要があるとのこと。
それは無理だ…
どうしたら…


・稟議したことに後悔しているのか?
全く後悔していない。むしろ創業者の理念を貫いたという達成感と、従業員のエンゲージメントを最後まで高め続けた成功体験となったので、とても大きな財産になったと感じている。






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平野圭一
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