バイデン氏と吃音、そして民主党のプロモーション
今日は2020年9月17日。米大統領選挙の投開票日まであと47日です。8月に開催された民主党全国大会の全プログラムの中で最も大きな反響を残したのは、吃音を持つ13歳の少年ブレイデン・ハリントン君のスピーチでした。
ブレイデン君は今年2月、民主党予備選挙の期間中にバイデン候補(当時)の集会に参加。幼少期から青年期にかけて自身も吃音と向き合っていたバイデン氏と会話し、吃音との向き合い方について話を聞いたそうです。この繋がりがきっかけとなり、ブレイデン君は今年の米民主党大会にリモートで出演しました。
(おそらく民主党大会の運営側がブレイデン君に出演を依頼したのでしょう)
ブレイデン君のスピーチは2分弱。以下のリンクからご覧ください。リモートで開催された民主党大会の雰囲気も少し分かるでしょう。
「全米数千万人の視聴者の前で自らの吃音をさらけ出す」というブレイデン君の勇気に対し、アメリカでは賞賛の声が上がりました。「障害を美談に仕立て上げるな」という日本的な反応(24時間テレビに対する批判的な反応)はさほどなかったように感じます。民主党支持者を中心に好意的な意見がネット上に溢れました。
同時に、それまで重度の吃音の症状を実際に見聞きしたことがなかった全米の市民が「吃音とは何か」を知ったという意味でもこのスピーチは意味があったのではないかと考えます。つまりそれは「吃音を持つ大統領候補」であるバイデン氏が、幼少期から青年期にかけて何と向き合っていたのかを擬似的に理解させる映像だったからです。
民主党全国大会を通じ、民主党側が仕掛けたイメージ戦略は明確でした。前述のブレイデン君のスピーチや、ガンによって亡くなったバイデン氏の息子の映像を効果的に使用することで、バイデン氏が苦難を乗り越えてきた人物であることを印象付けようとしていました。
民主党側はバイデン氏を巡る「吃音」や「子供の死」といったエピソードを押し出すことで、彼が人間味のある人物であり、人の弱さや苦しみを理解することができる人間であるという点をアピールしようとしていました。
これは新型コロナウイルスの感染拡大によって20万人以上が死亡しているアメリカにおいて、重要なイメージ戦略の一つです。トランプ氏との明確なコントラストをつける意味でも有効な戦略でしょう。
しかしバイデン氏が抱えてきた吃音は、候補者イメージを脚色するためにあるわけではもちろんなく、彼自身が生涯を通じて向き合ってきた困難の一つでした。米誌The Atlanticは同じく吃音を持つ同誌の記者ジョン・ヘンドリクソンによるバイデンへのインタビュー記事を掲載しています。
学生時代のバイデン氏にとって、最も困難な授業はクラスでの英文の朗読だったそうです。7年生のある日の授業でバイデン氏は次のような文章を朗読することになります。
Sir Walter Raleigh was a gentleman. He laid his cloak upon the muddy road suh-suh-so the lady wouldn’t soil her shoes when she entered the carriage.
バイデン氏は吃音を避けるため、1文目の gentleman という単語を
gentle man
と音節を区切って発音しました。これは、自分が発音するのが苦手だと分かっている文字や音を、あえて分けて発音することで吃音を起こすのを避けるための工夫のようです。
しかし修道女(おそらく先生でしょう)はこれを許さず「バイデンさん、その言葉は何でしょう」と朗読を遮りました。修道女は一つの単語を区切って発音することを許さなかったのです。修道女は続けて「バ-バ-バ-バ-バイデンさん、その言葉は何?」と言いました。バイデン氏の吃音を揶揄した指摘に対し、彼は抗議の意思を示すため教室を出て自宅に帰ったそうです。
記事の中にはバイデン氏が吃音のためにいじめに近い扱いを受けていた事例がいくつか紹介されており、さらにバイデン氏、そして吃音を持つ人たちが普段どのような緊張感とプレッシャーや恐怖を感じて生活しているのかということが丁寧に説明されています。
青年期のバイデン氏は、寝室の鏡の前でライトを片手に詩の朗読を特訓していました。顔に光を当て、リズムに注意を払いながら、ウィリアム・バトラー・イェーツやラルフ・ワルド・エマーソンの英文詩を朗読していたそうです。バイデン自身はいくつかのメディアに対して「自らは吃音を『乗り越えた』」と発言していますが、それはこういった「努力」の経験があるから故の発言でしょう。
なお、吃音者を代表する団体などは、吃音を持つバイデンの活躍を全面的に支持した上で、吃音は「克服する」ものではないとしてこういったバイデン氏の発言を支持はしていません。(下記リンク先参照)
米誌The Atlanticには「大統領候補は通常、自らの暗い過去について公に話すことはない。感情的な表現など本来であればあり得ない」と説明があります。しかし、コロナ禍で景気が悪化し、ハリケーンや山火事によって多くの人の命が失われている今、バイデンは「喪失」や「苦難」を経験した人物であるからこそ大統領に選出されるのかもしれません。
「吃音」は彼のパーソナリティや政治人生を知る上でも、そして選挙戦略を知る上でも外せない部分だと考えます。