イラン旅行記⑩~ヤズド前半、鳥葬の地へ
こんにちは
イランの旅も終盤に入ってきました。
前回は、ペルセポリス観光後のシーラーズでの市内観光を紹介しました。
そしてこの度3回目の夜行バスを用いて、ゾロアスター教の中心地ヤズドへと向かいました。
① ゾロアスター教
現在のイランはイスラーム教を中心とした国ですが、7世紀にイスラーム勢力によってササン朝が征服されるまでは、ゾロアスター教が広く信仰されていました。
今では少数派となってしまい、世界史を勉強していなければ聞き慣れない宗教です。まずは簡単にゾロアスター教について紹介したいと思います。
ゾロアスター教は紀元前7世紀ころ、ゾロアスター(ザラスシュトラ)がアフラ・マズダを最高神として創始した宗教です。アフラ・マズダは善・光明の神であり、創造主とされており、暗黒の神であるアーリマン(アンラ・マンユ)と激しい戦いを繰り返し、最終的に最後の審判が行われて勝利して善の国が建設されて不滅の世が始まるとされています。光(善)の象徴として火を尊ぶため、拝火教とも呼ばれています。
ゾロアスター教はアケメネス朝ペルシアで厚く保護され、ペルシア人に信仰されました。ペルセポリスにもゾロアスター教が信仰されていた証があります。次の写真の壁上部に描かれているのは、ゾロアスタ教のシンボルのファラヴァハルです。よく、これがアフラ・マズダと勘違いされるのですが、違います。
ファラバハルが何を表しているのかはよく分かっていません。一応、ヤズドのゾロアスター教の寺院に解説があったので、載せておきますね。
アケメネス朝ペルシアが滅亡した後も信仰は守られ、3世紀初頭に成立したササン朝ペルシアでは国教とされて、聖典の『アヴェスター』が編纂されました。しかし、7世紀にイスラム教徒によってササン朝が滅ぼされて、アラブ人イスラム教徒の支配を受けるとゾロアスター教は衰退していきました。『アヴェスター』もイスラム教徒の迫害を受けて一部しか現存していないため、教義の全体像は分かっていません。
ササン朝滅亡後は、信仰の中心はインドに移りました。イスラム教徒からインドへとペルシアの人々が逃れたのでしょう。インドに住むゾロアスター教徒は「パールシー」と呼ばれています。また、中国の唐の時代には、「三夷教」(他2つは、ネストリウス派キリスト教・マニ教)の1つとして保護され、祆教と呼ばれました。
以上、長くなりましたが、ゾロアスター教の概説でした。では、ヤズドのゾロアスター教に関するスポットを紹介していきたいと思います。
② 沈黙の塔(ダフメ)
ゾロアスター教は、火や土や水を神聖視するため、土葬や火葬をせず、死体を鳥に食べさせる鳥葬を行っていました。沈黙の塔(ダフメ)は鳥葬のために、死体を置く場所です。
もう使われなくなってはいますが、荒野の中にたたずむ荘厳な姿はゾロアスター教徒にとって大切な場所であったことを感じさせます。
ヤズドを訪れた際はぜひ行ってみて下さい。そして、絶対に登ってみて下さい。絶対に損はしません。だけど、足は滑らさないように気を付けてね!
ゾロアスター教の説明が長くなったので、いったんここで切りたいと思います。次の記事でゾロアスター教の寺院と聖地を紹介したいと思います!!