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第66弾「見栄っ張りスヒルトン(仮)」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

66曲目はこれ。見栄っ張りスヒルトン(仮)。ちょっとおばさんに苛立つことがありまして、あたし、反骨の狼煙をあげました。誰だってきっとあるでしょう???おばさんに、腹たつこと。最近じゃ、男のおばさんも増えてきたことだし、ここらへんでいっちょ「反骨の狼煙を!」ということで、歌にしました。あたし、悪態が大好物だから、こういう歌なら30分でできる。

「見栄っ張りスヒルトン(仮)」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

おフランス帰りか 気取るな
腐乱臭が するぜ おばさん

笑顔が下品だね おばさん
上から目線だね おばさん

パリにでも 行ったのか わかるぜ
お前見栄っ張りの 意地っ張りだね

愛情不足だね おばさん
おじさんみたいだね おばさん

おばさんの国に生まれて おばさんの国に育つ
おばさんになりたくない と おれは 誓った

お前の名前は お前の名前は 
お前の名前は 見栄っ張りスヒルトン(仮)

おフランス帰りか 気取るな
腐乱臭が するぜ おばさん

パリにでも 行ったのか わかるぜ
お前見栄っ張りの 意地っ張りだね

ゴキブリみたいだね おばさん
進化の途中だね おばさん

お前の名前は お前の名前は 
お前の名前は 見栄っ張りスヒルトン(仮)

あたし、さっきブログを書いたのよ。そこに「日本は恐怖政治で、よろこびのためっていうより、落ちこぼれないために生きている気がする」みたいなことを書いたの。こういうことを書くと、毎回、お決まりの批判が届くの。嫌な仕事をやっているひとがいるから社会は回っているのだとか、お前には感謝が足りないとか、仕事を頑張っているひとをバカにしているとか。相手にするのも、アホくさくなる。仕事を頑張っているひとをバカにしているつもりは微塵もないし、バカにしているのはお前だろ、バカが。って、思う。

ブログを書くたびに批判が来る。なぜ、批判をせずにはいられないひとがいるのか。あたしなりに考察をしました。大概、彼らは「批判をすることによって、自分を重要人物扱いしてほしい」みたいな欲求を、抱いているような気がしました。ああ、あなたは立派な意見をお持ちですね!とても勉強になります!自分、まだまだ未熟でした!是非、これからもご意見ご鞭撻のほどをよろしくお願いします!とか、誰かに言われたくてたまらないのだと思う。そんなの、言うわけないじゃん。アホ丸出し。いい歳して、情けない(あたしを批判するひとは、おじさん&おばさんが多い)。普段、どんだけヒマなのだろう。普段、どんだけさみしい生活を、おくっているのだろう。

サービス業で働いているひととか、日常的に「いろいろなひとがいるなあ・・・(遠い目)」とか、感じているのだと思う。同情する。今度一緒に悪口大会開きましょう。アホみたいなひと、ほんと、たくさんいるじゃない?自分はお客様なんだから大切に扱え!って怒るひととか、完全に自分が悪いのにすぐに誰かのせいにするひととか、これ、もう、大概は「さみしいから」だと思うのよ。そういう人間にあったら、開口一番言ってやりたい。お前は、お前のさみしさを自覚しろ、バカ。と。さみしさを自覚できない下劣なおとなが、周囲に面倒を撒き散らすのだと思う。いやんなっちゃう。

そんな方に、是非、聞いていただきたいのが第6作目「さよならフォロワー」。あたしが音楽をはじめてから、さまざな人々が捨て台詞を残してあたしの元を去りました。あなたにはがっかりしましたとか、あなたには感謝が足りませんとか、毎回、いちいち捨て台詞を残すのよ。でもね、そんな人間、最初から相手にしないでいいの。離れたひとの分だけ、新しい人々が来るから。嫌いなひとまで、無理に愛そうとしないでもいい。時には「うるせー!」とか「しらねー!」とか、大きな声で叫ぶ時間も、人間、必要よね。

これ、自営業のひとには多い悩みだと思うけど、取引先とかお客さんで「なんだか嫌な感じだけど、毎回、お金を落としてくれるから付き合っている」みたいなひと、いない???こういう時、あなたなら、どういう対応をする???お金を落としてくれるから、嫌なことは我慢して付き合う道を選ぶ???あたしの場合、そういう人間と付き合いがあることで病むから、毎回「100万円くらいもらえないとやってられない」とか思って、断ち切る方向に舵を取っちゃう。もちろん、最初は、こわい。このひとがいなくなったら自分はやっていけるのだろうかとか、二度とこんな(お金を落としてくれる)ひとは現れないんじゃないだろうかとか、不安になることもあります。

でも、ここで丹田に力を込めて「否。手放すことで生まれる余白がある。余白が生まれることで、いままで以上に素晴らしいなにかが入り込んでくるはずだ!」ということを、信じるってことが大事だと思うの。なにかを手放すと、それ以上に素晴らしいなにかが舞い込んでくる可能性が生まれる。盲信でもいいから、そう思うことによって、関係性を断つことの不安は軽減する。だって、そうじゃない???やっぱりさ、どれだけお金になるからとか、自分が得をするからといっても、結局「もやもや」が自分の内部に蓄積するなら、それはダメージを負っているのよ。生きるためには仕方のないことだとか、これが社会で生きると言うことだとか、言い訳を抱えて生きることになっちゃうのよ。でね、自分のこどもとか、周囲の人間に「生きることは大変だから、あなたも真面目に生きなさい」とか、程度の低いお説教をする人間になっちゃうのよ。これが、まさに、悪循環。断ち切るのは、自分。

情報って、二種類ある。実際にそれをやった人間の情報と、ただ、他人の言葉を鵜呑みにしただけの情報。前者は価値あり。後者は価値なし。自分が体験してないことを、さも、体験したことのような語る人間は、本当に退屈。体験を語れ、って感じよね。体験していない人間の言葉、あるいは、体験はしているけれど途中で諦めてしまった(自分に言い訳をしてしまった)人間の言葉に、惑わされちゃいけないと思う。惑わされそうになったときは、自分のヒーローを思い出すことが大切。たとえば、あたしは新島襄が好き。だから、新島襄だったらなんて言うか、みたいなことを考えると、力になる。

最新のブログで「音楽を通じて、人類全体の記憶にリーチしたい」とか高尚なことを書いておきながら、さて、実際に曲を作ってみたらこんな歌。あたしは一体、なにをやっているのだろう。でも、いいの。あたしは、多分、カテゴライズを拒否しているのだと思う。誰だって、誰かに「お前はこういう人間だ」とか、決めつけられるの、嫌よね???人の目線もそうだけど、自分が、自分を「こういう人間だ」って決めつけちゃうことも、多いと思うの。たとえ、それがどれだけ素晴らしいものだとしても、人間は変化をするものだと思うから、どのようなカテゴライズも飽きちゃうものだと、思うのよ。そんな反骨精神が、あたしに、こんな歌を歌わせた。とかなんとか、これも完全に言い訳なんだけど、歌っている時間はとても楽しかったです。「楽しかった」時間をもてること、これは、とても幸せなことだと思います。

ちなみに、むかつく人間が登場したとき、そのひとにあだ名をつけるのは効果的だと思う。あたしの場合、見栄っ張りな人とか見ると「お前は見栄っ張りスヒルトンだな」とか思うんだけど、そういう感じ。相手の嫌な部分を、キャラクター化するの。そうすると、なんだかちょっと、笑えてくる。とげとげしい雰囲気も緩和するし、一種のゲームみたいに楽しめる。ユーモアのパワーも磨かれるし、結果、こういう音楽になったりもするから儲けもの。あたしの記念すべき1曲目「テル子のうた」も、もともとは『取り乱しテル子』ってところから、来ているくらいだから。テル子が、あたしに、音楽の道を進ませてくれました。ありがとう、テル子。ありがとう、見栄っ張りスヒルトン。ありがとう、あたしに批判を飛ばしまくる新宿のキモいおばさん。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

6月9日(日)17時~20時頃@大阪市北新地「Candy」

6月30日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

非常にありがたいことにライブ出演のオファーをいただいたわ。うれしい。とってもうれしい。内容としては、みなさまとお話を楽しみながら、途中、四、五曲をお披露目させていただく感じになります。生けいごちゃんから放たれているエネルギーはそれなりのものがあるから、それに触れるだけでも参加の価値があると思うわ。あと、もし、こんなあたしと「イベントを開催したい!」なんて思ってくださる方がいたら、是非、お気軽にお声をかけてちょーだい。交通手段さえどうにかなれば、あたし、何処までも行くわよ。

みんな、遊びに来てねー!ぴょえー!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!