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第76弾「アスタラビスタ」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

76曲目はこれ。アスタラビスタ。この曲は、横浜にありますGOCHAMAZE no IEの裏の雑木林を背景に撮影しました。最近、毎日撮影場所を変えることが趣味です。全身108箇所を蚊に刺されました。アスタラビスタっていうのは、スペイン語で「またいつか」とか「さらば」みたいな意味です。満月が新月に向かう昨今、テーマは「終わらせる」とか「お別れをする」とか、そういう感じを抱いています。一旦、収束するイメージ。

「アスタラビスタ」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

ありもしない 恋 飛び出した
夢で どろんこになって 暴れてる

自分のこと 棚にあげなくちゃ
何も言えない 体になっちまう

悔しさをバネにしたり よろこびで飛翔したり
生きても 死んでも たぶん ・・・ 大丈夫

魔法の合言葉 ほら きーぷゆあちんあっぷ
「100人 ダメでも ひとりのきらり!」
なんにもなくても まだ 体温はあるだろう
そうだ きっとまだ 手を握ることはできる

問題 抱えたままで 歌う

果てしもない 夢 投げ出した
今は 踏み出す一歩 また一歩

テキトーな 言葉 見つからない
ひとり立ちすくむ 僕は木偶の坊

見た目だけ派手にしたり 空しくて苦笑したり
ゴミでも クズでも たぶん ・・・ 大丈夫

魔法の合言葉 ほれ きーぷゆあちんあっぷ
「ボツ案 100個に ひとつのきらり!」
ぼくの せつな思い 踊らされて たまるか
運命を 睨む そして また ぼくは 踊る

問題 抱えたままで 踊る

天国でも 地獄でも いつの日か また逢おう
生きても 死んでも たぶん ・・・ 大丈夫

魔法の合言葉 ほら きーぷゆあちんあっぷ
「100人 ダメでも ひとりのきらり!」
なんにもなくても まだ 体温はあるだろう
そうだ きっとまだ 手を握ることはできる

さよならの代わりに ほれ きーぷゆあちんあっぷ
「ボツ案 100個に ひとつのきらり!」
ぼくの せつな思い 踊らされて たまるか
運命を 睨む そして また ぼくは 踊る

問題 抱えたままで 踊る 問題 抱えたままで 歌う

いま、あたしは、鎌倉にあるフレッシュネスバーガーのテラス席で優雅にコーラを飲みながらこの記事を書いてる。突き抜ける快晴。無料wi-fi最高。鎌倉駅は白い服をきた老若男女がたくさん。最初は「気取りやがって」とか頭にきてたけど、見慣れてきたら「俺も、白い服とかきてみようかな」とか思った。勝手に疎外感を感じる、自分。あたしはホームレスみたいな人間だけど、世界は勝手にお洒落に便利になっていく。フレッシュネスで、気分は、フレッシュ。210円のコーラを飲みながら、案外、簡単に幸せになれる。

海外でこどもたちに「夢はあるの?」って聞くと、大概、みんな「YOUTUBER」って答える。それくらい、いまは、動画人気がすごい。音楽は簡単に国境を超える。日本だと、ピコ太郎がちょっと前に流行した。あたしも、動画を連発していたら、なにかがヒットして明日には一躍有名人になっているかもしれない(なっていないかもしれない)。人間、なにかをやり続けていたら、いつ、ピコたろってもおかしくない。できることなら、ピコたりたい。あなたも、一緒に、ピコたろう!!ピコたりましょうよ!!

昨日、あたしの故郷で、大きな地震が起きた。震度6強。なにより怖いのは津波。新潟は、犠牲がそれほど出ていないからあんまり報道されることないけど、定期的に、すごい大きな地震に襲われる。その度に「ああ、生きているってことは当たり前のことじゃないんだよな」って思う。友達、家族が、生きていてくれること、無事でいてくれるってことが、それだけで「すごいありがたいことだ」ってことに、思い至る。生きていると欲望にキリはないけど、大前提として、生きているだけでいいのだということを思い出す。

あたし、人間って「一体感を味わうため」に生きているんじゃないか、って思うことがある。感動って、言い方を変えると一体感だと思う。野外フェスにあれだけの人が集まるのも、バイク乗りがバイクに乗るのも、アウトドア派が大自然の中にテントを貼るのも、サーファーが波に乗るのも、一体感があるからだと思う。不謹慎なことかもしれないけど、震災を通じて、あたしたちは一体感を取り戻すことができる。ひとつの大きな出来事を通じて、団結する(団結せざるを得ない)状態に、みんなが置かれる。家がなくなること、ひとが死ぬことは言うまでもなく悲しいことだけど、それを通じて蘇るなにかもある。案外、人間は、ものがなくても生きていける。でも、心がなくなると、生きたまま死んでいるような状態になる。それが、一番、怖い。

あたしの尊敬する女性に「なほさん」って女性がいる。最近、なほさんが、ご自身の体験をノートに書き始めてくれた。その記事が素晴らしくて、自分の言葉で文章を綴るひとは最高に素敵だと思った。そんな、尊敬するなほさんが、あたしについて記事を書いてくれた。あたしの友達についても、書いてくれた。自分が褒められる(?)ことはうれしいけど、自分が愛するひとが褒められる(?)ことを目にすることも、うれしい。あたしは、あたしの好きなひとに「生きていてくれてありがとう」って思う。人間のままでいてくれてありがとうって思う。同じことを、相手も思ってくれていることが嬉しい。

みんなで幸せになれたらいいね。そういうことを思う。思うことは簡単でも、現実はなかなかうまくいかない。せっかく生まれてきたのだから、できることならば喜びで生きていきたいと思う。ただ、あまりにも長い時間を暗闇で生きてきたひとにとって、強烈な光は「視力を奪う」ものになる。希望になることはなく、逆に、強烈な刺激がそのひとを苦しめる。逆もまたしかり。あまりにも長い時間を光の中で生きてきたひとは、強烈な闇に「自我を失う」衝撃を覚える。光も、闇も、コインの裏表にすぎない。強烈な感動や一体感を求めているからといって、突然強い体験をしてしまうと、自分をより一層苦しめることにもなる。徐々に、目を慣らしていくことが大事。そうじゃないと、闇だけでなく、光だって、相手を苦しめてしまうものになる。

光があるから闇がある。闇があるから光がある。月並みな言葉。でも、この言葉を、頭ではなくカラダで実感できたとき、必ず、何かが変わる。良いも悪いもない。自分も他人もない。光も闇もない。希望も絶望もない。被害者も犠牲者もない。ただ、どうしようもなく「そう」であるだけのこと。受け入れることと、許すことは、似ている。昨日の記事で許すことが大事だと思う、みたいなことを書いたけど、自分の意思で「よし、許そう!」と思って許せることもあれば、いつの間にか、許すしかない、なんならもう「自分だって、これまで、散々許されてきたということ」を思い知るとき、必然的に許さざるを得なくなる、みたいな心境になることも、ある。人間の意思と、人間の意思を超えた働き。それらが緻密に織り成しあって、世界が、ある。

と、なんだか抽象的なことを書き綴ってしまいましたが、この曲に「100人ダメでも、ひとりのきらり!」って歌詞があります。あたしは人間と話したいと思うのだけれど、人間と話していても、人間と話せているとは思えないことがたくさんある。それでも、なぜ、人間と会うことをやめないのかというと「100人に会ってダメだったとしても、その次に会うひとりに、最高のよろこびを覚えるかもしれない。その『ひとり』に会いたいから、あたしは、人と会うことをやめないのだと思う」的なことを感じる。みんな、とか、多分、幻想。そこにあるのは、ひとり、ひとり、個の人間がいるだけ。100人なんて人間はいない。ひとりという『個』が、100個、あるだけ。100人いたら、100通りの人生がある。どれだけ集まっても、人間はひとり。ひとりひとりの集合体が、社会だったり、世界だったりを作る。

音楽の素晴らしいところは、問題を解決してくれることじゃなくて、問題を抱えたまま歌わせてくれることだと思う。問題を抱えたまま踊らせてくれることだと思う。そして、音楽の解釈は、聞く人によって大きく変わる。自分の意図を超えて、なにかしらを受け取ってくれるひともいる。自由。自由であること。それが、音楽(というか芸術、というかこの世のすべて)だと思う。あたしたちは、問題があると、それを解決するまでは幸せになれないみたいなことを考えてしまう。でも、実は、問題を抱えたまま幸せになることもできる。そのとき、問題は、意外と「問題ではなかった」みたいな気持ちになる。

あたしはまだ死んだことがないから、死ぬってことがどういうことかわからない。死体を見たことはあるけれど、死体から『死』だけを取り出して見ることはできない。死んでいるひとは、冷たく、硬くなる。ということは、生きているということは『温かく』『柔らかい』ということ、なの、かしら。自分にはなにもないと感じることもたくさんあるけど、少なくとも、まだ、自分には体温がある。それならば、この温度を、どうやって伝えていけるのだろうかということが昨今の課題。自分が作り出すもの、自分が織り成していくものが、少しでも聞く人の温度をあげるものであったら、うれしいと思う。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

6月30日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

音楽活動開始宣言をしてから、およそ4ヶ月が経ちました。音楽初心者が、一年でどこまでいけるかを見てみたい。そのためには、本気でやる必要がある。そう思って、1日1曲を目安に音楽を作ったり、できる限り場数を踏むためにライブ活動(人前で演奏すること)も経験したいと願っています。もし、人前で演奏できる機会を設けてくださる方がいたら、ご連絡いただけたら最高にうれしいです。交通手段さえどうにかなれば、あたし、どこまでも行きます。会場も規模も問いません。ひとりでもいれば、あたし、行きます!!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!