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尊敬できること(始末をつける)

夕日を見ると、たまに"始末"という言葉が浮かんでくる。
物事を始めたら「終わらせる」もしくは「終わってしまう」けれど
その方法は人の考え方それぞれ。
たまに物事に始末をつけない人がいて、迷惑・・・勝手ですけれど。

自分の母親は父親(夫)が昭和一桁の男で、ほぼ2年毎の転勤族だったので
転勤が2週間前に決まると、引っ越しの手配から行政の転入出の手続き諸々
子供の学校のことなど、毎回一人で切り回していた。
自宅が事務所になっていたので事務仕事もこなし
どこに行っても行政の上の方の方との付き合いが多かったので
その手配やら、父親が夜中に仕事が突発すれば後片付けまで。
とにかく働く人だった。

尊敬できないところも沢山あったけれど
一人暮らしの87歳であっちへ旅立った時の事は特に尊敬に値した。

当日の朝は洗濯をして外に干して、ご飯を食べて
ゆっくりしていた最中だったらしい。
新聞を広げてノンビリと読むのが好きだった人。
救急で運ばれた誰もいないリビングのテーブルには
新聞が広げてあって老眼鏡が落ちていた。

後日、ドクターから聞かされたのは突然の大動脈乖離で
「苦しんだのは3秒程度だったでしょう」

3秒のうちに自分の運命を悟ったのだと思うが
息子(私)の携帯をコールし(コールだけで話せなかったが)
家電の緊急通報ボタンを押して消防に知らせ
もしかすると意識が飛んでから
救急のために玄関の鍵を開けたのではないか。と
これは後日、状況を説明してくれた救急の方から聞いた話。

ピンコロがいい、と周りのお年寄りは言うし
自分もそう有りたいと思っているが
87歳の命の最後、そこまで出来るかは自信が無い。

心残りは最後の電話で声が聴けなかったこと。
8年たった今でも写真を見ると心が塞がり
自分はそんな始末の付け方が出来るだろうかと
心を締め直します。

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