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いつも見つめていたい {心象画}

かならず視線の先にあるもの
普段はあまり意識をしなくても
それが見えなくなると
生きている感じがしないもの
そんなものがいつもあるといい


子供の頃からカメラマンになりたいと
関連する仕事をしていた親父の仕事を見て思っていた。
でも、意思の弱い子だったので心のうちはいつもグラグラ。
それでもなんとかその職についてしまうと
その仕事ではもっと上手になりたいとは思ったが
目標を目指していた頃が懐かしかった。
すると時代が変わりつつあった。デジタル革命の入り口が見えた頃。
Appleがパーソナルなコンピュータを発売したのが20代後半。
その後はあれよあれよと言う間にそれを使うようになると
視線の先にはデジタルの広大な世界が広がって
そんなこんなでなんとか仕事を終えた時に自分の視線の先にあったのは
手書き絵の世界。60の手習いで楽しかった。
でも結局、視線の先にあったものは方法ではなくて
ただ視覚的に何かを表現したいという願望。
そしてnoteに出会ってデジタル回帰したら心は止まらなくなって
毎日せっせと楽しく描かせて貰っています。

そして今。
文章が上手になりたい。あまりにも子供じみた字をなんとかしたい。
他もろもろ視線が定まらず、身体は病気の巣。
noterのアダージョ・バッハさんに「生き急いでいるんじゃない?」と
指摘されて、ドキッ!
もう少しどっしりと構えて、視線の先を定めたいと思うこの頃ですが
どうなりますか。


Où je regarde.(視線の先)

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