「分かること」の嬉しさ|心象的に描いてみた|
「分かること」の嬉しさ
この先がどうなっていくのか
わからないと
どの道を通れば良いのか迷うわけで
やっと解決
自分は子供の頃、あまりお利口さんな方ではなかったので
カメラマンになる。などとそれしか考えられなかったし
中学生にでもなると、世界の作家さんの作品を見て
やはりこれからの写真は記録性だけを重視するのは
作家になるには物足りない。などと偉そうな口を叩いて
自分の実力も冷静に見られずだったし、でも
実際は作家でなく写真の技術やその応用した仕事で
キャリアのほとんどを過ごしてこれたけど
通れるか通れないかは別にして
道は1本はっきりと見えていたので幸せだったのだろう。
そしてこの頃のこと。これは「見えなくて迷う」典型。
実はいつものとおりの身体が不調も不調でした。
調子が悪すぎてろくに食事も出来ずでの、ここ1週間。
夜中から朝方に症状が特に出るので寝てもいられなかった。
それがやっと、原因が判明。昨日は点滴も出来て薬も確定。
見える事や「分かる」ことの嬉しさ。
父親の痴呆の介護をしていた時は
先がまったく見えなくて、今日明日でなく
今この時間さえも、どう乗り越えれば良いか分からなかった。
ちょうどあと4ヶ月でお国も認める高齢者。
noteには先輩もいっぱいいらっしゃるので
太陽を見ながら、もっと道もしっかり見ながら
しっかりと歩きたい。
まあ、たまにはまた道草を喰うんだろうけど。