【映画】シビル・ウォー アメリカ最後の日
ものすごく興味を惹かれる題材なので早速観に行ってきましたが、今年ベスト候補になりそうなキツい映画でした。
公開からまもないのでできるだけネタバレを避けます。
興味を惹かれた理由のひとつとして、日本での内戦的状況を描いた歴史的名作『機動警察パトレイバー 2 the Movie』を思わせる設定だったから。
思えばあの映画は「撃つべき時でも撃てない」から始まる、日本の矛盾点を描いて様々な日本の悪いところが浮き彫りになる映画でした。
そもそもパトレイバーって「アメリカンポリスみたいに簡単に銃を使えない日本ではロボットアニメはどうなるのか」が出発点の企画だったので、おのずと日本の自画像みたいになるシリーズだったんですよね。
それもあって今回の『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は見事に対照的になっていて、「みんな銃を持っていてすぐ撃つ」がもたらす恐怖を描くことでアメリカの悪いところが浮き彫りになっていると思いました。
映画の設定は、本来2期までのはずの大統領が3期目に入っておりFBIを解体、国内で空爆を行ったらしいことが示され、その大統領に刃向かうのがブルーステイトとレッドステイトそれぞれの代表たるカリフォルニア州とテキサス州、となってます(この点パンフ読むまでピンと来てなかったのですが、政治的バランスをとりつつ興味深い設定です)。
物語としては、その大統領にインタビューを行うべくワシントンD.C.に向かうジャーナリスト達、というもので、早々に『地獄の黙示録』(フランシス・コッポラ)とその原作『闇の奥』(コンラッド)が下敷きになっていることがわかります。
有名なジャーナリストの役にキルステン・ダンスト、彼女に憧れついていく若者はケイリー・スピーニーで、先日の『エイリアン:ロムルス』で頑張ってましたが、デビュー作の『パシフィック・リム: アップライジング』から観ておりましたよ。
若いジェシーがジャーナリストとして戦場をかいくぐり、修羅場に適応していく様子を演じて非常に優れていました。
『デューン』『ボーはおそれている』で風変わりな役をやっていたスティーヴン・ヘンダーソンも、本作ではどっしり構えたベテラン記者として安定感を出してました。
そんなセッティングで映画が始まり、バラエティに富んだ地獄めぐりの様相となります。
それら各場面に共通して感じたのが、キューブリックの『フルメタルジャケット』、ジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』『ゾンビ』でした。
戦闘シーンの生々しさもそうだし、一人のアフリカ系男性を救出しようとする場面、見えない狙撃兵など『フルメタルジャケット』の要素がありました。
なんといっても『フルメタル』の主人公ジョーカーは兵士かつ戦場カメラマンでもあり、戸惑い怯えながら戦場に適応していく姿も、本作のジェシーに共通しています。
ロメロのゾンビものについては、映画の最初の方に廃墟になったJCペニーが出てきたことで想起されました。
その後全編にわたって描かれる、米国の荒野でライフルが人体を蹂躙していく様子はまさにゾンビシリーズ。
ホラー映画と比較可能なほどに恐ろしいのが本作ですが、ロメロがゾンビというホラー・キャラクターに仮託して描いたある種の弱者、それに平然と銃を向ける人々というモチーフが、本作ではアレゴリーでもメタファーでもなく、そのまんま描かれています。
ロメロも「婉曲に警告を発してきたのに、ここまでしないとわからない時代になってしまったのか」と草葉の陰から言いたくなってるんじゃないでしょうか。
あと、こんな状況でもできるだけ普通に暮らそうとする市民を少々グロテスクに描いているのは『パトレイバー2』に似たところでもありました。
ただこれも、アメリカのいびつさが強調される場面でしたね。
そして
「しかしこれは1968年のベトナムではない、銃を向ける相手は彗星の影響で蘇った死体ではない」
「現時点のアメリカはこうなっていないが、これよりひどいことはウクライナや中東で今でも起きている」
と突きつけるような舞台設定によって怖さが感じられてきます。
多くの人が語っていますが、音響技術が素晴らしく、銃声のデカさと不快さは歴代戦争ものの中で屈指でしょう。
ヘリコプターも爆音でホバリングして、戦場のストレス感が映画館で実感できる仕組み。
そんなふうに音を巧みに使って恐怖感を高めますが、恐怖が映画の中盤で頂点に達したあと、後半ではかなり本気の戦闘シーンが描かれます。
戦闘シーンはここまでやってくれるとは思っておらず期待以上ではあるのですが、一方でカタルシスのなさもすごいです。
このカタルシスのなさが本作を傑作にしているのではないかと思われます。
主人公達が感情をあらわにする場面はいくつもあるというのに、その叫び声は必ず何かにかき消されたり音を消されたりします。
ここでも音響が効果をあげており、観客は感情移入よりも観察を求められます。
この距離感は、報道の世界で重要であり続ける、カメラマンは被写体を助けるべきかの問題と映画のテーマが密接に結びつくゆえでしょう。
映画がジャーナリストを主人公にしたことで、映画制作者や観客もまた、我々が被写体を救う役割を果たすことはないのか、真実を知る、知らしめることで世界を救うことができないのか、との問いが浮かび上がります。
映画制作者としての内省のようなもの、観客に向けた問いかけが生じていることが本作を有意義なものにしています。
そんな映画ですので、作品が提示する重苦しいいくつものテーマに観客一人ひとりが向き合うことを求められ、世界をマシにする方法を考えさせられます。
ついでにもうひとつ、テーマとどこまで絡むかわからないのですが、ジェシーが使うカメラが一眼レフのフィルムカメラで、現像してネガチェックという場面もあるのが味わい深いです。
スマートフォンを取り付けて白黒反転してチェックできるビューワがあるんすね。
キルステン・ダンスト演じるリーが使っているのが普通にデジタル一眼で、ジェシーのこだわりが強調されていました。
先日観た『箱男』ではコンパクトカメラで撮った写真を現像してたので、フィルムカメラって逆に現代的アイテムなのかもしれないってちょっと思いました。