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タテ割り行政の歴史をふりかえったので、あらためて考察してみた。
タテ割り前半では、公務員の現状:公務員の受験者数は年々減っていて、メンタルヘルスやばめな現状を。後半では、なぜタテ割りが起こったのか:はじめから国の組織はタテ割りで作られていた。その形が明治維新、第二次世界大戦、地方分権一括法により構造が変わっていった。
歴史を振り返ったので、自分なりに考察してみる。
なぜ内務省解体したのか?という疑問。
え、当局の「圧」だったの?
明治維新後、タテ割りの土壌はありつつも内務省が統制して地方をコントロールするやり方は、本を読んでいると悪くなかった印象を受けた。なぜなら、長野さんもが戦前の体制の方が良かった印象を受ける発言をしている。もしそうだったとしたら、なぜ内務省を解体したのだろうか、統制ルートのままでも良かったのでは、と疑問がわいた。
さすが株式会社ぎょうせい!ちゃんと言及があった。地方自治の沿革 によると、当局がどうしても中央集権的だった内務省を解体したかった、ということであった。当局というのはもちろん、マッカーサー率いるアメリカだ。当時、内務省には権力が集中していた。そこで、日本の弱体化を目指したアメリカが主張したのが、内務省の解体だったらしい。主張に対して、日本としても抵抗をしたらしい。が、結果負けてしまった。
要は、圧をかけてきて、無理やり、地方自治というコンテンツのない箱をつくらされたわけだったのだ。そういう意味では、アメリカもタテ割りを作った一つの要素と考えられる。
固い頭を豆腐みたいにしてくれようかおじさん。
ぜひ、アメリカにも怒ってください!笑 そして、アメリカの固い頭も豆腐みたいにしてくれぃ!!!!!
ただ、こんな流れでできたタテ割りも、そもそもの日本を近代化していく目的では機能していたんだと岡本氏は本に書いてある。
タテ割りは絶対悪なわけではない。
岡本全勝氏によると、戦後の日本における目標は、ナショナル・ミニマムと社会資本整備にあったという。ナショナル・ミニマムは聴き慣れない言葉だけど、簡単にいえば、日本全国で同じシステムでまわるということ。警察も消防も医療も教育などの社会インフラが日本全国で一定水準が供給されるということ。
例えば、現代日本において、東京に住んでいた高校生が、鹿児島に移り住んだからといって、高校にいけないということは起こらない。ある程度、同じシステムで回っているはずだ。
同じように、図書館はどこにでもあるし、国民健康保険だって必ず入れる、警察が取り締まれない地域はほとんどない。(離島とか、中山間の課題はあるけれど、そちらはまた別に。。)そういう意味では、日本全国に(明治維新前から考えると)統一のシステムがかなり整った。
岡本氏は、ナショナル・ミニマム、社会資本整備という意味では、目標は達成されたと言及している。(地方自治法入門は2003年の本なので、戦後から60年でほぼ達成したと岡本氏は考えていた。)タテルートはその目標を達成させるために非常に効率の良いルート、と考えいたのだ。中央政府がやってほしいことを地方が従うという図式がしっかりしていたほうが混乱を生まない。
ただ、達成したあとが問題だった。その達成のあとに、どういう方向に行くかっていうことが、みんなわかっていなかった。新しい文脈を作れなかったのが地方自治の失敗だったといえる。
世界では、サステナビリティ、レジリエンス、ウェルビーイングなど新たなパラダイムのもとに社会を作っていると思うが、日本の多くの地域でいまだに何か建てること、作ること、つまりはオールドパラダイムのまま(ナショナル・ミニマム、社会資本整備)地域の主要な政策になったりしてる。残念を通りこして悲しくなってくる。
明治維新以降、地方も住民も、タテで落ちてくる「待ち」っていう姿勢があって、自治する、自分たちで考えてやるっていうことに慣れていないんじゃないか。
結局、地方と国がフラットになったのは2000年からだ。そして、そもそも明治維新からの約100年で、地方も住民も「タテ落ち待ちマインドセット」ってずっと変わっていないことがオールドパラダイムのままである原因のひとつなのかもしれない。旧OSのまんまアプリを起動しちゃって、バグるんですよ。インフラ整備とかね。
ただ、自分たちで考えて、自分たちで決めて、自分たちで行動するが大事だけれど、、、
自分たちで考えてっていうけど、
「自分たちで考えるための学び方の学び」を学んでいない。
むしろ、正解を求める教育になってる。
自分たちで決めてっていうけど、
自分たちでどう決めるのかっていうことを学んでいない。
ファシリテーションもディベートも議論の学びもないし、土台となる民主主義が多数決でしょう?って思ってる節がある。本当は違うでしょ。
自分たちで行動してっていうけど、
自分たちでどう行動するのかっていうことを学んでいない。
引っ張るリーダーに従う行動には慣れてるけど、自分で考えて行動するリーダーシップには慣れていない。
ここでいう学びって、学校に座って行う学びも含む、すごく大きな意味で普段の生活、暮らし、仕事、人間関係の中で身についていく学びのことです。「タテ落ち待ちマインドセット」から「自立型行動マインドセット」へのOS移行の学びが必要なんだ。
教育がとか、今の大人が、とか、日本の社会が、とか悪者を決めるのは簡単。特に教育が悪いっていう結論に落ち入りがちにも思う。 原因なんて無数にあって、すべてがシステムのようにつながりあってる。
結局は、オールドパラダイムに基づいて動いてるかっていうことを注意深く考えながら、ニューパラダイムに基づいて一つ一つ行動してくしかない、って思う。すごく抽象的だけど。
さて、こちらのブログで使った本のソースは以下。
概説日本の地方自治
もう一冊は、株式会社ぎょうせいから出ている「地方自治の沿革」こちらは専門書すぎてAmazonに出てこない笑 ぎょうせいさんって自治体関連の方には馴染み深い会社。今調べたら、設立が1893年でした。伝統を感じる。