女
土曜の午前5時
バーの締め作業を終えた僕は、ネズミがウロつくビルのゴミ室に空の酒瓶を捨て、店を出た。
今日は一滴も酒を飲まずに営業を終えた。
気温は4℃。
寒さは体に堪えるが、冬は好きだ。
朝5時でもまだ日が昇らないこの季節は、こんな生活を送る自分のために、自然が夜を引き延ばしてくれてるような気がする。
始発が動き出すまであと10分。一本吸ってから駅に向かおうとタバコの箱をポケットから取り出すと、1人の女の子が目に留まった。
所々生地がハゲているたぶん安物のロングヒールブーツに、黒の短いデニムスカート。薄いニットに、あまり暖かくなさそうなショート丈のボアジャケットを羽織った彼女は、見るからにベロベロに酔っ払っていた。
きっとすぐ近くにある大型のナイトクラブから出てきたのだろう。おぼつかない足取りで、道に捨てられているタバコの空箱を蹴っていた。
「めっちゃ酔ってるな〜」と思いながらすれ違いざまに見ていると、目が合った彼女は僕の方に手を伸ばして「お兄さん集合〜」と呼び止めてきた。
一瞬始発の時間が頭にチラついたが、かけられたのでとりあえず集合した。
酔い過ぎて数分ごとに何度も同じ質問をする彼女は、僕のことが凄くタイプだと言う。
僕の顔を見つめては、こちらが見つめ返すと表情を緩ませ、目を逸らして照れた。
そんなふうにじゃれ合いながら、近くにあった公園のベンチでダラダラと話した。
空がいよいよ朝らしくなってきた。「そろそろ行こっか」と言って僕は彼女の手を握って立った。
多分家に誘うのが定石なんだろうな〜と思いながらゆっくり歩いていると「ってかどこ住んでるんだっけ?」とこれも3度目の同じ質問。
僕が最寄駅を答えると「ほんとに〜?」と言うので「じゃあ本当かどうか確かめに行こっか」と返した。
彼女は少し照れて頷いた。
でもなぜか、一瞬顔に陰りが見えたような気がした。
家に着くと彼女に部屋着を貸し、吸い込まれるようにベッドへ入った。朝日が少し漏れて入る部屋で、特に会話もなくキスをする。
朝の帰り際で路上逆ナンされて、一緒に帰るなんてこともあるんだな。なんて余計なことが頭をよぎっていた。
彼女の髪からは、紫煙の香りがしていた。
彼女も僕もかなり眠くなっていた。でも眠気に反して、ちゃんと反応している自分の体に従い彼女の下着に手をかけると、建前ではない様子で拒まれた。
「生理なの、ごめん」と呟いた彼女。
たしかに六本木のクラブに朝までいて、道端でタイプの男に声をかける夜には似合わない、布面積の多い下着だった。
眠気と勃起を拮抗させていた僕は「そっか」と言って手を離し、横に寝転んだ。
「家くる前に言えよって思うよね。ごめん」罪悪感にまみれた表情と声で言った彼女。
僕の頭に浮かんだのは、「なんだよヤれねぇのかよ」ではなかった。
女である自分が男の部屋を訪れる時、セックスという価値を提供できないことは罪だと強く認識している彼女の自我。
そう思わざるを得なくなったこれまでの経験と、そんな暴力性を持った自分を含む男という生き物。
偶然女として生まれた彼女は、歳を重ねるうちにセックスを知り、自分たち人間にとってそれが繁殖行為だけには留まらないことを知った。
時に己の肉欲に突き動かされた男が、女の粘膜を求めてどれほど仮初めの姿や優しさを見せるのかも、恐らく知った。
酔った勢いでタイプの男に声をかけた彼女は、アルコールに侵されているその頭で途中からこの先を察し、それが予定通り進まないことを伝えなければいけなくなった。
でも自分が今生理であることを伝えたら、またあの瞬間がやってくる。自分に今求められているのはこの肉体でしかないのか。セックスでしかないのか。
ちゃんとそう判断して、恐れて、伝える事を先延ばしにしたのかもしれない。
偶然持って生まれた二択の性別。生物学的には男と女しかいないこの世界。
幸か不幸か女には、男の性によって「女」であるだけで価値がもたらされる。
男とは全く異質の生き辛さ。
男に当てはまりそうなものを挙げるとすれば「財力」だろう。
しかし、いざ自分から切り離そうとすれば可能であり、後天的な価値であるそれと、どれほど疎ましく思う瞬間が訪れようと脱ぎ捨てられない女という価値は別物だ。
参加の意思を表明した覚えもないのに、気付けば走らされていた「女」というレース。
女であるが故に手に入ったもの、入らなかったもの。手に入ったせいで、後から自分自身を苦しめたものや出来事。
今この瞬間だって、彼女にとってそのうちの一つかもしれない。
昨今ポジティブワードの代表格のように叫ばれる「男女平等」。
しかし僕からすれば現代社会で謳われるそれは「平等」ではなく「同一」だ。
年収、役職、待遇、服装、それらを同一にし、差異をなくす。いかにも綺麗に「平等」っぽく見える。
だがきっとそれは表層に過ぎない。真に目指すべきは、同一ではなく「対極の平等」だ。
互いに何も持たずにいた場合の「男にとっての女」「女にとっての男」。その価値に優劣がある以上、同一と平等を区別できていない社会で生きる我々に、「男女平等」など実現可能なのだろうか。
「ストーリーがないとセックスができない我々人間は、壊れた動物だ」どこかで読んだ気がするうろ覚えの一文。
紫煙の香りがする彼女の後ろ髪を見つめながらそんなことを頭に浮かべ、眠気の限界で瞼を閉じた。
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